スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ピースカップ&第三部定理二まとめ②

2008-11-01 19:34:54 | 競輪
 おそらく最後になるであろうふるさとダービーは広島競輪場を舞台に開催中。今日が2日目で,メーンレースはピースカップでした。
 前受けは山崎選手。山口選手を挟んで5番手に北津留選手。この後ろは最初から競りになりました。後ろが競ったまま北津留選手が上昇していきましたが,山崎選手が突っ張る構えを見せたので,叩くのには手間取り,打鐘前辺りでようやく前に。一旦は神山選手が番手を確保しましたが,内から西田選手の追い上げ。さらに山口選手も外から上がり,最終ホームでは山口選手が番手に入りました。ただ,引いた山崎選手がここからかましていくと北津留選手は抵抗できず,あっさりこのラインの3車で出きり,そのまま3人の勝負に。3コーナーから伏見選手が車間を開けて直線から抜きに行きましたが,その外を渡辺選手が伸びて1着。伏見選手は2着で山崎選手が3着。
 結果的には北津留選手がホームで様子を見すぎてしまったのがすべて。逆にいえばそこをついて早めにかましていった山崎選手が巧みであったともいえます。最初に少し突っ張った分,末を欠いたかもしれません。伏見選手は絶好でしたが,3番手の渡辺選手に抜かれるあたりは,まだ番手戦への慣れが足りないのだろうと思います。

 明日は天皇賞です。無謀でしょうがアドマイヤフジ◎に期待してみます。ディープスカイ○,ウオッカ▲,ダイワスカーレット△で,あとはドリームジャーニー△とサクラメガワンダー△。

 もちろん反論への反論をするということは可能なのですが,このときにはひとつ注意しておかなければならないことがあります。それはスピノザの哲学におけることばの問題で,この場合とくに,思惟の様態とことばとを混同しないようにしなければなりません。また,自分の身体をある運動ないしは静止に決定するような意志というとき,これは具体的意志,つまり個々の意志作用として考える必要もあります。そうした観点からすれば,瞬きの場合というのは,なお反論の余地を有し得るような例ではないかと僕には思えます。
 そこで僕が例として取り上げたのが排泄,中でも排泄の一種としての排尿でした。ここでいう排尿の意味は,純粋に人間の身体の運動ですが,この排尿という運動に関係するようなある観念は,確かに排尿という運動をなす人間の意志作用の原因となり得ると僕は考えたからです。
 ただし,人間の身体の排尿という運動と,この排尿という運動に関係するような意志作用は,延長作用と思惟作用ですので,今度は,この排尿という延長作用を,思惟作用による区分によって分類しなければなりません。そのために,排尿という運動をなす際の人間の精神の状態により,僕はこの運動を失禁放尿とに分類しました。なお放尿については,本当は排尿という運動を肯定する思惟の様態が実在する状態での排尿というべきところ,排尿という運動を否定する思惟の様態が実在しない状態での排尿というように,一種の消極的な表現を用いましたが,これは経験論に合致させるためであり,実際にはここには意識と無意識の関係があって,本来は排尿というのは,この運動に関する何らかの肯定的な思惟の様態が実在する状態での排尿であると僕は考えています。このことは後に罰のテーマで考察していくことになるでしょう。
コメント
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