スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

朱雀賞&神の実在・結論

2006-09-29 22:52:59 | 競輪
 向日町記念2日目優秀として行われた朱雀賞(ネット上に動画を見つけることができませんでした)。前受けしたのが南関東勢で,村上選手がこれを抑えると,そのまま少しも流さずに先行しました。2分戦でこれは予想通りの展開です。これを海老根選手が捲って出たのですが,最終的に前段を飲み込んで1着でのフィニッシュ。ただし海老根選手を追走した冨田選手は追走で一杯になってしまったようで,2着には先行した村上選手の番手から酒井選手が入り,村上選手が3着に残っています。海老根選手は僕はわりと高く評価している選手で,今日のようにかなり強いレースを見せてくれることもあるのですが,展開の面で失敗してまったくの不発に終ってしまうケースもままあり,高く評価しているだけに逆にそれが不満なところです。どちらかというと,今日のように完全に力勝負となるようなレースの方がよい結果を収めていて,そういうレースに持ち込む技術が必要とされているように思います。勝ったのにちょっと辛口になってしまいました。

 神の実在を人間がそれ自体で知ることができるかどうかということについて,エチカあるいはスピノザの哲学に訴えて考える限り,それはできるとも考えられるし,できないとも考えられそうです。したがって,正直なところをいえば,これについてもどちらなのか分からないというのが結論のですが,僕の考えとしては,知ることができないという結論の方に現時点では傾いています。というのは,前にもいいましたが,僕は定義三は名目的な定義であると考えていて,そうであるからには,少なくとも定理一から定理八までは実在的にではなく名目的に証明されていると考えているのですが,これらの名目的な証明の意味というのは,定理一一の証明のための準備であるとしか考えられないのです。とすれば,それらによってようやく定理一一,すなわち神の実在が証明されるわけで,そうである以上は,神の実在がそれ自体で人間に知られることはないと考える方が自然であると思えるからです。なので,これはあくまでも現時点での結論ですが,このことについては,神の実在がそれ自体で人間に知られ得るということはないと考えておくことにします。
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