スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

高松宮記念&無限知性の一部

2012-03-25 18:42:02 | 中央競馬
 新装なった中京競馬場で争われた第42回高松宮記念
 好発はロードカナロアでしたがエーシンダックマンが押していってこの馬の逃げに。カレンチャンが外の2番手につけ,マジンプロスパーがこれをマーク。控えたロードカナロアがインの4番手で伏兵のレジェトウショウが続いたところ,外からダッシャーゴーゴーが追い上げて好位に取り付きました。前半の600mは34秒5で,この距離とすると少し早目のミドルペースといったところでしょうか。
 エーシンダックマンの逃げは残り300m辺りまで。ここでカレンチャンが先頭に立つと,外のダッシャーゴーゴー,内のロードカナロアが追ってきて,間に入ったマジンプロスパーはやや苦しい位置に。ただこれらの追い上げはカレンチャンに追いつくまでには至らず,中団の外で控えていたサンカルロが大外を強襲。最後はカレンチャンに並ぶところまではいきましたが,クビ差で凌いだカレンチャンが優勝。サンカルロが2着で3着は内のロードカナロア。
 優勝したカレンチャンは昨秋のスプリンターズステークス以来の勝利で大レース2勝目。前哨戦は4着でしたがこのレースは内有利のコース状態をずっと外を追い上げてきたものでかなりの好内容。昨年のこの部門のチャンピオンですからここは新興勢力の挑戦を受ける立場でしたが,これを斥けました。いわば王者を防衛したという結果で,まだこのカテゴリーはこの馬を中心に展開していくということになります。父はクロフネ,輸入基礎繁殖牝馬はフォルカーで,半兄に重賞1勝のスプリングソング
 騎乗した池添謙一騎手は有馬記念以来の大レース制覇で高松宮記念は初勝利。管理している安田隆行調教師はジャパンカップダート以来の大レース制覇で高松宮記念は初勝利。

 第二部定理一一系によれば,人間の精神というのは神の無限知性の一部です。したがって第二部定理八系で,神の思惟の属性に包含されている個物の観念が,神の無限な観念が存在する限りで存在するといわれるとき,これはそうした個物の観念が神の無限知性の一部を構成しているというように理解するならば,要するに人間の精神も個物の観念も同じであるということになります。したがって,こうした様式で存在している個物の観念の一部が,ある人間の精神の一部を組織しているということは,必然的にそうであるということはできないかもしれませんが,少なくともその可能性を排除することはできないと思います。するとこの場合を神と関連付けて説明するなら,思惟の属性に包容されて存在している個物の観念をAとするなら,この観念Aがある人間Xの精神の一部を構成するという仮定ですから,少なくともAの観念は,神がXの本性を構成する限りで神のうちにあるということになるでしょう。いい換えるならば人間Xは,Aの観念を十全に認識するということです。
 このように個物の観念Aだけを抽出するなら,これはやはり第一部定理二一の仕方で,それが思惟する絶対的な力を原因として生じると主張することはできなくなります。なぜなら,ある人間の精神のうちに何らかの個物の十全な観念があるということは,その人間の能動を意味すると僕は理解しています。つまりその人間の精神がその個物の観念に対して十全な原因であるということです。よってこの個物の起成原因についてそれを思惟する絶対的な力であると主張することは,結局のところ人間の精神にそうした絶対的なことを帰していることにほかなりません。ところがこのことは,すでにその訴訟過程の開始の部分にあたる第二部定理一一系からして不条理であるということになるからです。
 したがって僕は,少なくとも思惟の属性に包容される限りで存在している個物の観念に関して,それをひとつだけ抽出して考えるとすれば,それは思惟する絶対的な力から発生するというのは無理があるのではないかと思います。つまりそれは,第一部定理二一以外の仕方で発生すると考えなければなりません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする