昭和32年当時の北海道の地図を拡げてみたが路線が沢山あってよく判らない
当時一緒に旅行したS君もO君もすでに亡くなっているので訊けない
調べるうちにJR士幌線というのが見つかった
大正14年から昭和14年にわたって路線が延伸され室蘭から十勝三股峡まで徐々に開業された路線
1937年(昭和12年私が生まれた年)にタウシュベツ川橋梁竣工
1939年(昭和14年)士幌線の糠平駅~十勝三股駅間延伸開通
1955年(昭和30年)糠平湖建設のためタウシュベツ川橋梁を通る旧線廃止
この経緯を見ると私たちが糠平湖へ行ったのは1958年(昭和33年)頃になり
タウシュベツ川橋梁を通る線路は無くなっていたことになる
1987年(昭和62年)士幌線全線廃止
たぶん私たちは終点の糠平駅で下車し折り返したのだと思う
終点で折り返しの列車を待つ間に駅前で露天の詰将棋をやっていた
そこでO君が詰めてしまいオッサンと一悶着があったのは覚えている
とにかく21日間北海道を旅し、知床は当時旅行は出来なかったが
旭川、網走、原生花園、美幌峠を超え阿寒湖、摩周湖、弟子屈、根室岬、
帯広からはバスで襟裳岬、様似から小牧
最後の札幌では待望のサッポロビール、当時文通していた高校生とデート
有り金を使い果たし、札幌から東京まで冷凍ミカンばかり食べて帰ってきた
今思い出すにこの当時よく旅行をした
大学の寮に入っていたので夏休みや春休みに帰省する時に寮生の実家へ遊びに行き
沢山の思い出を作ることが出来た
新潟魚沼のT先輩の家に行ったときは田圃で捕れたドジョウ料理を「ウマイ」
と言ったばかりに翌日の食事が3食ともドジョウ料理だった
その当時はまだ農薬を使っていなかったのだろうか
新潟と言えば2年生の時のラグビーの合宿は新発田の自衛隊
駅まで迎えに来てくれた自衛隊のトラックに敬礼し基地内へ
蚊帳の付いたベッドで寝起きし、朝6時の起床ラッパで飛び起き
国旗掲揚
午前、午後と練習、時々自衛隊のチームと練習試合
初日はヘトヘトで喉を通らなかった食事が2日目からはお釜が空っぽに
広島松永(下駄の産地)のⅯさんとは向島や千光寺公園
同じく広島のH君の家では美人のお姉さんに惚れ込んでしまったり
大阪の私の家にも大勢遊びに来た
M先輩が遊びに来た時にはサントリーの角瓶にトリスウイスキーを
入れておいたら「やっぱり角はうまい」と言ってくれたり
Y君と奈良へ行った時は近鉄西大寺駅で知り合った警察官が
家に来い来いと誘ってくれたので吉野の手前の葛駅まで行って一泊したが
奥さんにイヤな顔をされ
翌日の一番電車で失礼し、早朝の橿原神宮にお参りしたこともあった
北海道旅行でも根室の手前の駅で寝ようとしていたら「家に来なさい」
と泊めてもらえそうなので付いて行ったら清涼飲料水の工場
食べるものは何もなくジュースばかり飲んでいたこともあった
いろいろ思い出すままに書き綴ったが半分ほどの友達はすでに亡くなっている
非常事態宣言も今日まで?
残り半年間コロナに打ち勝って過ごしたい
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