浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

日本語曲における人称代名詞論・序章

2011-07-04 20:37:50 | 音楽
なんか序章が続くけど。

最近よくこの話を飲みながらしていて、いつかまとめて書きたいな、と思っていた話。時間出来たのでまとめて書きます。長いしオチは無いよ。ちゃんとした言語学者であれば論文にまとめるところだろうけど。

音楽を聴いていて「おお」と思うところの一番は、僕は「歌詞」です。

人によっては「ここのギターがいいね」とか「こっからここのコードの変わりっぷりが絶品」とか思う人もいると思うんだけど僕は「歌詞」が一番グッと来る。それはたぶん僕が音楽的知識(コードがどうの、ピアノの旋律がどうの)がほぼ無い人間だからだろうと思う。

そもそも僕は、ここまで書いてることもそうなんだけど「自分が好きなこと」について言語化したい人間なんだなぁと思うんだよね。「なぜこれが好きなのか、なぜこれを好きだと思うのか」ということを言語化しないと自分でどうも納得が出来ない。でも音楽的知識が無いので音楽的要素について言語化出来ない。だから好きな曲について語るとき歌詞について語るしか方法論が無いから、なんじゃないかと思う。我ながら面倒な人だなとは思います。

そういうわけで「いいな」と思った洋楽の曲なんかを誰にも言われないのに訳したりしているわけです。

で、日本語の歌の歌詞の大きな特徴は、これは日本語の特徴でもあるわけだけど「人称代名詞」だと僕は思っています。

人称代名詞というのはつまり「僕」だとか「私」だとか「あなた」、「お前」とかね。特に大事なのは一人称代名詞、二人称代名詞。

これは英語から日本語への翻訳をやった人なら分かると思うけど英語を日本語に訳すときに一番最初にひっかかる点なんだよね。

たとえばこういう歌詞があるとします。

When I find myself in times of trouble. Mother Mary comes to me. Speaking words of wisdom, "Let it be."

言うまでもなくビートルズの「レット・イット・ビー」なんですが、これを「私」で訳すかあるいは「俺」、「僕」で訳すかでイメージがぜんぜん変わってくる。

意味としては「(自分)が悩んでるとき、」なわけだけど「私が悩んでるとき、」「僕が悩んでるとき、」「俺が悩んでるとき、」…ほら、ぜんぜん違うでしょ。一人称代名詞によってその後も変わってくるよね。

とにかくに日本語において人称代名詞というのはその文自体のイメージすら大きく左右する。主人公のキャラクターすら確定させてしまう。

たとえば「俺はお前が、」という文を見ただけで主格は男、とだいたい決まるだろうし「私はあなたが、」の場合は主格は女性っぽい(これは男性かも知れないけどね)。

更に言うと書き言葉にしたときには更にそれぞれに「漢字」「ひらがな」「カタカナ」とあるからこれまたヴァラエティに富んでいる。

「俺は、」「おれは、」「オレは、」、「僕は、」「ぼくは、」「ボクは、」、「私は、」「わたしは、」「ワタシは、」、、ほらね、ぜんぜんニュアンスが違う。

二人称だってそうだよ。「貴方は、」「あなたは、」「アナタは、」、「君は、」「きみは、」「キミは、」。

この人称代名詞のヴァラエティが日本語のヴァラエティの一つになっているし、話を戻すと、日本語の歌詞と英語の歌詞を大きな違いになっていると思う。

たとえば英語の歌だと同じ歌を男性歌手と女性歌手が歌ったりする。特にジャズのスタンダードナンバーに多い。

たとえば「My funny Valentine」。

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My funny Valentine,sweet comic Valentine
You make me smile with my heart...
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この歌詞を英語だと男性でも女性でも歌えてしまう。

男性が歌っているのを訳すと、、
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僕の愉快な恋人、ヴァレンタイン 優しくておかしな恋人、ヴァレンタイン
君はいつも僕を心から笑顔にしてくれる。。。
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だし、
女性が歌っているのを訳すと、
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私の愉快な恋人、ヴァレンタイン 優しくておかしな恋人、ヴァレンタイン
あなたはいつも私を心から笑顔にしてくれる。。。
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となる。

英語におけるこのへんの自由さがすばらしいと思うんだよね。

と言いつつやはり人称代名詞ばヴァラエティに富んでいる日本語は日本語でよさがあるわけだけど。

日本の歌、つまりまぁ歌謡曲での人称代名詞の変遷はどうなっているんだろう、と考えてみた。

しっかりぜんぶを調査したわけではなく、僕の個人的な歴史観でいうとまず戦後歌謡曲史で言うと始まりは「俺/お前」と「私/あなた」なんじゃないだろうか。

つまり男性歌手が歌う曲は「俺/お前」、女性歌手が歌う曲は「私/あなた」。このときはまだ演歌中心。

それがおそらくGSブームとかフォークブームによって、男性歌手の歌が「僕/君」となった。吉田拓郎の「結婚しようよ」なんかは「僕の髪が肩まで伸びて/君と同じになったら」だものね。

やはりこのあたりからウーマンリブ(すごい懐かしい言葉だな)だとかがあって、女性へスポットライトが当たることが多くなり、男性が父権性を表現するよりも同性性を現すことのほうが人気に繋がったんじゃないかと思う。

女性の人称代名詞はここまではあまり変化が無い。「私」が「アタシ」くらいの変化かなぁ。藤圭子の「十五、十六、十七と私の人生暗かった」なんて歌は文字で見ると「私」なんだけど実際歌を聴くと「アタシ」のほうがぴったりくる。

あ、中島みゆきの「ファイト」は公式の歌詞を見ても「あたし」だね。「あたし中卒やからね仕事を」って始まっている。

で、この後に大きな転換である女性歌手の歌詞の「僕/君」化が起る。

これを誰が始めたのかは僕はぱっと思いつかない。誰かJ-POPに詳しい人がいたらぜひ教えて欲しいです。

誰が始めたかはわからないんだけど、代表的なのは浜崎あゆみの歌なんじゃないかと思うけど違うかな。浜崎あゆみの歌詞は人称代名詞が「僕/君」が多いと思っているんだけど。

ほんと、このムーブメントがどこから始まったのかねぇ。知っている人がいたら教えて欲しい。僕が思いつくのは中島みゆきの「空と君とのあいだには」なんだけど、これはまぁ本質的には「自分=女性/相手=男性」って歌では無い。ぱっと思いついたのはGAOの「サヨナラ」(流れる季節に/君だけ足りない)なんだけど、これは別にムーブメント起こすほどじゃあないしなぁ。

リンドバーグの「今すぐKiss me」あたりかな、と思って調べてみたらこの曲には人称代名詞が出てこなかった。ジッタリン・ジンとかイカ天ブームからかな(しかしいちいち言葉が懐かしいね)とも思ったんだけどこれも「私/あなた」。プリンセス・プリンセスでも無い、安室でも無い、、と検索してたら一つ見つけた。

ZARD!

「揺れる想い」では「僕」は出てこないけど「君」は出てくる。少なくともこれが始まりでは無いかも知れないけど一つの標ではあるね。

ま、とにかく日本語の女性歌手の歌詞だと人称代名詞は「私/あなた」の歴史が非常に長く、ごく最近になって「僕/君」も使われだした、ということが言えると思う。

そして、昨今というか極近年、これに新たなムーブメントを加えている女性グループが出てきたと僕は分析している。あまりこの点で取りざたされないけど、このムーブメントは確実に日本歌謡曲史に少しは残ると思っているので改めて書き残しておきたい。今度、その続きを。(気が向けば)

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4 コメント

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Unknown (show)
2011-07-07 16:21:17
あーその手がありましたねぇ。

あとは結構語尾の問題も出てきたりしますね。
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Unknown (岩ネコ)
2011-07-06 08:12:08
日本語の主語は省略してもよいのが特徴です。

「愉快な恋人、ヴァレンタイン 優しくておかしな恋人、ヴァレンタイン。いつも心から笑顔にしてくれる。。。」

というパターンなら、男女どちらが歌ってもいいのでは。
主語があったほうが「強い」ですけどね。

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Unknown (show)
2011-07-05 09:16:19
忘れてたーーーー!僕としたことが。。結構CD持ってたのにー!
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Unknown (Romiy)
2011-07-05 00:42:35
女性の僕/君の先駆けは渡辺美里です、きっと。
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