スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サマーナイトフェスティバル&混乱した観念の発生

2008-07-20 21:40:46 | 競輪
 第4回にして初めて西日本での開催となったサマーナイトフェスティバル。今晩が決勝でした。
 内田は新田につけてそれ以外の並びは昨日の予想通り。ただし新田は稲垣ラインを追走という形で,井上選手は山崎ライン追走というレースになりました。
 前受けは渡部選手。3番手に山崎選手,井上選手を挟み6番手が稲垣選手で,新田選手が8番手という周回。
 残り2周のホームから稲垣選手がゆっくりと上昇。打鐘で渡部選手を抑えると,新田選手-内田選手まで出ての抑え先行。上昇してきた山崎選手は5番手を渡部選手から奪ったのですが,バックでは再び内から上がってきた渡部選手に弾かれてしまい捲れず。3コーナー過ぎから捲り追い込む形になった新田選手が,稲垣選手の番手から出た加藤選手を抜いて1着。加藤選手が2着で,山崎選手を弾いた後,直線は外に出た渡部選手が3着でした。
 優勝した静岡の新田康仁選手はこれがビッグ初優勝。むしろようやくといった感じでしょうか。グレードレースも昨年2月の静岡記念以来です。捲りが主力ですが逃げることもできる自力型で,横の動きもある程度はこなせる選手。これに最近はレースの読みの巧みさも加わってきた印象。脚力のことをいう前に,今日は何といっても稲垣ラインの3番手からという選択をしたのが素晴らしい判断でした。

 明日は盛岡でマーキュリーカップです。ここはJRA勢による争いが濃厚。フィフティーワナー◎が中心で,サカラート○が相手筆頭。以下,エイシンロンバード▲,スウィフトカレント△,ヤマトマリオン△。

 混乱した観念がいかにして人間の精神のうちに生じてくるのか。『エチカ』ではこのことはやはり第二部定理一七を代表とする表象ないし表象像で考えるのが最も手っ取り早いだろうと思います。ただし,表象の様式の観念については,表象する人間の精神のうちにはその十全な観念があることができないので,この場合は神のうちにある十全な観念と比較するほかありません。再び人間による月の表象の場合を例にとって考えてみます。
 人間Aがいて,このAの身体と月とが刺激しあうことにより,Aの精神のうちに月の表象像が形成されます。しかしこの表象像は,月の本性とAの身体の本性とを同時に含むような観念ですので,Aについても月についても十全な観念ではありません。よってこの限りでは,この表象像すなわち混乱した観念は,無以外の何ものでもあり得ないことになります。
 しかしこれが神のうちにあるという場合には違います。なぜなら神のうちにあるこの観念は,単に神がAの精神の本性を構成する,あるいはAの身体の観念を有する限りでそのうちにあるのではなく,Aの精神の本性を構成すると共に,月の観念をも有する限りでそのうちにあるからです。よってこれは十全な観念であり,こうしてみられる限り,この観念は無ではなくむしろ有です。
 そしてこのように考えれば,これらふたつの観念が同一の必然性で生じるということには問題は残りません。というか,これらふたつの観念は同じ観念にほかならないのです。ただもしもそれが神と関係付けられるならばそれは有であり,神と関連付けられずにただAの精神とのみ関係付けられるなら,それは無であるという相違があるというだけのことです。よって必然性の問題も実在性の問題も,ここでは解消されているといえるでしょう。
コメント
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