女流名人戦五番勝負第三局。中国での対局ということで時差があったわけですが、今日はネットに接続できたのがようやく8時前ということで、残念ながら将棋は終っていました。戦型は横歩取り△8四飛ということで第一局と同じ。横歩取りの将棋は往々にして中盤戦が短く、一気に終盤に突入するものですが、この将棋はその短い中盤戦で、先手の中井広恵女流六段がうまく飛車角交換に持ち込み、53手目に▲8二飛と打ち込んだ局面でははっきりと優勢に立ったと思います。こういう将棋はこの程度の差がつけばあっさりと決着するのが常なのですが、この将棋はここからかなり続きました。最終盤ともいえる寄せの段階で、先手が後手玉の左側からやや重めに攻め込んだのがおそらくその原因で、結果的に上部に脱出されてしまい、入玉を許してしまいました。ただ、先手の玉は捕まるような形勢ではありませんでしたので、局面としては先手が悪くなったというところはなかったように思います。矢内理絵子女流名人としては、どこかで持将棋に持ち込むようなチャンスがあったかもしれませんが、勝ち目というのはほぼない将棋だったと思います。最後は何とか後手玉を受けなしに追い込み、中井六段の勝ち。名人復位にあと1勝としました。矢内名人にしてはえらく不出来な一局だったように思います。
明日は熊本記念決勝。志村-武田-手島-内田の関東、市田-大井の近畿、佐藤と加藤は単騎で、小野は手島と競り。普通なら武田選手◎が大本命。競られるケースなら市田選手○と大井選手▲で、無理に競らないであろう佐藤選手△を少々。
明日から王将戦七番勝負第六局。先手の羽生王将としてはここで防衛を決めたいところではないでしょうか。
スピノザ哲学において責任論というのをどのように考えていったらよいかという前提条件が明らかになったところで、それが一般に責任ということばからイメージされるものとどのような齟齬を来すのかということを調べるために、ここで、一般に責任という概念がどのように考えられているのかということをみておくことにします。自分がなした事柄について、なぜ人間がその責任を取らなければならないのか、あるいはなぜ責任を取ることができるのかといえば、これはやはり端的に、人間は自分自身のなすこと、すなわち自分自身の行為というものを、自分自身によって決定できると考えられているからでしょう。一般に責任というのがこのように行為に対して問われるということは、たとえば犯罪に対する刑罰の考え方において、犯罪行為を犯した者が、そのときに精神的に衰弱していたとされる場合には、刑罰を軽減されたりあるいは課せられない場合があるということから明らかだと思います。したがってこのことを逆に考えれば、少なくとも人間が正常な精神状態にある限り、自分自身の行為を自分自身で決定し得ると考えられていることになります。そしてその決定を果たすのがその当人の意志ということになりますので、人間の意志はやはりその当人が自由に決定できるとされていなければなりません。責任の一般論には、まずこのふたつのことが前提となっていると思われます。
明日は熊本記念決勝。志村-武田-手島-内田の関東、市田-大井の近畿、佐藤と加藤は単騎で、小野は手島と競り。普通なら武田選手◎が大本命。競られるケースなら市田選手○と大井選手▲で、無理に競らないであろう佐藤選手△を少々。
明日から王将戦七番勝負第六局。先手の羽生王将としてはここで防衛を決めたいところではないでしょうか。
スピノザ哲学において責任論というのをどのように考えていったらよいかという前提条件が明らかになったところで、それが一般に責任ということばからイメージされるものとどのような齟齬を来すのかということを調べるために、ここで、一般に責任という概念がどのように考えられているのかということをみておくことにします。自分がなした事柄について、なぜ人間がその責任を取らなければならないのか、あるいはなぜ責任を取ることができるのかといえば、これはやはり端的に、人間は自分自身のなすこと、すなわち自分自身の行為というものを、自分自身によって決定できると考えられているからでしょう。一般に責任というのがこのように行為に対して問われるということは、たとえば犯罪に対する刑罰の考え方において、犯罪行為を犯した者が、そのときに精神的に衰弱していたとされる場合には、刑罰を軽減されたりあるいは課せられない場合があるということから明らかだと思います。したがってこのことを逆に考えれば、少なくとも人間が正常な精神状態にある限り、自分自身の行為を自分自身で決定し得ると考えられていることになります。そしてその決定を果たすのがその当人の意志ということになりますので、人間の意志はやはりその当人が自由に決定できるとされていなければなりません。責任の一般論には、まずこのふたつのことが前提となっていると思われます。