毎年1月と8月に供養のお花を送っています。
1月は友人の娘に。
留学先での交通事故死でした。
20歳の夢多き女性でしたが
帰国を目の前にした死です、
彼女の母親と大親友だったので
その悲しみは、痛いほどわかり
私に遺族ケアを考えさせてくれました。
8月には
やはり友人の息子が山の事故で亡くなりました。
彼の死は、年末の喪中葉書で知り
鳥肌が立ったのを覚えています・
喪中葉書ではことの詳細がわからず
「どうして?」の繰り返しばかりでした。
その後、御嶽山での滑落事故と知りました。
彼は息子と同じ年でした。
私には彼らが不幸な死をとげた、とは思えません。
生まれる必然があり、生を終えた意味があったのでは・・・と思っています。
この世の姿はなくなっても、彼らの魂というか根源というか
そういう本来の物は存在している、と思っています。
本来の魂は人より、より神に近いらしいです。
そちらの世界では死は、次へのつながりらしいのですが
そうは言っても
親にしてみれば、目の前にいる子供を亡くすのですから
簡単に割り切れるはずもなく
悲しくて苦しいばかりです。
生は永遠と考える私でも
自分の身に起きれば、気が狂いそうになるでしょう。
親友たちを納得させられる言葉も持ち合わせない私が出来る事は
「忘れていないよ!」と伝える事だけです。
その為に毎年お花を送っています。
また、それぞれの一年が始まります。
1月は友人の娘に。
留学先での交通事故死でした。
20歳の夢多き女性でしたが
帰国を目の前にした死です、
彼女の母親と大親友だったので
その悲しみは、痛いほどわかり
私に遺族ケアを考えさせてくれました。
8月には
やはり友人の息子が山の事故で亡くなりました。
彼の死は、年末の喪中葉書で知り
鳥肌が立ったのを覚えています・
喪中葉書ではことの詳細がわからず
「どうして?」の繰り返しばかりでした。
その後、御嶽山での滑落事故と知りました。
彼は息子と同じ年でした。
私には彼らが不幸な死をとげた、とは思えません。
生まれる必然があり、生を終えた意味があったのでは・・・と思っています。
この世の姿はなくなっても、彼らの魂というか根源というか
そういう本来の物は存在している、と思っています。
本来の魂は人より、より神に近いらしいです。
そちらの世界では死は、次へのつながりらしいのですが
そうは言っても
親にしてみれば、目の前にいる子供を亡くすのですから
簡単に割り切れるはずもなく
悲しくて苦しいばかりです。
生は永遠と考える私でも
自分の身に起きれば、気が狂いそうになるでしょう。
親友たちを納得させられる言葉も持ち合わせない私が出来る事は
「忘れていないよ!」と伝える事だけです。
その為に毎年お花を送っています。
また、それぞれの一年が始まります。