スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

対立の発端&補強

2007-03-16 21:29:07 | 将棋トピック
 このブログのスタイルの説明です。
 経緯で紹介した米長会長の助言の内容について,石橋女流四段がメモという形でその内容の一部を公開しています。これでみれば,独立の原因ともいえる女流棋士の地位の改善については,現状のままでは連盟はそれをする気がないようです。経営に関わる部分はともかく,女流棋士に正会員の資格を与えるか否かという点については,おそらく米長会長の個人的意見ではなく,多かれ少なかれ多くのプロ棋士(正会員)が共有する認識ではないかと僕は推測します。ですから,独立するという判断はやはり正しかったと僕は思います。僕がこのエントリーで注目するのは最後にある「まぁでも現状じゃあ独立は無理でしょう」という部分。このメモの流れからすると,これは独立できるものならしてみろという挑発に受け取れますし,こういう形でメモを残したのですから石橋四段はそう受け取ったのだろうと思います。しかし米長会長の真意は,発言にもある,米長会長自身が意味する友好的という意図だったのでしょう。なお,この内容は,実際には女流棋士には明らかにはされてなく,後に相談を受けた場合に米長会長が考えていた私案のようなものだったのかもしれません。いずれにせよこの友好的というのは特殊な意味と僕は思いますし,この流れの中での発言ということを考慮すれば,石橋四段がそれを汲み取れなかったとしても無理からぬことと思います。ただ,こう考えるとこれは発端の部分から双方に誤解が生じていたようで,その誤解を解かないままに両者が突っ走ってしまった結果が現状のようです。逆にいえば円満な決着を図るためにはそこまで戻らないといけないわけで,それこそ長考が必要だということになるでしょう。個人的にはそれを望みはしませんが,もう喧嘩別れになることも覚悟はしています。ただ,連盟に残っては現在以上の地位の向上は見込めないわけですから,少なくとも大部分の女流棋士が結束して独立してほしいと願います。意見の相違はあるでしょうが,女流棋士をまとめあげる準備委員会の手腕に期待しています。

 混乱した観念を原因として生じる観念がどういった観念であるのかを考える視点は,実は第二部定理四〇のスピノザによる証明を別の角度からも補強する要素になると僕は思います。観念を神に関連付ければ,ある精神のうちにある混乱した観念は,この精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を有する限りでの神(の思惟の属性)で,十全な観念はこの精神の本性を構成する限りでの神です。実在性の観点からは,前者から後者が生じることがあり得そうですが,実際にはそれは無から有が生じるということなのですからこういうことはあり得ません。いい換えれば,ある精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を有する限りで神のうちにある観念からは,同様にある精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を有する限りで神のうちにある観念だけが生じるのです。そしてこれは,実はある精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を有する限りで神のうちにある観念から別の観念が神のうちに生じると考えた場合に,定理四〇の証明と同じ手続きを踏んでいるのです。なのでこれがそれを補強するといえると僕は思うのです。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする