2014年7月13日(日)から15日(火)にかけて裏磐梯猫魔に行ってきました。
ホテル2泊のフリープランの行動ツアーです、近頃この手が多いですネ。
檜原湖周辺を熊よけの鈴を鳴らして散策、雨が時々降りました、遠くで銃の音が何発か鳴り響きました、結構熊さんが多いみたいです。
翌14日(月)は磐梯山を予定していましたが、やはり雨模様の為会津若松を観光しました、駅前の白虎隊の像・・これから飯盛山に行きます。
白虎隊が飯盛山のこの地で鶴ヶ城が燃える(実際は城下が焼かれた)のをみて最後をとげた・・・・・南鶴ヶ城を仰げば砲煙あがる・・・・・。
白虎隊19名の墓、御香が絶えません、今も沢山の方が来てお話を聞いて、私もまた涙が出ました、二本松藩でも少年隊のお話がありますネ。
その後、鶴ヶ城を本日は見ました、三の丸方面から、二の丸、内堀の周りをみて城内に入り北の出丸をでました、やはり大きな城です戊申の役で薩長との近代戦で1か月、熊本城同様凄い城です。
蒲生氏郷が当初は7層の天守閣、その後加藤家が5層にし北の出丸。西の出丸を築きました名城ですね、加藤嘉明は愛媛松山城でも有名ですネ。
二の丸からみた本丸への渡り橋、廊下橋です、堀の巾も大きいですね、銃撃戦にも耐えられますネ。
廊下橋正面の石垣・・・桝形です。
やや、北側よりみた鶴ヶ城。
城内の石垣上からみた廊下橋右側が二の丸でその向こうに堀があり三の丸が有りました、本丸側が高く守りやすい構造です。
東側から(二の丸がわ)見た鶴ヶ城。
やや南側からみた鶴ヶ城。
大手門(鉄門)をくぐり南西側から見た鶴ヶ城。
北西側からの鶴ヶ城。
天守から北側をみる、武者走りの石垣、上から攻めてくる敵を正面石垣上から迎え撃つ構造です、北の出丸にも桝形石垣が道路にそのまま残っています、北の出丸・西の出丸も大きな堀に囲まれた構造で当初の弱点を補う形で追加されたのでしょう、南側はどうなのかは判りませんでした?。
15日に磐梯山に上りました朝はまだそれ程良い天気ではありませんでした、八方台からの短いコースです、7時50分スタート。
中の湯後(建物は朽ちています)、正面は丸山ですかね、此処から本格的な山登りです。
弘法清水ここから35分で山頂へ撞きました、雲が出たり日が出たりの繰り返しで段々日差しが良くなりました。
10時山頂、猪苗代湖側は雲の中でしたが時々見え始めました。
雲が上がり始めましたネ。
櫛が峰と沼平がみえます、爆裂火口の跡です。
ここは弘法清水からの景色です、雲が上がり見晴がききます、左は檜原湖です。
段々雲が上がり、櫛が峰も良く見えます。
これは帰りのホテルからの磐梯山です。
今回は雨模様の中それでも磐梯山へ登れ良かったです。