2023年5月22日(月)に兵庫県の竹田城に行って来ました。
天正5年(1577)羽柴秀吉の但馬攻めで羽柴秀長が城代になり、以降織豊方の拠点城郭として機能、天正8年(1580)羽柴秀長は出石有子山城へ、天正13年(1585)赤松広秀が城主となり、石垣の城を構築(豊臣の力を示すお城)。
竹田城大手門下から石垣を仰ぐ・・・・・。
竹田城大手門・・・・北側・・・階段が奥に行くほど詰まっていますね。
大手門脇の石垣の上から今来た上り路を見る、奥の石垣が本丸側。
同じ場所から、大手門跡を見ます、左側が北千畳曲輪側、大手門を入ると桝形虎口が続きますね。
北千畳曲輪の西側から見た、二の丸・本丸の石垣と天守の石垣、以前4月ごろに来た時は木々の葉が無く良く見えたのですが・・・こちら側が昔は大手筋とか・・・水の手もこの下側にあるとか?。
大手門上側から見た所、枡形構造。
大手門上の東側端から見た、南側方面、奥に行くには正面の石垣を避けて、西側から回り込みますね。
振り返りますね、大手門・・・先程登って来た所・・・上からの攻撃で厳しいですね。
西側から二の丸・本丸・南側方面へ・・・・大手門筋からは此処を進むのです、横矢にかかりますね。
漸く二の丸へ上がりました、正面が、竹田城本丸天守台、以前来た時はその先立入禁止で上がれませんでしたね!!。
竹田城本丸・・・・天守台石垣。
天守台石垣から見渡しますね、まず、南側、右脇から平殿・南二の丸・南千畳。
もう少しアップで南二の丸と南千畳。
本丸脇から見た西側の花屋敷の曲輪。
北側の二の丸・三の丸・北千畳・・・此方から来ましたね。
北側方面西側、本丸下の通路(花屋敷・南側へ)、正面奥は北千畳・左下に水の手?。
もう一度南側の石垣を見ますね、見事な石垣ですね・・・・この時期は雲海は出ませんね・・・これだけのお城を築いたのですが、生活空間ではありませんからネ。
南千畳まで降りてきました、南二の丸虎口の石垣・天守石垣・二の丸の石垣群。
少し離れて、竹田城の本丸石垣を・・・見せる城ですね。