スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋王戦&観念と精神

2007-03-10 22:25:42 | 将棋
 棋王戦五番勝負第三局。角換り模様の立ち上りから森内棋王の10手目△5四歩が珍しい手。後手は5筋の位を取って角交換を拒否し、その間に先手の佐藤棋聖は2筋の歩を交換しました。僕が観戦し始めたのは昼食休憩時で32手目の△5三銀の局面。ここから2時半前まで断続的に見ていましたが、その間には戦いになりませんでした。後手は中央を制圧していますが、玉は先手の方が堅いので、実戦的にはいい勝負ではないかと思いました。次はもう7時前で、佐藤棋聖が▲3五角と打った局面でした。パッと見た感じでは先手の玉が絶体絶命のように思えたので、これは後手の勝ちと判断したのですが、数手ほど進んで森内棋王が投了。確かにその局面では後手の持駒が角と桂馬で、先手玉を攻めるのにも自玉を受けるのにも窮していて仕方がないのでしょう。ということは、僕が見た局面はすでに先手が勝ちの局面であったということで、僕自身の大局観の悪さに呆れました。57手目に▲9五角と逃げた角が最後になって働いてきて、さすがにここまで想定していたわけではないでしょうから、将棋全体の作りが佐藤棋聖にとってうまくできていたということではないかと思います。これで佐藤棋聖が2勝1敗。棋王奪取に王手がかかりました。第四局は23日に指されます。
 明日は玉野記念2日目優秀。並びは予想で、岡部-有坂の北日本、石丸-三宅の地元岡山、井上-小野の九州、空いた小嶋に渡辺-鈴木の南関東。たぶんこうなると思うので、これを前提に、小嶋選手◎が中心で追走の渡辺選手○。あとは岡部選手▲と小野選手△で。いつもと違い12レースです。

 第二部定理四〇は、あくまでもある十全な観念が精神のうちにある場合を前提としています。しかし精神というのはそれ自体がひとつの観念であると考えられるわけで、その場合にはどうなるのかということを問うてみる余地はあるのかもしれません。しかし僕はこれはあまり問題にならないだろうと思っています。というのは、ここで抽出したい事柄からして、ある知性(精神)の全体が、十全な観念と混乱した観念の双方から構成されている(少なくとも構成され得る)場合のみこの言及は意味をなします。ところが第二部定理七系の意味により、神のうちにある観念はすべて十全な観念です。つまり無限知性を構成する観念はすべて十全な観念であるということですから、十全な観念と混乱した観念の両者からその全体を構成される知性というのは有限異性に限られるのです。そして定理四〇の冒頭でいわれている精神とは、まさにある有限知性のことをスピノザは意図していると僕は考えます。したがって、この定理四〇の中に、十全な観念からは十全な観念が、十全な観念は十全な観念から、混乱した観念からは混乱した観念が、混乱した観念は混乱した観念から、という意味が一般的に含まれていると考えていいだろうと僕は考えます。
コメント
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