スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東日本大震災被災地支援名古屋記念&円の存在

2012-03-27 18:37:16 | 競輪
 2011年度の最後を飾る名古屋記念の決勝。並びは菊地-成田の北日本,木暮-佐々木の東日本,深谷-吉田の愛知に園田,柴崎ー山口の中部。
 前受けは柴崎。3番手が菊地,5番手に木暮,7番手から深谷で周回。残り2周のバックで深谷が上昇を開始するとまず菊地が動いて柴崎の前に。バックでその外を深谷が叩くとうまく続いた木暮が4番手を確保し,6番手に菊地,8番手に柴崎で一列棒状となり打鐘。このまま深谷の先行となり,バックでは木暮も柴崎も動きましたが,構わず3コーナー過ぎから吉田が番手発進。そのまま後ろを寄せ付けなかった吉田が優勝。大外を鋭く伸びた山口が2着に食い込み,捲り追い込んだ木暮が3着。
 優勝した愛知の吉田敏洋選手はこれが記念競輪初優勝。早くから頭角は現わしていた選手で,もっと早くに達成していてもおかしくないだけの力はありました。ここは深谷が先行し,すんなりとした展開になりましたので,それに乗じた形。このようなチャンスに恵まれることがあれば,今後も優勝が可能ではないかと思います。

 個物の存在が,それが様態化している神Deusの属性attributumに包含されている限りにおいても,第一部定理二八の仕方で発生しなければならないとここでは考えるわけですが,このように考えるためには,同時に以下の事柄を認めなければならないであろうと僕は考えています。
 たとえばある円が,平面上に現実的に存在すると仮定します。そしてこの円は,ある人間がコンパスを用いて描いたものであるとしてみましょう。するとこの円の起成原因causa efficiensというのは,そのコンパスの運動motusのうちにあるということになるでしょう。しかしコンパスの本性essentiaのうちには,それがそのように運動するものであるということが含まれているというわけではありません。したがってそのコンパスの運動の起成原因は,それをそのように動かすある人間の身体運動のうちにあるということになります。しかしその人間の本性のうちにはそのようにコンパスを運動させるということが含まれているわけではありませんので,そのことにも起成原因が必要で,という具合にこの連鎖が無限に続いていくことになります。第一部定理二八が第一義的に意味しようとしていることを具体的に示すならば,それはこのような例になる筈だと考えられます。
 次にこのことが神の属性のうちに,この場合には延長の属性Extensionis attributumのうちにということになりますが,包含されても存在しているのかと問われるならば,僕はこれにも自信はありませんが,たぶんそうした様式でも存在するのだと答えます。しかしこれは,円一般なるものが神の延長の属性に包含されて存在する場合のあり方ではありません。それ自体で明らかにように,上述の例というのはそのようにして描かれたあるひとつの円についてはそれを十全に説明するでしょうが,円一般が存在するということについてはまったく説明していないに等しいからです。
 このことから理解できるのは,個物res singularisの存在existentiaが持続duratioを含む場合でも神の属性に包含されて存在する場合でも,同様に第一部定理二八の様式で説明されなければならないとしても,その結果と原因との連結connexioというのは,たぶんふたつの場合では異なった連結として理解されなければならないということです。
コメント
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