スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&第二部定理一九証明①

2008-11-14 19:34:31 | 将棋
 竜王戦七番勝負第三局。羽生善治名人の封じ手は駒を補充しつつ金取りの△2九飛成。▲3九歩の底歩に△5四歩と手を戻しました。
           
 ここでは▲5三歩と垂らす手もあったと思いますが渡辺明竜王の指し手は▲5三角。以下,△3七歩▲6四角成△3八歩成に▲5二歩の王手で第2図。
           
 ここで△4一玉と逃げるのがうまい手で,先手の攻めが切れてしまいました。したがって第2図はもう後手が優勢。実戦はこれ以降は差が広がっていくばかりで,結果的には後手の快勝となっています。
 ▲5二歩は,第2図でなく,▲6四角成のときに指せば,△4一玉はなく,先手としては得だったようですが,それで先手が勝ちになる変化はなかなか出てこないようです。したがって勝敗の分かれ目はむしろ初日にあり,35手目に▲7九玉と引いた新工夫,42手目の△3八とに▲同金と取った手,次の△4九飛に▲6八玉と逃げた手あたりということになるでしょう。
 これで羽生名人の3連勝となり,一気に竜王奪取に王手。将棋の七番勝負では3連敗後に4連勝というケースは皆無で,渡辺竜王としては苦しくなりましたが,それよりこのシリーズはどことなく冴えない将棋が続いている印象で,それが心配です。

 競輪は明日から伊東記念です。地元勢が手厚い印象はあります。

 第二部定理一九の意味は実は複雑であるということが分かりましたので,ここではそれらふたつの部分を別々に証明していくということにします。最初は第一の意味の方の証明からです。
 人間の身体が外部の物体の本性を含むような仕方で刺激を受けますと,第二部定理一二により,この刺激状態の観念,すなわち僕のいい方では,自分の身体の変状が精神のうちに生じます。ところでこの観念自体は,第二部自然学②公理一から分かるように,外部の物体の本性を含むと同時に,自分の身体の本性をも含むような観念です。なお,第二部定理一七証明で述べたのと同じ理由により,ここでは第二部定理一二そのものの問題については割愛します。
 次に,第二部定義二の意味からして,自分の身体の本性というのは,自分の身体の存在を定立するようなものであって,それを排除するようなものではありませんから,この刺激状態の観念によって,自分の身体の存在が定立されるということになります。ところで,この自分の身体というのはいうまでもなく人間の身体ですが,人間の身体というのは物体,すなわち神の延長の属性の有限様態ですから,もしもその存在が定立されるならば,それは現実的に存在する,あるいはある持続のうちに存在するというように定立されます。よって人間の精神は,自分の身体が外部の物体からある刺激を受けることによって,自分の身体が現実的に存在すると観想するということになります。したがって,この部分の証明に関しては,第二部定理一七証明と基本的には同じ手続きであるということになります。
 なお,今は人間がどのように事物を表象するかということが考察の中心で,人間の精神によるある事物の認識にいかなる方法があるのかということは,あまり関係ありません。よって現在の考察との関係では,この第一の意味の証明がとくに重要であるということになります。
コメント
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