スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

分裂の危機&因果論

2007-03-17 21:58:00 | 将棋トピック
 昨日,現状での将棋連盟からの独立に反対という女流棋士が記者会見を開いたようです。この内部対立は,独立するか残留するかではなく,喧嘩しても独立するか円満に独立するかの対立に思えます。独立という点で一致しているのなら,折り合うことも可能かと思えます。もうすでに寄付を集めているわけですから,「残留」希望の棋士が主張するようにすべてを白紙に戻すということは準備委員会としてもできないでしょうが,ただ説得するというだけではこの棋士たちを納得させることはできないと思えますので,独立後の新法人が連盟と良好な関係を保ち得る何がしかの手段を講じなければ,中井委員長がいうように分裂を回避するのは困難な情勢かと思います。一方,この棋士たちは本来は残留ではなく円満な独立を望んでいるのですから,連盟にもそれなりの責務があります。連盟は準備委員会との話し合いを拒否しているようですが,これは要望と変わらぬ感情的姿勢というべきで,むしろこの棋士たちが安心して独立できるように,可能な限り一致点を探すべく対話を繰り返すべきでしょう。この棋士たちに「残留」を希望させてそれで問題解決というならこれはひどく無責任な話だと思います。円満な独立というのは,僕が考える最善の方法であり,多くの将棋ファンにとっても同様なのではないかと思います。この棋士たちはその最善の結果を模索した人たちであるといえるわけですから,結果的にこの棋士たちが今回の騒動の最大の被害者になってしまったなどということだけはないようにしてもらいたいです。

 第二部定理四〇に関連する考察が当初に思っていたよりも長引いてしまいましたが,これについてはこれで終わりということにして,またテーマである責任論に戻ることとします。さて,これを考えていく前提というのは明らかになっているわけですが,これだけですとどこから手をつけていいものか分かりません。そこで,これをスピノザの哲学,なかんずくエチカに訴えて考えていくわけですから,まずはスピノザ哲学の原点に立ち返ってみることにします。それはいうまでもなく,この哲学全体を貫いているただひとつの原理(論理)といって差し支えない因果論で,エチカでいうなら第一部公理三ということになります。ここから,仮に人間に責任という概念が生じてくるのであれば,そこにはその概念が生じてくるだけの原因があるということが分かります。そこで,責任という概念がいかにして発生するのかを考えるということがまず第一であるということになりますが,第一部公理三は真理について妥当であるだけでなく虚偽についても妥当である,すなわち,十全な観念にのみ妥当であるだけでなく混乱した観念にも妥当であるということになりますから,まずはそれには誤謬はあるわけですが,考察の契機にはなるでしょうから,責任という概念の一般論においては,どのようにこの概念が発生し得るのかということを考えてみたいと思います。
コメント (3)
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