スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&必然

2014-01-24 19:35:52 | 将棋
 栃木県大田原市で指された第63期王将戦七番勝負第二局。
 羽生善治三冠の先手で相掛り。先手が引き飛車から棒銀に出たのに対して渡辺明王将が高飛車で対応。もっともその後の駆け引きで,中盤の本格的な戦いに突入した時点では,そのときの面影がない局面になっていました。
                         
 5八から金が上がった局面。一目見て,先手の陣形が異様に感じます。ということは仕掛ける好機の筈で,△9五歩と突きました。対して▲7六銀だったのですが,この仕掛けに取れないというのはすでに先手がおかしくしてしまっていたのではないかと思えます。△9六歩は大きな取り込み。先手は何らかの代償が必要とされますが,▲8五銀△8二飛▲7四歩の進展では大したものは得られていないように思えます。△3八歩▲同飛で先手の飛車の攻撃力を失わせてから△6五銀▲同銀△同歩で銀交換。▲9ニ歩△同香▲9三歩△同香▲9四歩△同香▲同銀で先手は香車を取れましたが,△7六歩と打たれました。
                         
 先手は一時的には駒得になったとはいえ,銀が僻地に。後手の攻めは先手玉の急所に近いところまで迫っていますので,これでは先手が勝つのは相当に難しそう。先手にあまりいいところがなかった一局で,羽生三冠にしては凡局の部類に入るのではないでしょうか。
 渡辺王将が連勝。第三局は29日と30日です。

 順序としては強い意味成立条件である自己原因が存在するかどうかを調べることになるのですが,その前に確認しておきたいことがあります。この自己原因は,各々の因果的必然性を一般化することを可能にするための存在です。なので,そもそも必然ということがスピノザの哲学,とりわけ『エチカ』の中でどのように用いられるのかを知っておく必要があると思うのです。
 岩波文庫版で必然性と訳されているラテン語はnecessitasです。そしてそれがnecessariusというラテン語で表記されるなら,これは必然的と訳されています。字面だけを見てもこのふたつに関連があるということは明白です。そこでここでは,このふたつを統一して,単に必然とだけいい,その必然ということが『エチカ』でどのような意味を有していると僕が理解しているのかを説明します。
 僕の理解では,スピノザが必然というとき,主にみっつのパターンがあります。まずそれを順に紹介しておきましょう。
 第一のパターンは,第一部定義八で必然といわれるパターンです。この場合の必然は,必然といわれる事物の存在の永遠性と関連します。もう少しこの例を具体的に示すならば,Xは必然的に存在するという場合,Xはある持続のうちに存在するのではなく,Xが永遠から永遠にわたって存在するという意味になります。第一部定理二三の冒頭で必然的といわれているのも,このパターンだと僕は理解します。
 第二のパターンが,現テーマである第一部公理三の必然です。この場合の必然は,原因と結果の連結の絶対性ないしは不変性を意味します。たとえば第一部定理二六で必然的ということばをスピノザが用いるとき,それはこのパターンに該当していると僕は理解します。また,これは因果論的法則に関する言及なので,第一部定理一六で神の本性の必然性といわれる場合も,このパターンであると僕は把握します。
 第三のパターンは第一部定義七で必然的といわれているものです。この場合の必然は自由の対義語です。したがってこの意味においてXが必然的だといわれるなら,Xは自由ではないという意味になります。
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