スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

続・一手損角換り考&完全性

2008-07-07 19:49:53 | 将棋トピック
 以前に一手損角換りについて考えてみましたが,そこでは紹介していなかった別の指し方がありますので,この戦型の最初の部分の変化を改めてまとめ直しておきます。
 1 ノーマル型
 この形は初手から▲7六歩△3四歩▲2六歩△3二金を基本とします。もちろん▲7六歩と▲2六歩の順序は逆でも構いません。
           
 ここから先手の対応により,ふたつに分かれます。
 1-① ▲7八金保留型
 これは第1図から▲2五歩△8八角成▲同銀△2二銀と組む形です。
           
 1-② ▲7八金型
 これは第1図から▲7八金△8四歩▲2五歩△8八角成▲同銀△2二銀です。
           
 ここではこう進めましたが,△8四歩に替えて△9四歩と突くのもこの形です。
           
 2 △9四歩型
 これは第1図を経由しない指し方。初手から▲7六歩△3四歩▲2六歩△9四歩▲2五歩△8八角成▲同銀△2二銀です。もちろん▲7六歩と▲2六歩は逆でも可です。
           
 これらふたつは前に紹介しました。まったく異なる戦型に思えますが,同じ思想背景となっているのは,先手が▲2五歩と突いたときに△8八角成とする点でした。
 3 ▲2六歩型
 別の指し方は,第1図から▲7八金のときに,すぐに△8八角成とし,▲同銀に△4二銀とする指し方。
           
 1-②に似ていますが,△4二銀とこちらに上がれるのが後手の利点。ただし,先手も▲2六歩のまま駒組みできますので,一長一短とはいえそうです。先日の竜王戦本戦トーナメントで糸谷哲朗五段が指したほか、今期の棋聖戦最終予選3回戦の屋敷伸之九段と松尾歩七段戦,先月の14日に放映された銀河戦Bブロック10回戦の三浦弘行八段と松尾歩七段戦で,共に松尾七段が指しています。竜王戦の記事では新型と書きましたが,必ずしも新しい形というわけではありません。古くは第18期竜王戦七番勝負第四局で,木村一基七段(当時)が渡辺明竜王に対して指しています。渡辺竜王が自戦解説している通り,やはり1-②と3は,同じようでまったく違う将棋と思います。

 明日は棋聖戦五番勝負第四局。先手になりますので,佐藤康光棋聖としてはここで勝って防衛を決めたいところではないかと思います。

 寛仁親王牌は決勝です。新田-山崎-岡部-成田の福島。関東は平原-飯島で並び,手島と小橋はそれぞれが自在に。渡部は単騎。狙われることみえみえでも山崎選手。

 この第四の意味の証明に関しては,気をつけておきたいことがあります。
 僕は人間の精神のうちにある十全な観念があり,この十全な観念から混乱した観念が生じるならば,結果の実在性が原因の実在性を超越してしまうという観点から,これが不条理であるといいました。しかしこう考えると、一般的に、人間の精神のうちにある混乱した観念は、同じ人間の精神のうちにある混乱した観念よりも,より多くの実在性を有する,また,実在性とは,スピノザの哲学においては第二部定義六にあるように,完全性と同義ですので,より完全であるといっているように思えるかもしれません。けれど僕が意図していることはそういうことではありません。
 ある人間Aがいて,このAのうちにXの観念があるとすれば,これはAの精神の本性を構成する限りで,神のうちにXの観念があるということを意味します。一方,AのうちにYの混乱した観念があるということは,Aの精神の本性を構成するとともに,ほかのものの観念を有する限りで神のうちにYの観念があるということを意味します。そこでこれらの限りで神のうちにあるXの観念とYの観念を比較するならば,確かにYの観念はXの観念よりも多くの実在性を有するといえますし,またそれだけ完全であるということを僕は否定しません。
 しかし,第二部定理七系の意味にあるように,神のうちにあるこれらXの観念とYの観念は共に十全な観念です。つまり僕が実在性あるいは完全性を比較しているのは,ある十全な観念とほかの十全な観念であるということになります。
コメント (2)
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