38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

単色の食卓、牛肉と卵。

2015年02月06日 | 農と暮らしの日記
貯蔵中のさつま芋は、まだしばらく出荷できそう。
じゃが芋や里芋に比べて、さつま芋は寒さに弱い。買って食べるだけだったころは、冬の食べ物であるさつま芋が寒さに弱いと聞いて意外な気がしたものだ。というか、自分でつくるようになったいまでも不思議だ。

うちでは貯蔵は段ボール箱を使う。
掘り炬燵式のいわゆる芋壺はなく、研修先で教わった畑で土中に埋めるという方法も、圃場がもともと水田で冬場に浸水することも多いから怖くてできない。もちろん、電気を使う保存庫もない。10℃以上あればそこそこもつようだから、一般の家庭では冷蔵庫の野菜室に入れておいたり、発泡スチロールの箱に入れて温かい部屋に置いておくといいようだけれど、出荷用は量があるからそうもいかない。

そこで、段ボール箱だ。
収穫後に日に当ててよく乾かしたうえで段ボール箱に詰め、これを比較的暖かい南向きの部屋に積んで毛布などを掛けて置いてある。この冬は極端に冷え込む日が少ないからか、2月に入っても保存状態はまずまず。といっても、そろそろ傷みがどんどん進んでくるから、文字通りの「温存」であまり大切にし過ぎると、結局は出荷する前に捨ててしまう芋が増えることになる。
野菜セットには引き続きフル出場の予定。



金曜、曇り時々晴れ、朝夕に一時雨。
朝ごはんは、筑前煮、大根葉キムチ常備菜、さつま芋ソテー。

午前:野菜セットの荷造り、市内配達ついでに用事あれこれ。
昼ごはんは、筑前煮の残り平らげる。

午後:宅配便のセットの仕上げ、出荷。
玉葱の草むしり、春どりキャベツに寒冷紗かけ(鳥除け)、布織布片付けなど。

晩ごはんは、切干大根と人参のなます、さつま芋とごぼうのかき揚げ、白菜と揚げの炊いたの。

この献立、食卓が赤と白とその中間色(ベージュとか薄茶色)で統一されている。
見ようによっては「彩りがよくない」ともいえるかもしれないけれど、藤田家族のごはんはこういうのもわりと多い。ひと皿が単色系なのは当たり前で、彩りが悪いからとミニトマトを添えたりとかいうことはまずしない。単色系の食卓は見た目がとてもやわらかで、ほっとする。もちろん、色とりどりのカレーライスと赤&緑のレタスサラダとかいう派手な日もあるけれど。



出荷作業のお供は毎度おなじみのNHKラジオ。
「すっぴん!」の金曜は高橋源一郎で、テーマが「たまご」だった。聴取者の投稿で、修学旅行だか何だかのときに旅館ですきやきが出て、友達もみんな初めてだから添えられた生玉子の使い方がわからず、肉と一緒に鍋に割り入れて卵とじにしたというのがあった。いつの時代の思い出なのかは聞き漏らしたが、現代だとしても修学旅行なら恥のかき捨てにもならない幸運な初体験だろう。

たまごから離れるが、すきやきといえば。
おそらく僕の初すきやきは小学生のころ、母が不在の晩ごはんを父が用意することになり、我が家では珍しい牛肉を買ってきて食べさせてくれた。8歳のころまで神戸に育った父にとって肉といえば牛だったのが、戦災を逃れて愛媛に来てからは縁遠い食材となっていたらしい。もちろん、終戦直後の食糧難では、神戸にいたとしても牛に限らず畜肉そのものが極めて希少なものだったろうが。

大阪に生まれ育った薫も、「肉」といえば牛のことだという。
豚は「豚」であり、鶏は「鶏」なのに、牛は「牛(ぎゅう)」でも「肉」でもいいそうだ。ところが、薫が牛肉を使うことは滅多にない。ベジタリアンではなく、豚や鶏は毎週のようにゆうき生協に注文している。まあ牛肉はとりわけ高いこともあるが、実はあまり好きではないらしい。ひところは大根と人参と牛かたまり肉のスープをつくったり、おでんに牛筋を入れたりしていたが、ふと思い返すと、そういえば牛肉全然食べてへんやん。

ま、僕は魚さえあればどうでもいいんですが。
コメント
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