スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

船橋記念&理性と憐憫

2008-01-09 20:07:09 | 地方競馬
 今日の第52回船橋記念に出走していたジルディーディーはここまで10戦9勝3着1回。この馬がここでどこまで通用するのかということは,ある意味では最大の焦点であったかもしれません。
 先手を奪いにいったのはそのジルディーディー。しかし内からシルヴァーゼット,外からサクラグッドラックも引かずにいき,激しい先行争いに。1000メートルでペースどうこういっても仕方がありませんが,最初の400メートルが22秒3。この距離のレースにしては縦長の展開になりました。
 先行勢から抜け出たのはシルヴァーゼットでしたが,中団に控えていたディープサマーが直線は外から一気に伸びて優勝。道中は勝ち馬の後ろに位置したプライドキムとベルモントギルダーも外から伸び,ゴール前でシルヴァーゼットを捕え,プライドキムが2着,ベルモントギルダーが3着という結果でした。
 優勝したディープサマーはJRA時代に2005年のクリスタルカップで重賞制覇。今日はそれ以来の勝利で3勝目。もちろん南関東重賞は初優勝になります。父はタイキシャトル。今日は先行勢が結果的に総崩れとなるレースで,道中の位置もちょうどよかったのではないでしょうか。騎乗した大井の戸崎圭太騎手は昨年の東京ダービー以来の南関東重賞優勝。
 プライドキムは11ヶ月ぶりを考えればよく走っていると思います。スプリント能力ではディープサマーに一歩ひけをとるのかもしれません。

 明日からは和歌山記念の開催となります。ここは強力メンバーが揃いましたがやはり小嶋敬二選手と佐藤友和選手。

 このように第三部定理五九が証明されますと,『エチカ』における人間の理性と憐憫という感情の間にある,ある関係というのが浮かび上がってきます。
 すでにこれは理性の特徴として示したことですが,人間の精神がある理性的な働きをなすということは,その人間の精神のうちにある十全な観念だけに関係するのであって,混乱した観念とは一切の関わりをもちません。そしてこのことは,とりもなおさず,人間の精神がある十全な原因として,すなわち能動的にある働きをなしているということを意味しているのです。
 そこで第三部定理五九に訴えれば,もしも人間の精神がそのように能動的である限りにおいては,これと関係するような感情というのは,基本感情のうちの喜びであるか,そうでなければ欲望であるかのどちらかなのであって,悲しみという感情はそこから生じてくるということがないのです。ところが第三部諸感情の定義一八により,憐憫という感情は悲しみの一種なのですから,結局のところ,人間が理性に従って事物を認識している限り,憐憫という感情はその人間のうちには生じてはこないということになるのです。
 もちろん,人間が理性的である限り,憐憫という感情が無用であるということは,このことだけから説明できるというわけではありません。それについてはまた後で考察しますが,第一義的にいえば,理性的な人間にとって憐憫という感情が無用であるということのうちには,このように,理性的な人間は憐憫という感情を抱くことがないという意味が示されているのだろうと僕は考えています。
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