第56期王座戦挑戦者決定戦。対戦成績は6勝6敗でした。
振駒で木村一基八段の先手。谷川浩司九段は4手目☖3三角戦法。角交換から☗7八金をみて四間飛車に。先手がかなり早い段階で角を打ちました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/b0/e6fcb3ca4c75c2f97dd614bc3f827592.png)
これでバランスが崩れてもおかしくないところですが,この角が後手が作った馬と交換になるという展開に。またやり直しみたいなことになりました。後手は第1図から第2図の間で別の変化を選ぶ余地もあったかと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/5b/b7606a26b4950eb5c4a710e6ec838c0f.png)
この後,先手はすぐに敵陣に角を打ち込みました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/fa/e911eb30accf000b07c2fe563ed585e3.png)
ここからは先手の攻めを後手が凌ぐ展開となり第4図に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/38/e32f80fcd655f9264bedab8dd221f1b7.png)
どうも先手が一遍には攻めきれそうもない局面。ただ,後手も3四に桂を打って受けているのは不本意かもしれません。ここで木村流は☗1八香ではないかと思って観戦していたら果たしてそう指しました。
結果的にこの手は好判断だったのではないかと思います。後の展開で取られて香損ということになるのですが,それで後手の馬の働きを鈍くすることができました。
第5図以下,先手に見落としがあったようで急に先手玉も危なくなりました。実戦は後手が☖8七角と打つところで☖8九角から3四の角を抜いても先手が優勢とのことですので,☖8四香と打ったところで変わる手がないならば,見落としがあっても先手が残っていたということではないかと思います。
これで羽生善治王座には木村一基八段が挑戦することになりました。木村八段のタイトル挑戦は2度目となります。
明日から王位戦七番勝負第三局が始まります。
スピノザの哲学において真理veritasとは何であるのかと考えたとき,認識論的にいうならば,これは真の観念idea vera=十全な観念idea adaequataの総体であるということになります。よって真理の性質,いい換えれば真理の真理たるゆえんをある人間に教えるものが何であるのかといえば,これはその人間の精神mens humanaのうちにある真の観念であるということになります。一方,虚偽falsitasは真理に反するものであり,真理の真理たるゆえんを含まないようなあるものであるということになります。そこでそれが虚偽であるということを人間に教えるものもまた,その人間のうちにある真の観念=十全な観念であるということになります。つまり,ある人間の精神のうちにある混乱した観念idea inadaequataは,その人間に真理も虚偽もどちらも教えないのに対し,その人間のうちにある十全な観念は,真理の何たるか,また虚偽の何たるかを同時に教えるということになるのです。
ところで,誤謬errorとは虚偽そのものではなく,虚偽に含まれる,それが虚偽であるという認識cognitioの欠如です。よって人間を誤謬から逃れさせるものは,ある十全な観念であるということになるでしょう。
よって人間の精神のうちにある十全な観念があるなら,少なくとも人間は自身の精神の一部を構成する混乱した観念について,それが虚偽であるということを知ることができるといえると思います。よってこりん星の観念とかペガサスの観念というのは,それ自体の十全な観念が人間の精神のうちにあるということができなくとも,それが虚偽であるということを人間は知ることができます。よってこの観念が必然的にnecessario生じる仕方は,たとえば月のような,形相的にformaliterその対象ideatumを有する混乱した観念が生じる必然性necessitasが,その十全な観念の生じる必然性と同一であるように同一であると,認めてもいいのではないでしょうか。
振駒で木村一基八段の先手。谷川浩司九段は4手目☖3三角戦法。角交換から☗7八金をみて四間飛車に。先手がかなり早い段階で角を打ちました。
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これでバランスが崩れてもおかしくないところですが,この角が後手が作った馬と交換になるという展開に。またやり直しみたいなことになりました。後手は第1図から第2図の間で別の変化を選ぶ余地もあったかと思います。
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この後,先手はすぐに敵陣に角を打ち込みました。
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ここからは先手の攻めを後手が凌ぐ展開となり第4図に。
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どうも先手が一遍には攻めきれそうもない局面。ただ,後手も3四に桂を打って受けているのは不本意かもしれません。ここで木村流は☗1八香ではないかと思って観戦していたら果たしてそう指しました。
結果的にこの手は好判断だったのではないかと思います。後の展開で取られて香損ということになるのですが,それで後手の馬の働きを鈍くすることができました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/0c/6c56a85e5e4e1e067e21a72b05c53aba.png)
第5図以下,先手に見落としがあったようで急に先手玉も危なくなりました。実戦は後手が☖8七角と打つところで☖8九角から3四の角を抜いても先手が優勢とのことですので,☖8四香と打ったところで変わる手がないならば,見落としがあっても先手が残っていたということではないかと思います。
これで羽生善治王座には木村一基八段が挑戦することになりました。木村八段のタイトル挑戦は2度目となります。
明日から王位戦七番勝負第三局が始まります。
スピノザの哲学において真理veritasとは何であるのかと考えたとき,認識論的にいうならば,これは真の観念idea vera=十全な観念idea adaequataの総体であるということになります。よって真理の性質,いい換えれば真理の真理たるゆえんをある人間に教えるものが何であるのかといえば,これはその人間の精神mens humanaのうちにある真の観念であるということになります。一方,虚偽falsitasは真理に反するものであり,真理の真理たるゆえんを含まないようなあるものであるということになります。そこでそれが虚偽であるということを人間に教えるものもまた,その人間のうちにある真の観念=十全な観念であるということになります。つまり,ある人間の精神のうちにある混乱した観念idea inadaequataは,その人間に真理も虚偽もどちらも教えないのに対し,その人間のうちにある十全な観念は,真理の何たるか,また虚偽の何たるかを同時に教えるということになるのです。
ところで,誤謬errorとは虚偽そのものではなく,虚偽に含まれる,それが虚偽であるという認識cognitioの欠如です。よって人間を誤謬から逃れさせるものは,ある十全な観念であるということになるでしょう。
よって人間の精神のうちにある十全な観念があるなら,少なくとも人間は自身の精神の一部を構成する混乱した観念について,それが虚偽であるということを知ることができるといえると思います。よってこりん星の観念とかペガサスの観念というのは,それ自体の十全な観念が人間の精神のうちにあるということができなくとも,それが虚偽であるということを人間は知ることができます。よってこの観念が必然的にnecessario生じる仕方は,たとえば月のような,形相的にformaliterその対象ideatumを有する混乱した観念が生じる必然性necessitasが,その十全な観念の生じる必然性と同一であるように同一であると,認めてもいいのではないでしょうか。