スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

アサクサデンエン&死の遠因

2014-01-04 19:41:23 | 名馬
 大晦日の東京2歳優駿牝馬を勝ったブルーセレブの父はアサクサデンエンでした。
 母はホワイトウォーターアフェア。半弟に2006年のサマー2000シリーズのチャンピオンになったスウィフトカレント。またその半弟にはJRA賞で2010年の最優秀3歳牡馬,2011年の最優秀4歳以上牡馬に選出されたヴィクトワールピサ。ただ,アサクサデンエン自身は母が輸入される前にイギリスで産んだ唯一の産駒で,競走馬として輸入された馬。馬の国籍でいえば,イギリス産の日本調教馬ということになります。
 2001年11月にデビューすると2連勝。素質の片鱗を現わしてはいましたが,それが完全に開花したのは遅く,初重賞制覇は2005年,6歳春の京王杯スプリングカップ。続く安田記念も連勝し,一気に大レースの勝ち馬にまで上り詰めました。騎手が次々と替った馬でしたが,安田記念制覇のときの手綱は藤田伸二騎手。
                         
 この年の秋,天皇賞で復帰して4着。この後,香港マイル,ドバイデューティフリーと海外で連戦。ドバイから帰国後の安田記念は香港馬の2着になっています。7歳秋に3戦して勝てずに引退。種牡馬となりました。
 超一流といえるところまではいかなかった馬ですから,種牡馬として苦戦しているのは致し方ないところでしょう。重賞はおろか地区重賞の勝ち馬まで含めてもブルーセレブが初めて。血統的にも奥手で,ダートが向くという感じではなく,もしかするとブルーセレブが出世頭ということになるかもしれません。ただ,このタイプの種牡馬は1頭の超大物を出すという可能性もありそうです。

 斎場は祖母のときと同じで,南部斎場でした。葬儀が11時半からでしたので,到着したのは午後1時過ぎ。時間から考えると,ここで軽食のようなものが出されるのではないかと僕は予想していました。父のときは北部斎場でしたが,そこで弁当を発注して,昼食ということにしていました。セレモニーホールに戻って精進落しをすることはすでに知っていましたから,父のときとは異なったケースであるということは分かっていましたが,たとえ軽食であれ,何らかの食事が可能なものが出されたなら,僕はそれを昼食にしてしまうつもりで,インスリンを持って行ったのです。もっとも,これはそういうつもりがあったというだけの話であり,インスリンは劇薬ですから,仮にここでは食事はできないということを事前に把握していたとしても,セレモニーホールに置きっぱなしにするというのはあり得ない選択ではあります。
 ただ,実際にここで出されたのは,酒類とそのおつまみになるような菓子の類だけでしたので,食事を済ませるということはできませんでした。したがってインスリンを使用することはなかったということになります。お骨をあげて,またセレモニーホールにマイクロバスで戻り,精進落しが開始となったのは午後3時半過ぎ。僕が退院して以降の昼食としては,最も遅い時間になりました。
 精進落しの最後に,従兄から挨拶がありました。N伯父の死因は腹膜炎であったわけですが,その遠因として,手術をするように説得したことがあると従兄は考えているようで,聞いていて辛くなるような,自身を責めるような内容のものでした。ただ,ひとりの人間が物事をこのように考えてしまうということは,自然といえば自然なのであって,こういう場合には慰めのことばは何の働きもしてくれません。従兄が感じている悲しみや悔いの情念は,時間だけが解決できるものなのだろうと思います。
 この日は父の長兄が乗用車で送ってくれました。帰宅したのは午後4時40分頃のことでした。
 今回の共生記はここまで。まだ昨年中の出来事がいくつかありますが,それは次回に。明日からは『エチカ』の考察に回帰します。
コメント
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