スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ニーチェとスピノザ・統一&無限

2006-09-01 23:32:14 | 哲学
 神は死んだというニーチェのことばは,実はスピノザを標的にしているのではないかと僕には思えることはもちろん,現実的にニーチェの哲学とスピノザの哲学では根本的に対立していると思える部分があることからしても,僕は基本的にこのふたりの哲学には埋め難い溝があって,究極的にいえば,ニーチェの哲学を選ぶのか,それともスピノザの哲学を選ぶのかという選択があるだけだと考えていました。ところが,現代思想のスピノザ特集に掲載されている浅野俊哉さんの論文によると,ドゥルーズは自分のすべての仕事について,それはニーチェとスピノザの重大な統一を目指していたという意味のことをいっていたと知りました。ニーチェとスピノザの統一。正直にいえばそれは僕にとって,無理であるとか可能であるとかいう前に,思いつきもしないような視点でした。それにどういう方法があるのかということは別としても,このことを知って以来,このふたりの哲学に対する僕の視点というのが,少しだけ変わったのは間違いのないところです。
 明日から花月園競輪場でオールスターGⅠが始まります。。文字通りこれは,ファン投票で出場選手を決定する大会で,6日まで,5日間の開催です。明日はファン投票上位9名によるドリームレースがあるので予想します。ここはまったく自力が使えないという選手はゼロ。できるラインは武田-神山の関東,小嶋-加藤の中部,吉岡-小倉の西国で,山崎,海老根,村上は単騎になる模様です。ここは加藤選手◎と小嶋選手○,武田選手▲と神山選手△という順でしょうか。

 神についてそれを絶対に無限と定義していることから,逆にいえばそれは単に無限と定義するだけでは十分でないとスピノザが考えていたことは間違いありません。これも定義六の直後のスピノザの説明によれば,スピノザが考える無限には絶対に無限のほかにもうひとつあって,それは自己の類において無限といわれています。この説明からすると,各々の属性とか,それらの属性の無限様態(個物ではないような様態)が自己の類において無限といわれるようです。たとえば,物体としての全宇宙(延長の属性の無限様態です)というのは,それを限定するいかなる物体も存在しないという意味で無限ですが,それはたとえば思惟の属性に含まれるようなものの本性については一切含むことがないので,絶対に無限とはいわれずに,自己の類(延長の属性という類)において無限であるといわれるようです。
コメント
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