スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

高慢&第一部定理二証明

2006-09-12 23:05:36 | 哲学
 僕が名誉欲のような欲望が希薄な人にスピノザ主義者の要素を感じることについて補足します。名誉欲とは名誉に対する過度の欲望(第三部諸感情の定義四四)で,名誉とは他人から賞賛されると表象(想像)する自分の行為の観念を伴った喜び(第三部諸感情の定義三〇)です。これは喜びなので善であって(第四部定理四一),したがってこれを自分自身の行動の基準にすることは,それが受動であるということを別とすれば否定されません。ところが,受動感情としての名誉欲というのは狂気の一種(第四部定理四四備考)で,高慢な人間であるということと変わらない(第五部定理四備考)のです。高慢も自分について正当以上に感じるような自己愛(第三部諸感情の定義二八および同説明)で,自己愛であるからには喜びに違いないのですが,これは自分自身を正当以上に感じること,すなわちそういう混乱した観念を原因としているのであって,それが実は現実のものであると思い込み,かつ,その混乱した観念を排除するような観念が自らの精神のうちにはないという理由でそれを誇っているにすぎず,これもまた狂気の一種(第三部定理二六備考)なのです。だれとはいわないですがこういう人間ていますよね。そのゆえに,僕は名誉にとらわれない人に,スピノザ主義の匂いを感じてしまうのです。
 王位戦の第六局は佐藤棋聖のごきげん中飛車でした。△4四歩を突かないのが佐藤棋聖の工夫のようです。戦いに入ったところで封じ手となりました。なお,秦野での対局ですが,サイトの運営がまた西日本新聞。対局前のインタビューで羽生王位が中盤が好きと答えていたのに対し,佐藤棋聖が序盤と終盤が好きと答えていた対比が面白かったです。とくにこのふたりの対戦では,序盤の構想力では佐藤棋聖が上回り,中盤でごちゃごちゃした戦いになると途端に羽生王位が力を発揮してくるような印象を感じていただけになおさらです。

 定理二はとくに証明が必要ではないかもしれません。スピノザ自身,これは定義三からの帰結事項であると証明していますし,そうでなくとも,ここではふたつの実体が異なった属性を有するということ,つまり,定理四で表されるふたつの区別のうち,ふたつの実体が実在的に区別されるということが定理の前提となっているわけで,そうであるなら,ふたつの実体に共通点があるということがどのような意味をもつのかということから考えても,この定理が正しいということは疑いようがないと思うからです。もちろん定理二の証明に定理四を使うことは本来の意味からすれば正しくないですが,重要なのは定理二の内容の正しさですので,ここではあえてこう考えてみました。ということで,定理二については何も問題がないとして,定理一一の第二の証明に進んでいくことにします。
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