学校で教えてくれない経済学・・・江嵜企画代表
2月12日、西宮神社会館での講演会で
名城大学非常勤講師南波壮八先生の話を聞いた。
タイトルは「私たちの生活と船」であったが、
日本という国が大部分の物資を海外に依存し、
重量ベースでみれば、その輸出入貨物の
99.7%は船舶によって行われている事実を
改めて教えられた。
金額ベースではさすがに航空貨物の比率が
約30%となるが、それでも70%近くが船舶に
依存している。
船舶が我々日本人の生活にいかに密接不可分に
関わっているかの証拠である。四面環海の日本は
海の恩恵を受け、船舶輸送というエネルギー効率の
極めて高い輸送手段で生き延びてきたとしても
過言でない。
資源に恵まれない日本という国が、海に恵まれた
環境のお蔭で、結果として、日本の食料、エネルギー
その他の諸々の資材物品の海外依存率を
皮肉にも高くしたかもしれない。
日本船主協会統計資料によると、
平成13年の海外依存率は、
石炭(97.9%)、
原油(99.7%)、
天然ガス(96.9%)、
鉄鉱石(100.0%)、
羊毛(100.0%)、
綿花(100.0%)、
大豆(94.7%)、
小麦(88.8%)、
塩(84.6%)である。
1973年の第1次オイルショツクで原油の値段は1バレル
2ドルだったのが一挙に12.5ドルまで急騰した。
1978年の第2次オイルシヨックでは原油の値段は
バレル12ドルが30ドルまではね上がった。
2004年末には一時バレル55ドル強まで暴騰したが
現在45ドル前後で推移しているが、高値圏である
ことには変わりない。
ドルが安くなったからドル建てで稼いでいる産油国は
ドル安のためどうしても原油のドル建て価格を上げざるを
得ないとおもうのは自然である。
しかし幸いなるかな、こと輸入物価に関して言えば、
日本人の痛みの違いは1973年当時と現在とでは比較に
ならない。
それは当時の為替レートが1ドル=300円台であったが、
現在は1ドル=105円であるにすぎない。量的不安が解消
した面も大きいが、その後円が高くなった(ドルが安くなった)
お蔭でドルベースでの値上りが円ベースでは1/3に
抑えられている要素が大きい。
しかし、現在安定している為替レートが円高(ドル安)から
円安(ドル高)に転換すると一転して日本という国は
狂乱物価の坩堝にほりこまれる危うさをつねに内包している。
円高が危機意識をカバーしているにすぎない。
日本人は当たり前のように毎日豆腐を食べているが
豆腐の原料は大豆である。その大豆の95%近くが
海外に依存していることを日常ほとんど意識していない。
塩にいたってはまさかの85%が海外に依存していると
気付いている日本人はほとんどいないだろう。
食料もさることながらエネルギー源の海外依存率
ほぼ100%は異常である。60数年前日本は
太平洋戦争に突入したが原油を断たれるかも
しれないとの危機感が背景にあったことは
十分想像される。
中国が日本近海に潜水艦を徘徊させているのも、
中国が将来迫り来る深刻なエネルギー不足危機を肌身に
感じて国を上げて命懸けでエネルギー源を探索している
からであろう。
日本の近海を1.500~2.000メートル掘れば豊富な
メタンガスが埋蔵されているとの話を昨日の
講演会でも聞いた。
原油は万能ではない。LPG(液化天然ガス)も
あるが代替エネルギー元としてメタンガスは
日本にとつて有力な候補といわれている。
英国が老大国から名実ともに発言権をもった
国に蘇った裏にはサッチャーイズムの浸透も
あるが、北海油田の発見が英国を助けている
ことは明かである。
その英国でさえ石油から代替エネルギー問題に
真剣に取り組み始めたと伝えられる。
その背景には中国、インドでの尋常でない
エネルギー不足が及ぼす深刻な事態が自分の
足元に迫ってきているという危機感が英国人に
共有されつつあるからであろう。
日本ではエネルギー危機に対する感覚が
あまりにも希薄である。その一方で、値段を
下げれば物が売れると思い込んでいる
経営者が日本には相変わらず存在している。
値段を下げろと叱咤する上司はいても値段を
上げてでも、魅力ある製品、商品を作れと部下を
叱る上司はいないのか。
優れた技術開発力こそ日本の命である。
円高・ドル安を武器に使い、世界の資源を
むさぼり食って日本は今までは成長を謳歌してきた。
このような幸運が永遠に続く道理がないであろう。
自給率の余りの低さに危うさを感じる。(了)
2月12日、西宮神社会館での講演会で
名城大学非常勤講師南波壮八先生の話を聞いた。
タイトルは「私たちの生活と船」であったが、
日本という国が大部分の物資を海外に依存し、
重量ベースでみれば、その輸出入貨物の
99.7%は船舶によって行われている事実を
改めて教えられた。
金額ベースではさすがに航空貨物の比率が
約30%となるが、それでも70%近くが船舶に
依存している。
船舶が我々日本人の生活にいかに密接不可分に
関わっているかの証拠である。四面環海の日本は
海の恩恵を受け、船舶輸送というエネルギー効率の
極めて高い輸送手段で生き延びてきたとしても
過言でない。
資源に恵まれない日本という国が、海に恵まれた
環境のお蔭で、結果として、日本の食料、エネルギー
その他の諸々の資材物品の海外依存率を
皮肉にも高くしたかもしれない。
日本船主協会統計資料によると、
平成13年の海外依存率は、
石炭(97.9%)、
原油(99.7%)、
天然ガス(96.9%)、
鉄鉱石(100.0%)、
羊毛(100.0%)、
綿花(100.0%)、
大豆(94.7%)、
小麦(88.8%)、
塩(84.6%)である。
1973年の第1次オイルショツクで原油の値段は1バレル
2ドルだったのが一挙に12.5ドルまで急騰した。
1978年の第2次オイルシヨックでは原油の値段は
バレル12ドルが30ドルまではね上がった。
2004年末には一時バレル55ドル強まで暴騰したが
現在45ドル前後で推移しているが、高値圏である
ことには変わりない。
ドルが安くなったからドル建てで稼いでいる産油国は
ドル安のためどうしても原油のドル建て価格を上げざるを
得ないとおもうのは自然である。
しかし幸いなるかな、こと輸入物価に関して言えば、
日本人の痛みの違いは1973年当時と現在とでは比較に
ならない。
それは当時の為替レートが1ドル=300円台であったが、
現在は1ドル=105円であるにすぎない。量的不安が解消
した面も大きいが、その後円が高くなった(ドルが安くなった)
お蔭でドルベースでの値上りが円ベースでは1/3に
抑えられている要素が大きい。
しかし、現在安定している為替レートが円高(ドル安)から
円安(ドル高)に転換すると一転して日本という国は
狂乱物価の坩堝にほりこまれる危うさをつねに内包している。
円高が危機意識をカバーしているにすぎない。
日本人は当たり前のように毎日豆腐を食べているが
豆腐の原料は大豆である。その大豆の95%近くが
海外に依存していることを日常ほとんど意識していない。
塩にいたってはまさかの85%が海外に依存していると
気付いている日本人はほとんどいないだろう。
食料もさることながらエネルギー源の海外依存率
ほぼ100%は異常である。60数年前日本は
太平洋戦争に突入したが原油を断たれるかも
しれないとの危機感が背景にあったことは
十分想像される。
中国が日本近海に潜水艦を徘徊させているのも、
中国が将来迫り来る深刻なエネルギー不足危機を肌身に
感じて国を上げて命懸けでエネルギー源を探索している
からであろう。
日本の近海を1.500~2.000メートル掘れば豊富な
メタンガスが埋蔵されているとの話を昨日の
講演会でも聞いた。
原油は万能ではない。LPG(液化天然ガス)も
あるが代替エネルギー元としてメタンガスは
日本にとつて有力な候補といわれている。
英国が老大国から名実ともに発言権をもった
国に蘇った裏にはサッチャーイズムの浸透も
あるが、北海油田の発見が英国を助けている
ことは明かである。
その英国でさえ石油から代替エネルギー問題に
真剣に取り組み始めたと伝えられる。
その背景には中国、インドでの尋常でない
エネルギー不足が及ぼす深刻な事態が自分の
足元に迫ってきているという危機感が英国人に
共有されつつあるからであろう。
日本ではエネルギー危機に対する感覚が
あまりにも希薄である。その一方で、値段を
下げれば物が売れると思い込んでいる
経営者が日本には相変わらず存在している。
値段を下げろと叱咤する上司はいても値段を
上げてでも、魅力ある製品、商品を作れと部下を
叱る上司はいないのか。
優れた技術開発力こそ日本の命である。
円高・ドル安を武器に使い、世界の資源を
むさぼり食って日本は今までは成長を謳歌してきた。
このような幸運が永遠に続く道理がないであろう。
自給率の余りの低さに危うさを感じる。(了)