昨日,現状での将棋連盟からの独立に反対という女流棋士が記者会見を開いたようです。この内部対立は,独立するか残留するかではなく,喧嘩しても独立するか円満に独立するかの対立に思えます。独立という点で一致しているのなら,折り合うことも可能かと思えます。もうすでに寄付を集めているわけですから,「残留」希望の棋士が主張するようにすべてを白紙に戻すということは準備委員会としてもできないでしょうが,ただ説得するというだけではこの棋士たちを納得させることはできないと思えますので,独立後の新法人が連盟と良好な関係を保ち得る何がしかの手段を講じなければ,中井委員長がいうように分裂を回避するのは困難な情勢かと思います。一方,この棋士たちは本来は残留ではなく円満な独立を望んでいるのですから,連盟にもそれなりの責務があります。連盟は準備委員会との話し合いを拒否しているようですが,これは要望と変わらぬ感情的姿勢というべきで,むしろこの棋士たちが安心して独立できるように,可能な限り一致点を探すべく対話を繰り返すべきでしょう。この棋士たちに「残留」を希望させてそれで問題解決というならこれはひどく無責任な話だと思います。円満な独立というのは,僕が考える最善の方法であり,多くの将棋ファンにとっても同様なのではないかと思います。この棋士たちはその最善の結果を模索した人たちであるといえるわけですから,結果的にこの棋士たちが今回の騒動の最大の被害者になってしまったなどということだけはないようにしてもらいたいです。
第二部定理四〇に関連する考察が当初に思っていたよりも長引いてしまいましたが,これについてはこれで終わりということにして,またテーマである責任論に戻ることとします。さて,これを考えていく前提というのは明らかになっているわけですが,これだけですとどこから手をつけていいものか分かりません。そこで,これをスピノザの哲学,なかんずくエチカに訴えて考えていくわけですから,まずはスピノザ哲学の原点に立ち返ってみることにします。それはいうまでもなく,この哲学全体を貫いているただひとつの原理(論理)といって差し支えない因果論で,エチカでいうなら第一部公理三ということになります。ここから,仮に人間に責任という概念が生じてくるのであれば,そこにはその概念が生じてくるだけの原因があるということが分かります。そこで,責任という概念がいかにして発生するのかを考えるということがまず第一であるということになりますが,第一部公理三は真理について妥当であるだけでなく虚偽についても妥当である,すなわち,十全な観念にのみ妥当であるだけでなく混乱した観念にも妥当であるということになりますから,まずはそれには誤謬はあるわけですが,考察の契機にはなるでしょうから,責任という概念の一般論においては,どのようにこの概念が発生し得るのかということを考えてみたいと思います。
第二部定理四〇に関連する考察が当初に思っていたよりも長引いてしまいましたが,これについてはこれで終わりということにして,またテーマである責任論に戻ることとします。さて,これを考えていく前提というのは明らかになっているわけですが,これだけですとどこから手をつけていいものか分かりません。そこで,これをスピノザの哲学,なかんずくエチカに訴えて考えていくわけですから,まずはスピノザ哲学の原点に立ち返ってみることにします。それはいうまでもなく,この哲学全体を貫いているただひとつの原理(論理)といって差し支えない因果論で,エチカでいうなら第一部公理三ということになります。ここから,仮に人間に責任という概念が生じてくるのであれば,そこにはその概念が生じてくるだけの原因があるということが分かります。そこで,責任という概念がいかにして発生するのかを考えるということがまず第一であるということになりますが,第一部公理三は真理について妥当であるだけでなく虚偽についても妥当である,すなわち,十全な観念にのみ妥当であるだけでなく混乱した観念にも妥当であるということになりますから,まずはそれには誤謬はあるわけですが,考察の契機にはなるでしょうから,責任という概念の一般論においては,どのようにこの概念が発生し得るのかということを考えてみたいと思います。
m(_ _)m
「稚拙は巧遅に勝る」にコメントいただき、ありがとうございました!
spinoza05さんは、毎日毎日書き込みを続けていらっしゃって、本当にすごいと思います。
私は続けることが不得意なので、
「何かを続けるぞ!今年こそは!」と思っていたにも関わらず、ちょっと抜け抜けなので、本当に尊敬しています。
こういうところも反対だな、と感心もしてしまいます(感心するところではないのですが)。
しかし、ひとつ御願いが!
もう少しわかやすく&読みやすくはなりますか?
無理でしょうか???
何を難しいかと感じるかは人それぞれですので,漠然と分かりやすくできるかと問われても答えに窮してしまいます。どういったところがどうなれば分かりやすくなると思われるのかを具体的に指摘して頂けるとありがたいです。
Unknownの方は半分はふざけているようですが,的確であるとも思えます。何が難しいかと同様に何が簡単かもやはり人によって異なります。
直近の話でいけば第二部定理四〇の,十全な観念からは十全な観念だけが生じるというのは,それだけでみれば簡単であるともいえます。しかしこのブログの趣旨からして,なぜそれが正しいかをスピノザの考え方から説明していくことになるわけで,そのためにエチカの公理なり定理なりを援用します。結果として,簡単なことを難しく語っているということになっているかもしれません。
まとめて投稿すれば読みやすさという点は多少は解消されるのではないかと思いますが,今のところは現行のスタイルで継続していくつもりでいます。