スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ダブルタイトル戦&第二部定理一一系の意味

2008-11-15 18:57:50 | NOAH
 NOAHはすでに昨日から新ツアーが始まっているのですが,前ツアーの最終戦となった10月25日の日本武道館大会では,ジュニアのダブルタイトル戦がメーンで行われました。
 そのツアーの前に全日本プロレスに参戦し,世界ジュニアの王座を奪った丸藤選手と,このツアー中の13日にGHCジュニアの王者になったKENTA選手の一戦。試合自体は前ツアーの直後には発表されていたもの。ふたりの対戦は現在形のタイトル戦として行われ,その年のベストバウトに選出されたGHCヘビー級選手権以来2年ぶりでしたので,タイトルがどうこういう前に個人的に注目していました。
 2年前は丸藤選手が鉄柵越しのケプラータを失敗してしまうというアクシデントがありましたが,この日はそれに成功。またKENTA選手も50分過ぎには3カウントを奪ってもおかしくないシーンを連続させましたが,結果は60分戦い抜いての時間切れ引き分け。ジュニアの試合としてはかなり珍しいケースではないかと思いますし,NOAHでも60分での時間切れというのはこれが初めてのケースでした。
 どうもダブルタイトル戦という試合形式が,この結果に影響してしまったように思います。負ければ共に失うものがるというような試合は,少し難しい面があるのではないでしょうか。とくに今回の場合,一方が全日本のタイトルでもう一方がNOAHのタイトルでしたし,丸藤選手と違い,KENTA選手には世界ジュニアのベルトはこだわりがなかったようなのでなおさらだったと思います。世界ジュニアが懸かった試合ということで,全日本の和田京平レフェリーが捌きましたが,何となく3つ目を叩きづらそうにしているように僕には感じられました。

 明日はエリザベス女王杯です。これはカワカミプリンセス◎とベッラレイア○とポルトフィーノ▲以外に魅力を感じる馬がいませんので,異例ですが3頭で。

 第二部定理一九の意味のうち,第二の意味の方を証明するためには,第二部定理一一系が含む意味というのを,さらに深く理解しておく必要があります。
 この定理は,人間の精神が神の無限知性の一部であるということにより,もしもある人間Aがいて,Aの精神のうちにXの十全な観念があるならば,これはAの精神の本性を構成する限りで,あるいは別のいい方をするならAの身体の観念を有する限りで,神のうちにXの観念があるということであり,もしもAの精神のうちにXの混乱した観念があるならば,Aの精神の本性を構成すると共にほかのものの観念をも有する限りで神のうちにXの観念があるということだということを示したものです。
 しかしこれをさらに深く探るならば,もしもある人間Aの精神のうちにXの観念があるならば,それはAの精神の本性を構成する限りで神のうちにXの観念があるか,そうでなければAの精神の本性を構成すると共に何かほかのもの観念を有する限りで神のうちにXの観念があるかのどちらかでなければならないということを含意します。観念は,その内的秩序によってみられる限り,十全な観念であるか混乱した観念であるかのどちらかなので,これは当然といえば当然のことですし,そもそもそうでなければ,人間の精神が神の知性の一部であるということに反します。
 このとき,Aはどんな人間にも妥当であり,Xはそれが人間の精神によって認識し得るもの,すなわち延長の属性に属するものであるか思惟の属性に属するものであればすべて該当します。そして人間の身体は延長の有限様態ですので,一般に,ある人間の精神のうちに自分の身体の観念があるならば,この人間の精神の本性を構成する限りで神のうちにこの人間の身体の観念があるか,そうでなければ,この人間の精神の本性を構成すると共に,ほかのものの観念を有する限りで神のうちにこの人間の身体の観念があるかのどちらかであるということになります。
コメント
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