スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京シティ盃&原因としての混乱した観念

2007-03-15 21:35:09 | 地方競馬
 昨日の東京シティ盃の回顧です。ここは逃げるのがベストと思われる馬が多かったので,どの馬が先行するのかが第一の焦点でしたが,長い向正面での先行争いに決着をつけたのは大外枠のナイキアディライトでした。前半の600メートルは34秒0。ダートの1200メートルというレースはスローペースになるということはまずあり得ず,もちろんハイペースですが,コース形態を加味して考えれば,ものすごくきついペーストはいえないのではないかと思います。コアレスタイムは好位で,フジノウェーブはその直後からのレース。直線に入っても逃げたナイキアディライトの脚はそれほど鈍りませんでしたが,これと先行争いをした各馬は末脚を失いました(それぞれが16頭立ての14~16着)。伸びてきたのはコアレスタイムとフジノウェーブで,粘るナイキアディライトを捕えて最後は1馬身半突き放したフジノウェーブが快勝。ナイキアディライトが2着に粘り,1馬身遅れての3着にコアレスタイムでした。優勝したフジノウェーブはこれで9連勝。重賞はここが初挑戦でした。2・3着の2頭は全国レベルで戦える馬ですので,この馬もそれだけの力があると考えていいと思います。2着のナイキアディライトは,この距離がベストとは思えませんが,単純な能力でいえばここでは断然の馬。距離適性から中心に期待したコアレスタイムは,純粋な能力面で先着された2頭に劣っていたということでしょう。実力馬が上位を占めるという,きわめて順当なレースでした。

 精神のうちにある混乱した観念があって,この観念を原因として十全な観念が生じるというのは,実はそれ自体で不条理なことをいっていると僕は考えます。なぜなら,十全な観念は同時に真の観念であり,混乱した観念は同時に誤った観念です。したがって第一部公理六からして,十全な観念がある実在的な対象を有するのに対して,混乱した観念というのはそうした対象を有していないような観念のことなのです。したがって,十全な観念と混乱した観念との相違というのは,単に十全な観念がある真理をその内容とする観念であるのに対して,混乱した観念は虚偽によってその内容を構成されている観念であるということだけではなく,スピノザ哲学に独特の平行論からの帰結として,十全な観念が実在的な観念であるのに対して,混乱した観念は非実在的な観念であるという点にもあるのです。したがってこれでみれば,精神のうちにある混乱した観念から十全な観念が生じる(生じ得る)という主張は,非実在的なものから実在的なものが生じる,すなわち,無から有が生じると主張しているにほかならないことが理解できると思います。しかし第一部公理三からして,結果の完全性(実在性)が原因の実在性を超越するということはあり得ないのでこれは不条理です。というわけで,混乱した観念から十全な観念が生じることはなく,これで四つの意味がすべて正しいということが明らかになったと考えます。
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