スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&考察の前提

2007-03-07 22:57:44 | 将棋
 王将戦七番勝負第六局。今日は9時頃までネット環境になかったので、まったく観戦できなかったのですが、第一局と同様に千日手になったと知ってちょっと驚きました。昼食休憩の段階では両対局者とも千日手を覚悟していたようですが、2日目開始の段階では先手だった羽生王将が佐藤棋聖より1時間ほど多く残していたのが互角となり、かつ佐藤棋聖の先手となるわけですから、佐藤棋聖の方がうまくやったといえるのではないかと思います。指し直し局は後手の羽生王将が向飛車で先手の佐藤棋聖が居飛車穴熊。まず2筋で攻防があった後、43手目の▲7五歩から本格的な戦いに。中央で銀交換になった後、54手目に△4六銀と打ったのにはちょっと驚きました。ただ、この銀は一応は金と交換になりましたがその金を64手目に△7四金と打たなくてはいけないようでは後手が芳しくないと思います。75手目に▲7六銀で桂馬を入手し、この桂馬で王手をかけた後、87手目の▲4五飛打が詰めろ角取りで大勢が決しました。佐藤棋聖が勝って3勝3敗の五分に。すべてが決まる第七局は19日と20日に指されます。

 責任という概念に関する一般論にふたつの誤謬があるということからして、この後の考察の前提となるのは、人間の意志が自分自身の行為の原因ではあり得ない場合に、また、人間の意志が自由ではない場合に、それでも責任という概念があり得るなら、それはどのような概念であるのかということになります。しかし僕はこのうち前者に関しては、ここではこれ以上は考えていくつもりはありません。というのも、この一般論というのは、たとえこの前者が正しいと仮定されたとしても、後者の意志の自由が保証されないのであれば、結局のところ人間の行為は自由なものではないということになり、やはり人間が責任を負うことができなくなると考えられるからです。つまり前者が第一の要請として成立し、後者が第二の要請として加わることによってこの一般論は成立していると考えられます。ところが、スピノザ哲学の立場では、もしも第一のものが誤謬であるならば、そこにはどんなに真理であることを(この場合にはさらに虚偽を加えているわけですが)加えたとしても、そこから論理的に帰結されることは、第一のものがそうであるのと同様に誤謬であるとされるのです。したがって、この立場からは、前者、すなわち第二の要請については、これ以上はとくに考える必要がないだろうと僕は思います。
コメント
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