ゴールデンウィークで1日ということでこりゃ映画を見るしかないやね。「美女と野獣」を見てきました。
「美女と野獣」日本版本予告
偶然、ちょうどこのような本を読んでいまして。
ストーリーメーカー 創作のための物語論
古今東西の様々な物語というものは色々なところで共通した要素を持っている、というのはよく言われることです。それを分析したもの。うん、面白かったよ。
で、ちょうどこれを読んでいたところだったので「美女と野獣」を見ていても「おお、これはその通りじゃないか」と思うところが多々あった。ということでそういう話を根掘り葉掘り。お断りしておきますが映画「美女と野獣」のネタバレをがっつりします。良い映画だと思うし、お金もかかっているし、俳優陣もとても良いから観る価値は確実にあると思う。なんたって「ディズニー印」ですからね、そりゃある程度以上の面白さは確実にあるだろう。なので、ぜひご覧になってからのほうがいいと思います。
ちなみに僕はディズニーアニメ版「美女と野獣」は観てません、すいません。なので、これからの話は解説だとかそんな大仰なものではなくて、単なる僕の感想ね。ご了承くださいませ。
下にスクロールしてください。
↓
--------------
さて。書籍「ストーリーメーカー」の話からまず入りますが、この本の中で、「物語の基本中の基本は『行って、帰ってくる』である」というのが冒頭に書かれている。
例えば、桃太郎は「鬼ヶ島に行って、帰ってくる」、浦島太郎は「竜宮城に行って、帰ってくる」だものね。で、じゃあどこに行くかというと「今の世界とは違う世界」、それはファンタジーだったら「日常とは違う、例えば怪物がいるような世界」だろうし、もっとリアルな、日常的な話であれば、例えば「安住していたところから何かちょっと違う世界(例えば外国だったり、異文化、何か会社とかそういう組織とか)に行って、結局、帰ってくる」ということになるだろう。
関係ないけどさ、つい先日、久々に「パルプ・フィクション」を見たのね。それで思ったんだけど、これほんと「行って帰ってくる」ばっかりの話だな、と思った。ご存知の通り「パルプ・フィクション」はいくつかの話が狂言回し的に組み合わさっているんだけど、それら、ジュールスとビンセントの話は「裏切った学生のところに行って盗まれたものを取り返して、ボスのところに帰る」だし、ブッチの話は「街から逃げ出そうとしたけど時計を忘れて自分の部屋にもう一度行って、またモーテルに帰ってくる」、ビンセントどミアの話は「ボスに頼まれて奥さんのミアを連れてレストランに行って、ボスの家に帰ってくる」って話だよね。
さて、「行って、帰ってくる」というのが「物語」の基本なんだけど、もちろん「ただ、行って、帰ってきた」ってんなら物語にならない。そりゃそうだ、それはもう「散歩」だものね。行った先に何か「目的」があったり、あるいは行くときには特に目的が無かったんだけど行った先で何かしらに巻き込まれる、とか、そういう「出来事」が無いと物語にならない。上記のパルプ・フィクションで言えば「行った先でトラブルばっかり」な訳だけど。あるいは、何も出来事は無いんだけどただ行くその道すがらがとても興味深い、とかでないと物語にならない。
主人公がたとえば宝を探しに、とか怪獣倒しに、とかのために、「行き」、それを達成して、あるいは達成できなくてもいいんだけど「帰ってくる」、あるいは「帰ってこれなくなる」でもいいんですが。
この前提に基づいて、この本で紹介されているのがウラジミール・プロップという人が書いた「昔話の形態学」というもの。このプロップという人は様々な昔話を要素に分解してみた。そうすると物語には「8種類の登場人物」と「31の要素」がある、と言っている。
まず、8種類の登場人物について。
1,主人公
2,偽の主人公
3,敵対者
4,贈与者
5,助手
6,王女と王
7,派遣者
8,追跡者
細かい説明は省くけど、僕が面白いなと思ったのは「贈与者と助手」、贈与者は主人公のために何かをくれる人、助手は主人公を手伝ってくれる人。例えばスターウォーズで言うとオビ=ワンは「ライトセーバー」をルークに「くれる」ので贈与者、一方、ハン・ソロはルークをミレニアム・ファルコンに乗せてくれるので「助手」。
ここでね、「美女と野獣」で「あ、この人助手だ」と思ったのがさ、ベルの父親が居なくなって馬だけが村に帰ってくる、その時にその馬はベルを乗せてビーストの城に連れて行ってくれるんだよね、つまりベルはこの馬のおかげで別の世界(=ビーストの居る城)に行くことになる。まさにこれは「助手」の役割だな、と。まさにルーク・スカイウォーカーがミレニアム・ファルコンのお陰でタトゥイーンから宇宙に行けたように。
あ、そうそう、この馬が「フィリップ」という名前だったね。フィリップという人名の語源は「馬を愛する人」、あと、どこかで僕読んだ覚えがあるんだけどそもそもの語源は「馬」だったはず。(漫画「ヒストリエ」でフィリッポ2世というキャラクターが出てきて、その時にそんなこと書いてあったような気がするけど、いまその漫画が手元に無いので不明)
ここもこの映画ちょっとおもしろくてさ、この映画の登場人物ってほんと「名は体を表す」なんだよね。主人公「ベル」はフランス語で「美しい」という意味だからまさに「美女」、もちろん「ビースト」は「野獣」。執事の「ルミエール」は燭台の形になってるけど「ルミエール」ってフランス語で「光」の意味じゃなかったべか。あとボットはそのまま「ミセス・ポット」だし、その子供の「チップ(Chip)」は英語で「食器の欠け」という意味もある、だから映画のチップはカップの姿になっててちょっと欠けが入ってるね。
僕はフランス語はほとんど知らないから、後の登場人物は想像するしか無いんだけどガストンの相方(というか使いっぱ)は「ル・フゥ」なんだけど、これって「間抜け」の意味じゃなかったかな。その他、もし登場人物たちの名前の意味が分かる人居たらぜひご教授ください。特に「ガストン」はどんな意味があるのか知りたいです。
さて、続いて31の要素について。記載します。
1,不在→2,禁止→3,違反→4,情報の要求→5,情報入手→6,策略→7,幇助→8,加害または欠如→9,派遣→10,任務の受託→11,出発→12,先立つ働きかけ→13,反応→14,獲得→15,空間移動→16,闘争→17,標付け→18,勝利→19,加害あるいは欠如の回復→20,帰路→21,追跡→22,脱出→23,気づかれざる帰還→24,偽りの主張→25,難題→26,解決→27,認知→28,露見→29,変身→30,処罰→31,結婚ないし即位
ちなみにこれはすべてであって、すべての物語がこの要素すべてを含んでいる、という訳じゃない。
ここで一番「うん、面白いな」と思ったのが物語の始まりが「不在」ということ。この「不在」というのは「主人公の近親者が居ない、居なくなる」ということ。これって「美女と野獣」でいえばお父さんが帰ってこない、居なくなるということかな、と思った。で、そう考えるとさ「この世界の片隅に」も、「お兄ちゃんの不在」というのが物語の最初のほうにあるね。「この世界の片隅に」ですずさんはあるものを「欠如」され、最終的には象徴的に「欠如を回復する」ってのも興味深い。
ちなみに映画評論家・町山智浩氏は「美女と野獣」を「アレンジド・マレッジ」、アレンジされた結婚、つまりは策略結婚とか親の都合による結婚など本人が望まぬ結婚、の話と語っており、その中で「美女と野獣」と「この世界の片隅に」の類似性を語っている。ついでに「逃げ恥」も要は一緒と言っている。→参考:映画その他ムダ話「美女と野獣」の回
「美女と野獣」に戻すと、「父が不在」になり、ベルは城に閉じ込められる、そして早速「西の塔には行くな」と「禁止」される(ごめん、これ西だっけ?東だっけ?忘れちゃったな)。当然、ベルはそれに「違反」するね。
ここで僕は疑問に思ったのだけど西洋の物語における「塔」ってなんなんだろうね。なんか塔に幽閉されること多くないですか。タロットカードで「塔」の意味は(正位置では)、「崩壊、災害、悲劇、悲惨」などの意味があるとのこと。なんでこんなに「塔」って不吉なのかね。。「バベルの塔」から来てるのかなぁ?
とにかくまぁこの物語は最後に「変身」があって「結婚」があってめでたしめでたし、と。
などなど、と色々面白かったですよ。
映画として言えばさ、僕は主人公ベルがエマ・ワトソン、ということしか知らなかった。脇役、というか城の家来たちは物語の大半何かに変化させられていて俳優の顔は見えない。声は聞こえるけどね。だから誰が演じているかほとんどわからなかったけど、人間に戻ったのを観てあらびっくり。ルミエールがユアン・マクレガー、コグスワースがイアン・マッケラン、ポット夫人がエマ・トンプソン、、もう当代随一の名優たちじゃないですか。そりゃ見応えあるわね、そりゃ。コメディリリーフとしてル・フゥも笑わしてくれたけど、この人、「アナと雪の女王」でオラフの声演っている人なのね。そりゃ面白いわ。
オススメですよ。
「美女と野獣」日本版本予告
偶然、ちょうどこのような本を読んでいまして。
ストーリーメーカー 創作のための物語論
古今東西の様々な物語というものは色々なところで共通した要素を持っている、というのはよく言われることです。それを分析したもの。うん、面白かったよ。
で、ちょうどこれを読んでいたところだったので「美女と野獣」を見ていても「おお、これはその通りじゃないか」と思うところが多々あった。ということでそういう話を根掘り葉掘り。お断りしておきますが映画「美女と野獣」のネタバレをがっつりします。良い映画だと思うし、お金もかかっているし、俳優陣もとても良いから観る価値は確実にあると思う。なんたって「ディズニー印」ですからね、そりゃある程度以上の面白さは確実にあるだろう。なので、ぜひご覧になってからのほうがいいと思います。
ちなみに僕はディズニーアニメ版「美女と野獣」は観てません、すいません。なので、これからの話は解説だとかそんな大仰なものではなくて、単なる僕の感想ね。ご了承くださいませ。
下にスクロールしてください。
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さて。書籍「ストーリーメーカー」の話からまず入りますが、この本の中で、「物語の基本中の基本は『行って、帰ってくる』である」というのが冒頭に書かれている。
例えば、桃太郎は「鬼ヶ島に行って、帰ってくる」、浦島太郎は「竜宮城に行って、帰ってくる」だものね。で、じゃあどこに行くかというと「今の世界とは違う世界」、それはファンタジーだったら「日常とは違う、例えば怪物がいるような世界」だろうし、もっとリアルな、日常的な話であれば、例えば「安住していたところから何かちょっと違う世界(例えば外国だったり、異文化、何か会社とかそういう組織とか)に行って、結局、帰ってくる」ということになるだろう。
関係ないけどさ、つい先日、久々に「パルプ・フィクション」を見たのね。それで思ったんだけど、これほんと「行って帰ってくる」ばっかりの話だな、と思った。ご存知の通り「パルプ・フィクション」はいくつかの話が狂言回し的に組み合わさっているんだけど、それら、ジュールスとビンセントの話は「裏切った学生のところに行って盗まれたものを取り返して、ボスのところに帰る」だし、ブッチの話は「街から逃げ出そうとしたけど時計を忘れて自分の部屋にもう一度行って、またモーテルに帰ってくる」、ビンセントどミアの話は「ボスに頼まれて奥さんのミアを連れてレストランに行って、ボスの家に帰ってくる」って話だよね。
さて、「行って、帰ってくる」というのが「物語」の基本なんだけど、もちろん「ただ、行って、帰ってきた」ってんなら物語にならない。そりゃそうだ、それはもう「散歩」だものね。行った先に何か「目的」があったり、あるいは行くときには特に目的が無かったんだけど行った先で何かしらに巻き込まれる、とか、そういう「出来事」が無いと物語にならない。上記のパルプ・フィクションで言えば「行った先でトラブルばっかり」な訳だけど。あるいは、何も出来事は無いんだけどただ行くその道すがらがとても興味深い、とかでないと物語にならない。
主人公がたとえば宝を探しに、とか怪獣倒しに、とかのために、「行き」、それを達成して、あるいは達成できなくてもいいんだけど「帰ってくる」、あるいは「帰ってこれなくなる」でもいいんですが。
この前提に基づいて、この本で紹介されているのがウラジミール・プロップという人が書いた「昔話の形態学」というもの。このプロップという人は様々な昔話を要素に分解してみた。そうすると物語には「8種類の登場人物」と「31の要素」がある、と言っている。
まず、8種類の登場人物について。
1,主人公
2,偽の主人公
3,敵対者
4,贈与者
5,助手
6,王女と王
7,派遣者
8,追跡者
細かい説明は省くけど、僕が面白いなと思ったのは「贈与者と助手」、贈与者は主人公のために何かをくれる人、助手は主人公を手伝ってくれる人。例えばスターウォーズで言うとオビ=ワンは「ライトセーバー」をルークに「くれる」ので贈与者、一方、ハン・ソロはルークをミレニアム・ファルコンに乗せてくれるので「助手」。
ここでね、「美女と野獣」で「あ、この人助手だ」と思ったのがさ、ベルの父親が居なくなって馬だけが村に帰ってくる、その時にその馬はベルを乗せてビーストの城に連れて行ってくれるんだよね、つまりベルはこの馬のおかげで別の世界(=ビーストの居る城)に行くことになる。まさにこれは「助手」の役割だな、と。まさにルーク・スカイウォーカーがミレニアム・ファルコンのお陰でタトゥイーンから宇宙に行けたように。
あ、そうそう、この馬が「フィリップ」という名前だったね。フィリップという人名の語源は「馬を愛する人」、あと、どこかで僕読んだ覚えがあるんだけどそもそもの語源は「馬」だったはず。(漫画「ヒストリエ」でフィリッポ2世というキャラクターが出てきて、その時にそんなこと書いてあったような気がするけど、いまその漫画が手元に無いので不明)
ここもこの映画ちょっとおもしろくてさ、この映画の登場人物ってほんと「名は体を表す」なんだよね。主人公「ベル」はフランス語で「美しい」という意味だからまさに「美女」、もちろん「ビースト」は「野獣」。執事の「ルミエール」は燭台の形になってるけど「ルミエール」ってフランス語で「光」の意味じゃなかったべか。あとボットはそのまま「ミセス・ポット」だし、その子供の「チップ(Chip)」は英語で「食器の欠け」という意味もある、だから映画のチップはカップの姿になっててちょっと欠けが入ってるね。
僕はフランス語はほとんど知らないから、後の登場人物は想像するしか無いんだけどガストンの相方(というか使いっぱ)は「ル・フゥ」なんだけど、これって「間抜け」の意味じゃなかったかな。その他、もし登場人物たちの名前の意味が分かる人居たらぜひご教授ください。特に「ガストン」はどんな意味があるのか知りたいです。
さて、続いて31の要素について。記載します。
1,不在→2,禁止→3,違反→4,情報の要求→5,情報入手→6,策略→7,幇助→8,加害または欠如→9,派遣→10,任務の受託→11,出発→12,先立つ働きかけ→13,反応→14,獲得→15,空間移動→16,闘争→17,標付け→18,勝利→19,加害あるいは欠如の回復→20,帰路→21,追跡→22,脱出→23,気づかれざる帰還→24,偽りの主張→25,難題→26,解決→27,認知→28,露見→29,変身→30,処罰→31,結婚ないし即位
ちなみにこれはすべてであって、すべての物語がこの要素すべてを含んでいる、という訳じゃない。
ここで一番「うん、面白いな」と思ったのが物語の始まりが「不在」ということ。この「不在」というのは「主人公の近親者が居ない、居なくなる」ということ。これって「美女と野獣」でいえばお父さんが帰ってこない、居なくなるということかな、と思った。で、そう考えるとさ「この世界の片隅に」も、「お兄ちゃんの不在」というのが物語の最初のほうにあるね。「この世界の片隅に」ですずさんはあるものを「欠如」され、最終的には象徴的に「欠如を回復する」ってのも興味深い。
ちなみに映画評論家・町山智浩氏は「美女と野獣」を「アレンジド・マレッジ」、アレンジされた結婚、つまりは策略結婚とか親の都合による結婚など本人が望まぬ結婚、の話と語っており、その中で「美女と野獣」と「この世界の片隅に」の類似性を語っている。ついでに「逃げ恥」も要は一緒と言っている。→参考:映画その他ムダ話「美女と野獣」の回
「美女と野獣」に戻すと、「父が不在」になり、ベルは城に閉じ込められる、そして早速「西の塔には行くな」と「禁止」される(ごめん、これ西だっけ?東だっけ?忘れちゃったな)。当然、ベルはそれに「違反」するね。
ここで僕は疑問に思ったのだけど西洋の物語における「塔」ってなんなんだろうね。なんか塔に幽閉されること多くないですか。タロットカードで「塔」の意味は(正位置では)、「崩壊、災害、悲劇、悲惨」などの意味があるとのこと。なんでこんなに「塔」って不吉なのかね。。「バベルの塔」から来てるのかなぁ?
とにかくまぁこの物語は最後に「変身」があって「結婚」があってめでたしめでたし、と。
などなど、と色々面白かったですよ。
映画として言えばさ、僕は主人公ベルがエマ・ワトソン、ということしか知らなかった。脇役、というか城の家来たちは物語の大半何かに変化させられていて俳優の顔は見えない。声は聞こえるけどね。だから誰が演じているかほとんどわからなかったけど、人間に戻ったのを観てあらびっくり。ルミエールがユアン・マクレガー、コグスワースがイアン・マッケラン、ポット夫人がエマ・トンプソン、、もう当代随一の名優たちじゃないですか。そりゃ見応えあるわね、そりゃ。コメディリリーフとしてル・フゥも笑わしてくれたけど、この人、「アナと雪の女王」でオラフの声演っている人なのね。そりゃ面白いわ。
オススメですよ。