スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ローズカップ&第四の意味の証明

2008-07-06 18:59:50 | 競輪
 前橋競輪場の通称はグリーンドーム前橋。文字通りにドームで,室内競輪場。今日は寛仁親王牌2日目メーンのローズカップでした。
 Sは成田選手で新田祐大選手の前受け。4番手に稲垣選手,5番手に新田康仁選手で,6番手から平原選手。渡部選手が最後尾。残り3周のバックから平原選手が上昇していきましたが,新田祐大選手は突っ張って前に出させず。渡部選手が6番手まで追い上げ,平原選手は7番手。このまま一列棒状で打鐘を迎え,新田祐大選手の突っ張り先行という形になりました。
 平原選手はホームから巻き返していきましたが,これを見て4番手の稲垣選手が発進。新田康仁選手は平原選手とかぶって動けず。さらに稲垣選手の動きをみて新田祐大選手の番手から岡部選手も発進。楽なレース展開となった岡部選手がそのまま後続を寄せ付けずに1着。稲垣選手をうまく牽制しつつ成田選手も2着に流れ込み,稲垣選手が3着でした。
 全員が準決勝の切符を手にしているということもあり,やや単調なレースになりました。結果の方も,番手から4番手までの選手がそのままの順で1~3着。新田祐大選手の頑張りは光ったと思います。

 ある人間Aの精神のうちに十全な観念Xがあるとは,Aの精神の本性を構成する限りでXの観念が神のうちにあるという意味であり,ある人間Aのうちに混乱した観念Yがあるとは,Aの精神の本性を構成するとともに,ほかのものの観念を有する限りで神のうちにYの観念があるという意味になります。これは第二部定理一一系でスピノザがいっている通りですから問題ありません。
 そこで,人間Aの精神のうちにある混乱した観念が,同じ人間Aの精神のうちにある十全な観念から生じるということがあるとすれば,これは,Aの精神の本性を構成する限りで神のうちにある観念を原因として,Aの精神の本性を構成するとともに,ほかの物体の観念を有する限りでの神のうちにある観念が生じるという意味になります。
 ところがこれをいうことは,端的に第一部公理四に訴えることによって不条理であるということになります。なぜなら,結果の認識すなわち観念は原因の認識すなわち観念に依存するのですから,結果の観念の実在性が原因の観念の実在性を超越することはあり得ません。ところが,Aの精神の本性を構成する限りで神のうちにある観念と,Aの精神の本性を構成するとともにほかの物体の観念を有する限りでの観念は,ほかの物体の観念の分だけ後者の観念の実在性が前者の観念の実在性を上回ります。よって前者から後者が生じると主張することは,それ自体で不条理なのです。
 つまり,ある人間の精神のうちに混乱した観念があるなら,これはこの人間の精神のうちにある十全な観念からは発生し得ません。よってそれは混乱した観念から発生するということになるでしょう。これで4つの意味のうちの第四の意味が正しいということが,第一の意味が正しいということに訴えずに,それ自体で証明されたということになります。
コメント
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