1月の日本武道館大会で初防衛戦となった三沢選手に挑戦して敗れた森嶋猛選手はその後,前シリーズの前半戦を欠場して渡米,当地でROHのベルトに挑戦するとこれを奪取,初めてのシングルチャンピオンになると,防衛にも成功して王者として帰国しました。今月の武道館大会はタイトルマッチなしの5大シングルマッチとなっていて,森嶋選手はKENTA選手との試合が決まっていましたが,急遽この試合が防衛戦として行われることになりました。現在形の両選手ですがこのふたりは昨年から激しくやりあってきた関係。それ以前は分かりませんが,ふたりがトップクラスとなってからはシングルマッチでははっきりとした決着がついていませんでしたので,白黒をつける試合となりました。開始直後から激しい打ち合いになり,KENTA選手のキックでやや危ないと思わせる場面もあったのですが,徐々に体格の差を生かし始め,最後はポンポンと気持ちいいくらいに何度も投げ技を決め,森嶋選手が勝っています。KENTA選手も森嶋選手クラスの体格の相手と戦う場合には,もう少し工夫が必要と感じました。森嶋選手は次期シリーズも前半戦を欠場し,アメリカでの防衛ロードに出ることが決定しています。
明日は玉野記念の決勝。並びは岡部-有坂-斎藤の北日本,手島-渡辺-鈴木の東日本,牧-小野の九州,地元の三宅は単騎。ここは手島選手◎と渡辺選手○からいくか,岡部選手▲と有坂選手△からいくかのどちらかで,牧選手の先行が予想されますので小野選手を絡めたいところです。
第二部定理四〇は,実在性(完全性)の観点を導入することにより,さらに別の仕方で証明できると思います。第一部公理三によれば,結果は原因があることによってあることも考えられることも可能になるのですから,結果の完全性が原因の完全性を上回る,あるいは超越するということはあり得ません。そこである精神のうちにある十全な観念と混乱した観念とをスピノザによる証明と同様に神に関連付けて考えれば,Aの精神のうちに十全な観念があるとは,Aの精神を構成する限りで神のうちにある観念があるということであり,Aの精神のうちに混乱した観念があるというのは,Aの精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を構成する限りで神のうちにある観念があるということになります。したがって,ある精神のうちで,十全な観念を原因として混乱した観念が生じるというなら,結果として生じる観念の方が,ほかのものといわれている実在する何らかのものの観念を含む分だけ,原因として与えられている観念より大きな実在性(完全性)を含むことになります。つまりこの主張は,結果の完全性が原因の実在性を超越する,あるいは超越し得るという主張なのです。しかしこれは不条理です。よって,精神のうちにある十全な観念からは,十全な観念だけが生じるということになります。
明日は玉野記念の決勝。並びは岡部-有坂-斎藤の北日本,手島-渡辺-鈴木の東日本,牧-小野の九州,地元の三宅は単騎。ここは手島選手◎と渡辺選手○からいくか,岡部選手▲と有坂選手△からいくかのどちらかで,牧選手の先行が予想されますので小野選手を絡めたいところです。
第二部定理四〇は,実在性(完全性)の観点を導入することにより,さらに別の仕方で証明できると思います。第一部公理三によれば,結果は原因があることによってあることも考えられることも可能になるのですから,結果の完全性が原因の完全性を上回る,あるいは超越するということはあり得ません。そこである精神のうちにある十全な観念と混乱した観念とをスピノザによる証明と同様に神に関連付けて考えれば,Aの精神のうちに十全な観念があるとは,Aの精神を構成する限りで神のうちにある観念があるということであり,Aの精神のうちに混乱した観念があるというのは,Aの精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を構成する限りで神のうちにある観念があるということになります。したがって,ある精神のうちで,十全な観念を原因として混乱した観念が生じるというなら,結果として生じる観念の方が,ほかのものといわれている実在する何らかのものの観念を含む分だけ,原因として与えられている観念より大きな実在性(完全性)を含むことになります。つまりこの主張は,結果の完全性が原因の実在性を超越する,あるいは超越し得るという主張なのです。しかしこれは不条理です。よって,精神のうちにある十全な観念からは,十全な観念だけが生じるということになります。