2019年4月16日(火)に奈良駅より橿原神宮前へ近鉄線で壺阪山駅へここから高取城跡に行って来ました、14日が雨の為中一日開けて今日にしました良い天気ですね、子供たちが遠足?か大勢乗り込みましたが飛鳥駅で下車、後は吉野山の桜でしょうかね、この駅下車は殆どいませんでしたね。
案内図の真ん中少し上が高取駅・左上隅が高取城跡です、当然山の中のお城です。
説明版にあるとおり日本三大山城でいずれも百名城に含まれる名城です・・・備中松山城は現存天守で今に建物が残る数少ないものです。
これは縄張り図からCG復元した高取城のようです、此れから上りますが583m(比高350m)の山の上ですからね、曲輪の繋がる連郭式の山城では国内最大規模でしょうね。
バスで壺阪寺まで行くつもりでしたが、城下町のある土佐街道を歩く事にしました約2時間弱です、城下の風情ある街並みを上ります立派な武家屋敷も見られます・・・・平和になれば段々山から町へ降りてきますよね、しかし山中にこれだけの・・・。
街並みが終わり砂防公園まで来ました、此れからは山登りです。
宋泉寺との分岐です。
高取城跡の大手道の説明版と距離が掲げられています・・・所々標識もあり有難いです。
川が道とクロス・・・此処は黒門跡で城戸があったのです多分冠木門でしょうね、城下にも総門跡とか厳しく封鎖しています。
此処はもう城内なのでしょう。
七曲りと言われる難所です、此れだけでも下から攻める敵を上から狙い撃ちですからネ。
七曲りが過ぎると旧坂な直線コースが一升坂と名前が付くほど、何せ山頂の城内に食べ物等を毎日運び上げたのですからね、食べ物だけでなくこの先見る多量の石も運び上げたのですから・・・。
登りつめるとT字路に少し立ち寄りますね、右側に回り込みます。
回り込むと此処も幾つかの段丘になっていましたね、城郭の一部でしょうね、一番奥に石仏が(不動明王)、この辺はあれています。
T字路に戻り左側の本道を進みます。
漸く出てきました、途中の目安の猿石です、明日香村方面への分岐ですが大手道脇上なので気が付かない人もいました(実は後で聞かれました)、多分明日香村に災いが入らないように結界を張ったのでしょう、この少し先が二の門です。
高取城の縄張り図です・・・今左下が猿石の場所です、これからが本当のお城の中に入るのです、今回は左側のブロックまでです。
猿石を少し進むと二の門跡へ、石垣が大分崩れていますが、ハッキリしていますね。
二の門前の水堀です。
二の門内の正面は石垣があり、左側に回り込むみますが大分石垣が崩壊しています。
大きく回り込むと突き当りが見え(矢場門)手前に国見櫓の入り口が出てきました、国見櫓へ行きます。
矢場門石垣前から進むと左側の広場(荒れているが国見曲輪?)、右側の下段側にも広場が広がっていました(荒れているが)、突き当り奥の石垣上が国見櫓・・・・景色が良く見えます。
国見櫓の石垣上から見た眺望・・・大和遠く大阪方面まで見えるとか。
矢場門へ入ります、しかし素晴らしい石垣と枡形の防御形ですね。
少し進むとまた門が・・・松の門です、此処は石垣が崩れ補修してありますが無造作ですね、ここの冠木門が城下に移築されていましたね。
松の門を過ぎるとすぐまた門が、宇陀門の枡形構造の門。
少し離れて千早門が此れも枡形形式で・・・・これで先程の縄張り図の左側を終わり右側のブロックへと入りました。
千早門を抜けて見えて来た大手門です、この右横辺りが三の丸みたいですが荒れていました、しかし、この門の数・・・イエイエこの先病的なぐらいな防御をこのお城は見せるのです、なぜ?。