スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&平行論的帰結

2012-03-26 19:11:30 | 将棋
 第23期女流王位戦は,里見香奈女流名人と清水市代女流六段がそれぞれのリーグを当然といわんばかりに勝ち抜け,今日の挑戦者決定戦を迎えました。対戦成績は里見名人が15勝,清水六段が10勝。
 振駒で里見名人の先手となって向飛車。角交換から戦いが始まり,延々と戦い続けた結果,先手玉が入玉して寄らない形に。このあたりは先手必勝に思えました。ところが後手玉を寄せに行った先手が,急ぎすぎたようで,後手も入玉が望める形に。結果的に相入玉を視野に入れた戦いを観戦することになりました。
                         
 仮にこのまま後手が無難に入玉すると,点数の戦いで後手が勝ちます。よって先手は寄せるか,点数を稼ぐかしなければなりません。▲6二金引は飛車を取りにいった手で,後者の意味。△8三銀▲7一飛△8一銀と,取らせろ,取らせないの応酬が続いたところで▲9六歩。今度は寄せを目指したわけです。ここから△3五角成▲6一飛成△7四銀打▲5四歩△9三玉▲7一金△9二銀上▲7二金引△同銀▲同金△8三飛。
                         
 ▲7三金打で確実に飛車を取り,負けはなくすのかと思いましたが▲9一龍。むろんこれも有力な手と思います。△8一金▲同金△同飛▲同龍△同銀までは必然。そして▲9一飛の王手銀取り。両方受けるのなら△9二銀しかありません。先手は▲7三銀。
                         
 これは後手玉がすんなりとは上部に逃げられない形になっていて,どうやら先手の勝ちになったと思いました。後手玉をがんじがらめにして受けなしに追い込んだ先手が勝っています。
 200手越えの激戦を制して里見名人が挑戦者に。タイトル戦ではまだ負けなしですが,その記録を続けることになるのでしょうか。

 神の思惟の属性に包容されている個物の観念の発生が,第一部定理二一の様式で説明され得ないとするならば,結局のところそれは第二部定理九の仕方で説明されるほかはないであろうというのが僕の見解です。なぜならば,第一部定理二二の様式でこれを説明すとすれば,これは第一部定理二一で説明しようとした場合と同じことが帰結します。これは同じことを繰り返すことになるだけですから詳しくは考察しません。ところが第一部定理二三によれば,もしも何らかの事物がある種の絶対的な力によって発生するならば,それは第一部定理二一の様式か,さもなければ第一部定理二二の様式で説明されなければなりません。いい換えればこれは,これらふたつの様式においてその発生を説明することができないものは,何らかの絶対的な力から発生することは不可能であるという意味だと理解できます。したがってそれは絶対的な力ではなく,一定の力によって説明されなければならないということになります。そしてそれが個物の観念である場合には,第二部定理九の様式であると理解するほかないと僕は思うからです。
 このことを,『エチカ』のほかの部分に訴えて補強するなら,それは次のようになると思われます。
 第一部定理二八は,個物の結果と原因の無限連鎖を示します。しかしこの定理の場合には,第二部定理九とは異なり,個物が現実的に存在する場合という限定がありません。したがってそれは,個物が様態化している神のある属性に包含される限りで存在し,一定の持続のうちには存在していないという場合にも適用可能であるように思えます。このとき,個物の観念は思惟の属性の個物ですから,個物の観念の場合にもこれと同じことが適用されなければならないと考えることはできるでしょう。また,たとえそうではなく,第一部定理二八が形相的な,つまり知性の外にある個物についての言及であると解釈するとしても,その個物とその個物の観念は平行論における同一個体ですから,第二部定理七によってその原因と結果の連結は同一でなければなりません。つまり個物の観念の場合にも,その観念の対象ideatumに関していわれているのと同じ連結で説明されなければならないということになります。
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