スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&第二の証明

2006-09-13 22:36:35 | 将棋
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 王位戦第六局。封じ手は▲5五歩で,これは予想された手でした。以後しばらく,互いに自陣の整備に手を費やし,佐藤棋聖の△3五歩から再び中盤の戦いに。羽生王位が三歩を持ったところで端攻めに出たのですが,どうやらこれが厳しかったようです。佐藤棋聖は玉で受けに出たのですが,この受けは功を奏さず,攻めの方も大駒を使って攻めることができない形で,羽生王位が勝ち,4勝2敗で王位防衛となっています。
 この将棋,封じ手の局面では羽生王位は作戦負けと思っていたようで,また持ち時間も一方的に使ってしまっていて,佐藤棋聖の方がよかったようですが,昨日も書いた通りで,中盤の本格的な戦いになって,羽生王位が力を発揮した印象です。佐藤棋聖はほかの棋士には片っ端から勝っているのに,羽生王位にだけはどうしても勝てないという感じです。

 明日は大井トゥインクルレディー賞があります。やや距離不足の感はありますが,このメンバーでは能力上位とみて中心はテンセイフジ◎。相手は3歳のグリーンベイ○と,峠を過ぎた感じもしますがオルレアン▲。以下,アヤパン△,セイエイシェ-ン△と考えます。

 第一部定理一一の第二の証明の前提となるのは,もしも神Deusが存在しないなら,存在しないだけの合理的な理由(原因)がなければならないということです。そしてそれは,神のうちにあるか神の外にあるかのどちらかです。
 もしもそれが神のうちにあるというなら,これは神の本性natura,essentiaのうちに神の存在を排除する原因があるという意味ですから,つまり神の本性には矛盾があるという意味で,これをいうのは最高に完全であるという神の特質からして不条理です。
 一方,それが神の外にあるなら,第一部公理一の意味からして,それは実体substantiaか様態modi,modusのうちにあるのですが,様態は実体のうちにあるのですから,実体である神が存在しない原因が様態のうちにあるというのは不条理です。すると,それは実体のうちにあるでしょうが,その実体は神とは本性が異なる,いい換えれば,神とは異なる属性attributumを有する実体でなければならず(なぜなら,それが神と同一の本性を有する実体であれば,それ自体が神にほかならないので),第一部定理二によりその実体は神とは共通点をもちません。すると前回のテーマとして扱った第一部公理五により,その実体の概念conceptusが神の概念を含むことはないので,第一部公理四により,この実体が神の存在を排除する原因にはなり得ません。
 したがって,神の存在を排除するようなものは何も存在しないのです。よって,神は必然的に存在するということになります。
コメント
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