第5期女流王座戦挑戦者決定戦。公式戦初対局。
振駒で甲斐智美倉敷藤花の先手。伊藤沙恵女流初段はウソ矢倉に類似する指し方で相矢倉に。ただ先手は早囲いで穴熊に組み替えられましたので,後手の作戦負けであったと思います。先手から攻めて後手が受ける展開に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/03/6b5cdb0ecc91bd14e5b021dbf02feecd.png)
ここで△3三玉と上がりました。上には銀と桂馬がいるとはいえ,この段階で入玉を目指すのは非常手段という感じがします。
端を突いたところですから▲1四歩と取り込むのは最も自然な手でしょう。△3四玉▲7九角△4五玉と一直線に入玉を目指しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/b2/1cd9d94414260e893e24072230f2e78d.png)
ここで▲5七金寄と指しましたが,この手がぬるくて先手は形勢を損ねたように思います。先手は後手玉を押し返すことには成功しましたが,代償に飛車を取られ,後手の反撃が決まりました。
伊藤女流初段が挑戦権を獲得し女流二段に昇段。昨年の10月に奨励会から女流に編入し,タイトル戦は初めてになります。
『ある哲学者の人生』における書簡三十八に関する記述は,スピノザとデ・ウィットの関係をナドラーがどう認識しているかとリンクします。
『スピノザの生涯と精神』のリュカスの伝記の中に,スピノザはデ・ウィットの知遇を得て,金銭的援助を受けるようになったという主旨の記述があります。このために,スピノザとデ・ウィットは良好な関係にあるという通説が広がることになりました。
本当は両者はそうも良好といえる関係ではなかったと解しておくのが妥当だと僕は判断します。「レンブラントの生涯と時代」の中には,デ・ウィットがファン・ローンに対して,あなたは自由主義者だが自分はそうではないという意味の発言をする部分が含まれています。これはデ・ウィットはスピノザとは違って,民主制を志向することはなく,共和制を志向していたというナドラーの説明に一致すると思うからです。王党派を強力に支援したカルヴィニストにとっては,議会派の最有力政治家であったデ・ウィットは敵でした。だからスピノザとデ・ウィットをいっしょくたにしたプロパガンダを行うことがあり,こうした故意の演説も,スピノザとデ・ウィットが親しかったという印象を与える効果を発揮したものと推測されます。
しかしナドラーの考えでは,ふたりは親しかったどころか,知人であったことを確証することすら可能ではありません。つまりナドラーは,スピノザとデ・ウィットが知り合いであったということを前提にしていません。だからナドラーが,ホイヘンスやフッデを介してスピノザとデ・ウィットが知り合ったというとき,それは知り合う契機について言及しているというより,知り合いであった可能性の推測の一手段なのです。
ナドラーは,ホイヘンスやフッデが,親しかったスピノザの才能を共同研究に利用しようと思い立たなかったとは考えられ得ないとしています。リュカスは,デ・ウィットはスピノザから数学を教えてもらおうとしたのだと述べています。なのでナドラーの推測とリュカスの言及は一致し得ますが,だからといってふたりが知り合いだったことを確定できるとはいい難いと僕は考えます。
振駒で甲斐智美倉敷藤花の先手。伊藤沙恵女流初段はウソ矢倉に類似する指し方で相矢倉に。ただ先手は早囲いで穴熊に組み替えられましたので,後手の作戦負けであったと思います。先手から攻めて後手が受ける展開に。
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ここで△3三玉と上がりました。上には銀と桂馬がいるとはいえ,この段階で入玉を目指すのは非常手段という感じがします。
端を突いたところですから▲1四歩と取り込むのは最も自然な手でしょう。△3四玉▲7九角△4五玉と一直線に入玉を目指しました。
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ここで▲5七金寄と指しましたが,この手がぬるくて先手は形勢を損ねたように思います。先手は後手玉を押し返すことには成功しましたが,代償に飛車を取られ,後手の反撃が決まりました。
伊藤女流初段が挑戦権を獲得し女流二段に昇段。昨年の10月に奨励会から女流に編入し,タイトル戦は初めてになります。
『ある哲学者の人生』における書簡三十八に関する記述は,スピノザとデ・ウィットの関係をナドラーがどう認識しているかとリンクします。
『スピノザの生涯と精神』のリュカスの伝記の中に,スピノザはデ・ウィットの知遇を得て,金銭的援助を受けるようになったという主旨の記述があります。このために,スピノザとデ・ウィットは良好な関係にあるという通説が広がることになりました。
本当は両者はそうも良好といえる関係ではなかったと解しておくのが妥当だと僕は判断します。「レンブラントの生涯と時代」の中には,デ・ウィットがファン・ローンに対して,あなたは自由主義者だが自分はそうではないという意味の発言をする部分が含まれています。これはデ・ウィットはスピノザとは違って,民主制を志向することはなく,共和制を志向していたというナドラーの説明に一致すると思うからです。王党派を強力に支援したカルヴィニストにとっては,議会派の最有力政治家であったデ・ウィットは敵でした。だからスピノザとデ・ウィットをいっしょくたにしたプロパガンダを行うことがあり,こうした故意の演説も,スピノザとデ・ウィットが親しかったという印象を与える効果を発揮したものと推測されます。
しかしナドラーの考えでは,ふたりは親しかったどころか,知人であったことを確証することすら可能ではありません。つまりナドラーは,スピノザとデ・ウィットが知り合いであったということを前提にしていません。だからナドラーが,ホイヘンスやフッデを介してスピノザとデ・ウィットが知り合ったというとき,それは知り合う契機について言及しているというより,知り合いであった可能性の推測の一手段なのです。
ナドラーは,ホイヘンスやフッデが,親しかったスピノザの才能を共同研究に利用しようと思い立たなかったとは考えられ得ないとしています。リュカスは,デ・ウィットはスピノザから数学を教えてもらおうとしたのだと述べています。なのでナドラーの推測とリュカスの言及は一致し得ますが,だからといってふたりが知り合いだったことを確定できるとはいい難いと僕は考えます。