スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

京成盃グランドマイラーズ&ホイヘンスの意図

2015-06-17 20:34:35 | 地方競馬
 月曜日に開幕した船橋競馬の夜の開催のメーンは第18回京成盃グランドマイラーズ。昨日の調教中に転倒したインペリアルマーチが競走除外となって13頭。
 セイントメモリーが好発を決めたものの外からノットオーソリティが押して交わしていき先手を奪いました。その流れに乗るようにソルテが2番手に上がり,控えたセイントメモリーはサトノタイガーと並ぶように3番手。トーセンアドミラルとジェネラルグラント,キスミープリンス,グランディオーソと続きました。最初の800mは47秒7のハイペース。
 3コーナーを回るとソルテがノットオーソリティに並び掛けていき,最終コーナーの中途では単独の先頭に。追ってきたのは内からトーセンアドミラル,外からサトノタイガーでしたが,直線では差がぐんぐんと開いていくばかり。ソルテが現在の充実ぶりを見せつけるかのような圧勝。距離のロス少なくずっと内を回ったトーセンアドミラルが8馬身差で2着。大外から追い込んだグランディオーソがクビ差の3着。
 優勝したソルテは前走の川崎マイラーズに続く南関東重賞4勝目。前走に続いての圧勝で,ここにきて完全に一皮むけたという印象。レース振りが安定していますから,今後も大きく崩れることは考えにくそう。この距離なら重賞でもそこそこ走れるのではないかと思えてきました。父はタイムパラドックス。祖母のはとこに2003年の新潟ジャンプステークスを勝ったマルゴウィッシュ。Sorteはイタリア語で運命。
 騎乗した金沢の吉原寛人騎手は川崎マイラーズ以来の南関東重賞制覇。京成盃グランドマイラーズは初勝利。管理している大井の寺田新太郎調教師も京成盃グランドマイラーズ初勝利。

 ホイヘンスがスピノザが磨いたレンズで天体観測をしていたことは間違いありません。今日に残るホイヘンスの業績は,スピノザなしには達成し得なかったといえるかもしれません。
 もしかしたら,このスピノザの技術に対して,ホイヘンスにはスピノザを自身のライバルとみなす余地があったかもしれないと僕は考えるのです。つまり,純粋な知識人としての自然科学者という意味では,たぶんホイヘンスにとってスピノザは,歯牙にもかけないような存在だったと思うのです。このことは今日の両者の業績に対する評価からも,確かなことではないかと思います。でも,レンズを磨かせれば,スピノザの技術が自身の技術を上回っているということを,ホイヘンスは認めざるを得なかったのではないでしょうか。このためにホイヘンスの精神のうちにスピノザに対するやや屈折したような思いが発生し,手紙にユダヤ人と書かせたと解することも可能だと思うのです。
 だからフランスに移ったホイヘンスが,弟にスピノザの動静を尋ねたのには,スピノザが何か新しい技術を導入したかどうかを知るという目的も含まれていたと僕は推測します。もしもそうした技術が存在するならば,自分でもレンズを磨いていたホイヘンスは,それを模倣するという意向があったのではないでしょうか。もちろんホイヘンスがスピノザへの友情から弟にスピノザのことを尋ねたと解することも可能であることは否定できませんが,むしろ自分のための調査という目的の方が大きかったのではないかと僕には思えるのです。
 これで,後にマルタンの推理を検討するための材料は揃いました。なのでここからは,またスピノザとレンブラントの関係についての探求に戻します。なお,もしローンがスピノザに会ったのがレンブラントが死んだ後のことであったとしたら,ローンは単にスピノザとレンブラントの共通の知人であったというにすぎず,ローンを介してスピノザとレンブラントが知己になるという可能性は否定されます。しかしローンがまだレンブラントの存命中にスピノザと知己であったということは確実ですので,その可能性は確かにあったと結論して問題ありません。
コメント
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