カラオケってそういや行かなくなったなぁー。昔、なにかっちゃあ飲んだ後に「じゃあカラオケで」って感じで行ってたけどね。
最近は年に2、3回行くか行かないかですわ。
そうなると行ったときに歌う曲が無くて困る。
「あれ?昔って何歌ってたかなぁ」ってのもあるし「ああ、こないだカラオケで歌いたいなぁと思ってた歌なんだっけな…」と思うこともある。
まぁ年齢を重ねたんでそういうの覚えてらんないんですわ。
ちなみに年取って物を忘れるようになる、ってのは僕は決して恥ずかしいことだと思ってない、むしろ誇らしいことだと思ってます。
脳生理学的に言うとそれって正確には「忘れてる」んじゃなくて「検索に時間がかかってる」ってことなんだって。
小さい頃ってそもそも記憶が少ないから取り出そうと思ったらすぐ取り出せる、でも年齢を重ねるたびに記憶の量が増えるんで取り出すのに時間がかかる、と。つまり「検索」に時間がかかってるわけですね。つーことは物忘れするようになる、ってことは記憶が多い、ってことでむしろ「いよっ!物知り!」って言ってもいいことなんだよね。
問題なのは忘れないようにする努力を怠ること。仕事なんかでメモ取ってなくて忘れた人なんていたら(それが部下だったり後輩だったりしたら)めっちゃ怒るけどね。「なんでメモとんねーのよ!」って。
村上春樹の『ハナレイ・ベイ』(名作です)って短編でもすぐ物を忘れる登場人物が頻繁にメモを取りながら言ってた。
「忘れっぽいってことは問題じゃないんです。忘れることが問題なんです。」
なんで僕もiPod聞きながら「あ、これいつかカラオケで歌いたいなぁ」って曲はたまにメモってる。で、カラオケ行くときなんてたいてい手帳なんて持ってかないんだけど(ひどいね、我ながら)
どんなのがあるかというと、翼の折れたエンジェル、時の面影(鴉)、I'm a man(KUWATA BAND)、Only you(yellowcard)、Downtown train(Tom waits)とかですかね。
ちなみに「30代40代の男性とカラオケに行ったらMy Revolution歌う女性は絶対モテる!」と僕は思ってるんだけどどうすか?
まぁとにかくカラオケで歌いたいと思ってる歌の中でも「ああ、こんどちゃんと歌ってみたいなぁ」と強く思ってるのが「襟裳岬」。岡本いさみ作詞、吉田拓郎作曲、森進一歌の名曲です。
この曲、ちゃんと聴いたのはネット上で見つけた桑田佳祐のカバーVer.なんだけどyoutubeには無かったので吉田拓郎バージョンを。
うーん、これもいいけど桑田ヴァージョンはもっといいのよ、こんど聞かせるわ、つーか俺が真似して歌って聞かせる。
この曲って僕の考える「北海道」を存分に表現している曲のひとつなんです。
---
北の町では
悲しみを暖炉で
燃やし始めてるらしい
訳のわからないことで
悩んでいるうちに
老いぼれてしまうから
黙り通した
年月を拾い集めて
暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です
君は2杯目だよね
コーヒーカップに
角砂糖ひとつだったね
捨ててきてしまった
わずらわしさだけを
くるくるかき回して
通り過ぎた夏のにおい
思い出してなつかしいね
襟裳の春は 何もない春です
日々の暮らしは嫌でもやって来るけど
静かに笑ってしまおう
いじけることだけが
生きることだと
飼いならしすぎたので
身構えながら話すなんて
ああ、臆病なんだよね
襟裳の春は 何もない春です
寒い友達が訪ねてきたよ
遠慮はいらないから
暖まって行きなよ
---
ああ、いい歌詞だぁ、、、泣けてくるよ。
まずね、北海道の春、雪解けの時期ってほんとに「悲しみを暖炉で燃やしてる」って感じなんだよね。
冬の間は大変だった、雪も降った、生きていくのもしんどかった、でも雪解けとともに確実に春に来てる、だから悲しみは忘れていこうよ、みたいな。北海道の人って辛くてもしんどくてもただ「静かに笑ってる」って感じがする。
そして「遠慮はいらないから 暖まって行きなよ」、ああ、18で札幌に出てどれほどこんな言葉をかけてもらってありがたかったことか。
北海道って本州から渡ってきた人が多いから外部から来た人間(たとえば僕とかね)に非常に優しい気がするんだよね。もちろん程度の差はあるけどそれでも大部分の人が「いいよいいよ、混じってけばいいしょ」って気質を持ってる気がする。だから遠慮を知らない(すいませんね)僕なんかはお言葉に甘えてご実家で飯を食わせてもらった上に泊まってっちゃったりするわけだけど。
そして最後に、「襟裳の春は 何もない春です」って控えめさがいいじゃないですか。
北海道の人って結構「北海道なんて何もないっしょ」って言ったりする。
本州から来た人に取ってみれば「何を言ってるんですか!食い物も景色もすばらしいものがたっぷりあるじゃないですか!」って思うんだけど。
でも「何も無い」と言いつつその言葉の裏には「でも北海道愛してるけどね」って気持ちがあるような気がする。「何も無い でも愛してる」って気持ちを持ち続けていられるのってすばらしいと思うんだよね。ああ、この人たちは僕が何にも無くても変わらず僕と付き合ってくれそうだなぁ、って思ったりする。
そういう意味で僕はこの歌好きっすねー。
残念ながら襟裳岬には行ったこと無いんだけどね。襟裳岬にドライブに行こうと思ったら羊が丘通で終わっちゃったし。
最近は年に2、3回行くか行かないかですわ。
そうなると行ったときに歌う曲が無くて困る。
「あれ?昔って何歌ってたかなぁ」ってのもあるし「ああ、こないだカラオケで歌いたいなぁと思ってた歌なんだっけな…」と思うこともある。
まぁ年齢を重ねたんでそういうの覚えてらんないんですわ。
ちなみに年取って物を忘れるようになる、ってのは僕は決して恥ずかしいことだと思ってない、むしろ誇らしいことだと思ってます。
脳生理学的に言うとそれって正確には「忘れてる」んじゃなくて「検索に時間がかかってる」ってことなんだって。
小さい頃ってそもそも記憶が少ないから取り出そうと思ったらすぐ取り出せる、でも年齢を重ねるたびに記憶の量が増えるんで取り出すのに時間がかかる、と。つまり「検索」に時間がかかってるわけですね。つーことは物忘れするようになる、ってことは記憶が多い、ってことでむしろ「いよっ!物知り!」って言ってもいいことなんだよね。
問題なのは忘れないようにする努力を怠ること。仕事なんかでメモ取ってなくて忘れた人なんていたら(それが部下だったり後輩だったりしたら)めっちゃ怒るけどね。「なんでメモとんねーのよ!」って。
村上春樹の『ハナレイ・ベイ』(名作です)って短編でもすぐ物を忘れる登場人物が頻繁にメモを取りながら言ってた。
「忘れっぽいってことは問題じゃないんです。忘れることが問題なんです。」
なんで僕もiPod聞きながら「あ、これいつかカラオケで歌いたいなぁ」って曲はたまにメモってる。で、カラオケ行くときなんてたいてい手帳なんて持ってかないんだけど(ひどいね、我ながら)
どんなのがあるかというと、翼の折れたエンジェル、時の面影(鴉)、I'm a man(KUWATA BAND)、Only you(yellowcard)、Downtown train(Tom waits)とかですかね。
ちなみに「30代40代の男性とカラオケに行ったらMy Revolution歌う女性は絶対モテる!」と僕は思ってるんだけどどうすか?
まぁとにかくカラオケで歌いたいと思ってる歌の中でも「ああ、こんどちゃんと歌ってみたいなぁ」と強く思ってるのが「襟裳岬」。岡本いさみ作詞、吉田拓郎作曲、森進一歌の名曲です。
この曲、ちゃんと聴いたのはネット上で見つけた桑田佳祐のカバーVer.なんだけどyoutubeには無かったので吉田拓郎バージョンを。
うーん、これもいいけど桑田ヴァージョンはもっといいのよ、こんど聞かせるわ、つーか俺が真似して歌って聞かせる。
この曲って僕の考える「北海道」を存分に表現している曲のひとつなんです。
---
北の町では
悲しみを暖炉で
燃やし始めてるらしい
訳のわからないことで
悩んでいるうちに
老いぼれてしまうから
黙り通した
年月を拾い集めて
暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です
君は2杯目だよね
コーヒーカップに
角砂糖ひとつだったね
捨ててきてしまった
わずらわしさだけを
くるくるかき回して
通り過ぎた夏のにおい
思い出してなつかしいね
襟裳の春は 何もない春です
日々の暮らしは嫌でもやって来るけど
静かに笑ってしまおう
いじけることだけが
生きることだと
飼いならしすぎたので
身構えながら話すなんて
ああ、臆病なんだよね
襟裳の春は 何もない春です
寒い友達が訪ねてきたよ
遠慮はいらないから
暖まって行きなよ
---
ああ、いい歌詞だぁ、、、泣けてくるよ。
まずね、北海道の春、雪解けの時期ってほんとに「悲しみを暖炉で燃やしてる」って感じなんだよね。
冬の間は大変だった、雪も降った、生きていくのもしんどかった、でも雪解けとともに確実に春に来てる、だから悲しみは忘れていこうよ、みたいな。北海道の人って辛くてもしんどくてもただ「静かに笑ってる」って感じがする。
そして「遠慮はいらないから 暖まって行きなよ」、ああ、18で札幌に出てどれほどこんな言葉をかけてもらってありがたかったことか。
北海道って本州から渡ってきた人が多いから外部から来た人間(たとえば僕とかね)に非常に優しい気がするんだよね。もちろん程度の差はあるけどそれでも大部分の人が「いいよいいよ、混じってけばいいしょ」って気質を持ってる気がする。だから遠慮を知らない(すいませんね)僕なんかはお言葉に甘えてご実家で飯を食わせてもらった上に泊まってっちゃったりするわけだけど。
そして最後に、「襟裳の春は 何もない春です」って控えめさがいいじゃないですか。
北海道の人って結構「北海道なんて何もないっしょ」って言ったりする。
本州から来た人に取ってみれば「何を言ってるんですか!食い物も景色もすばらしいものがたっぷりあるじゃないですか!」って思うんだけど。
でも「何も無い」と言いつつその言葉の裏には「でも北海道愛してるけどね」って気持ちがあるような気がする。「何も無い でも愛してる」って気持ちを持ち続けていられるのってすばらしいと思うんだよね。ああ、この人たちは僕が何にも無くても変わらず僕と付き合ってくれそうだなぁ、って思ったりする。
そういう意味で僕はこの歌好きっすねー。
残念ながら襟裳岬には行ったこと無いんだけどね。襟裳岬にドライブに行こうと思ったら羊が丘通で終わっちゃったし。
あの日は襟裳岬に行く予定だったんだ!
16年経って初めて知ったw
あれから16年か~、そりゃ俺らも25になるはずだわな~。