スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

漱石のキリスト教観&ホイヘンスのスピノザ観

2015-06-15 19:33:18 | 歌・小説
 僕は漱石がキリスト教を求道することはなかったと考えます。これが僕の漱石がキリスト教およびキリスト教徒をどのように考えていたかの結論の前提です。
                         
 まず漱石がキリスト教についてどのように考えていたかといえば,それは漱石のメモにある通りであると思います。これはおそらく留学のためにイギリスに向う船内で書かれたものと思われますが,ここに漱石が記した内容は,基本的に漱石の精神のうちで生涯にわたって変わらなかったと僕は解します。つまりキリスト教が人間を救済し得るということは,漱石は認めていました。しかし漱石自身が救済されるとは少しも考えなかったでしょうし,キリスト教が万人に妥当する普遍的な宗教であるなどとも少しも考えなかったでしょう。
 メモの中の偶像崇拝に関連する部分は,僕にとって興味深いです。というのは,キリスト教では,形あるものを崇拝することを偶像崇拝というけれども,偶像はむしろ精神のうちに存在すると漱石は考えていたと読解できるからです。これは同時に僕自身の考え方でもあります。現代でも偶像崇拝を禁止するという名目で人類の遺産ともいえる遺跡等を破壊してしまう原理主義者,もっといえば似非イスラムが存在します。かれらにとっては,偶像崇拝を禁止するという教え自体が偶像と化してしまっているのです。かれらは本当の偶像は人間の精神のうちにあるという事実に気付いていない愚者であり,かれらこそ本当の偶像崇拝者なのです。おそろしいものの形は絵に描けないという「吹雪」の一節は,このような告発でもあり得ます。
 漱石自身は,このような論争をキリスト教徒と交わすことを好まなかったと僕は考えます。だから,宣教してくるような相手とはあまり交際したくなかったでしょうが,そうでない限り,キリスト教徒を非難する気持ちは少しももたなかったろうと思います。漱石とノットの関係が,少なくとも漱石からみる限りでは良好であったのに対し,エッジヒル夫人に対してノット夫人に対するのと同じような心情をもてなかったのは,たぶんこの影響であったと思います。

 ホイヘンスがスピノザに対して友情ということばで表現されるような感情をもっていなかったと推測する理由は,弟にその消息を尋ねる手紙などにおいて,ホイヘンスはスピノザのことを,ユダヤ人とかイスラエル人と書いているからです。ただし,ホイヘンスはスピノザを称賛する文脈でもこの表現を用いていますから,このいい方がスピノザ本人を見下すためのものではなかったというようには解します。とはいえ,名前を出さずにユダヤ人とかイスラエル人と記すのは,たとえホイヘンスが懇意であったユダヤ人がスピノザだけであったと仮定しても,友情を感じている相手に対する表現であるようには僕には思えません。
 ホイヘンスのこの表現に関しては,いくつかの解釈があり得そうです。たとえばこの表現は,ホイヘンスにはユダヤ人に対する蔑視があったと考えることは可能でしょう。また,ホイヘンスは,父が外交官であったように,出自は貴族でした。これに対してスピノザの父は商人でしたから,貴族に対しては平民だったことになります。そのような階級意識がホイヘンスのうちにあったと仮想することもできるでしょう。
 もうひとつ,ホイヘンスはスピノザを,単なる友人としてではなく,ライバルとみなしていた可能性もあります。ホイヘンスが弟にスピノザの消息を尋ねる手紙には,スピノザがなしていることの成果に対する質問というのが含まれているからです。ホイヘンスはおそらく哲学にはさほどの興味はなかったと思われます。この質問の内容というのは自然科学の分野に関するものです。スピノザにはその方面の知識というものがいくらかはあったのです。というよりも,この時代の哲学者といわれるような人物は,すべてそうであったと考えておいた方がいいでしょう。デカルトとかライプニッツは,その方面でもいくらかの実績を今日にも残しているといえます。
 一方,この時代の自然科学者というのも,今日でいう科学者とは明らかに異なっていました。思想的にも,キリスト教神学との関連を抜きに当時の自然科学について語るのは困難だと僕は考えていますが,この点についてはここでは無関係なので割愛します。
コメント
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