この相手に、これだけの差を見せて勝つとなると、彼は次の試合で誰と闘えばいいのだろうか。
今日の感想は、こういうところから始まってしまいます。
試合展開はもう、ご覧のとおりとしか言いようがありません。
36歳になり、5階級に渡り、いくつか数えるのも面倒なくらい多くのベルトを手にし、
逃れられない疲弊と、さまざまな負傷も抱えているはずの身でありながら、
23歳の若さと、少年時代から天才を謳われた才能と、大柄な体格を持つ挑戦者の攻撃を
立体的というより異次元の動きで無力化しての完全勝利。
またしてもメイウェザーの天才と、ボクシングの科学が華麗に融合した12ラウンズでした。
今回は、心技体ともにかなり締めてきた、という印象ではありました。
ロバート・ゲレロ戦と比べても、攻防の密度が高く、動きの切れも上だったと思います。
若き天才、カネロ・アルバレスとの対戦は、ゲレロ戦がビジネス面で「大」成功とはいかなかった
現実を踏まえて組まれたものだと報じられましたが、メイウェザーはそういう実利面から決まった
この若き、脅威のはずの相手との対戦をむしろ、心から楽しんでいるようにも見えました。
顔つきも試合前から明るく、良い意味で前向きな態度が見えました。
このレベルのお方が、気持ちから「乗る」と、これだけのものを見せるのか、と、
今日はただただ、感嘆し、脱帽するしかない、という気持ちです。まいったね、という感じです。
カネロ・アルバレスの闘い方については、あれで駄目なら何をやっても駄目だったと見ています。
素人目には、もっと手を出せとか、思い切り打っていけとか思うところなんですが、
過去にメイウェザーの試合をさんざん見て、さすがにその辺は私も学習しています。
強引に、打たれてもいいから捨て身で攻めろ、といっても、本来のジャブからの崩しといった
普通の攻防で勝てないから捨て身で攻めようという相手に対する対応、或いは封殺こそが
メイウェザーの得意分野、日常業務であり、立体的というより異次元のレベルにあるボディーワーク、
スタンスの微妙な調整によるバランスの移動、距離や角度の細かい変動によるディフェンス、
そしてアングルを変えた上体を小さく回転させて打つ多彩なカウンターパンチは、
相手が通常の、正攻法の攻防展開を諦めたら、さらに光彩を放って試合を支配してしまうのですから。
以前、プレビューめいたことを書いた際、まともにジャブを当て、外し、という攻防で
メイウェザーを速さや巧さで抑えられるボクサーこそが、メイウェザーに勝てる選手なのだ、と書きました。
そして、カネロは今日、そのように闘って敗れましたが、これで敵わないなら仕方がない、と見ます。
あれで自分の型を崩して出たところで、見た目の盛り上がりが多少得られはしても、
結局は、ほんのわずかの片鱗すら見えなかった「勝機」を、自分から投げ出すようなものだったろう、と。
それにしても、今、カネロ・アルバレスにこんな勝ち方をして、一体、メイウェザーは次に誰と闘えばいいんですかね。
セミで勝ったダニー・ガルシアが候補だと聞きますが、正直言って闘う意味が見出せるのかどうか。
さすがにゲンナジー・ゴロフキンと闘うことはないでしょうが、そんな名前でも引っ張り出さない限り、
誰とやっても試合にならない、という感じさえします。
かつてカルロス・モンソンは、ロドリゴ・バルデスとの再戦に勝利したあと
「もうリングの上で証明することは何もない」という名セリフを吐いてリングを去りました。
まあ、時代やな、という感じがする言葉ですが、いかにも「当世風」なメイウェザーとて、
契約した試合がすべて終わったあとには、同じようなことを彼なりの情緒で言うのかも知れません。
しかし、彼は今日、すでにこの言葉の状態にあるのではないか、と強く感じさせられました。
カネロでさえこうなのだから、他にいったい、誰がメイウェザーの築いた牙城に迫れるというのか。
いや、それ以前にもう、彼と相対する誰かに、対戦相手として、見る者にその試合を見る「意味」を
提示出来る者が存在するのだろうか、とさえ思うのです。
例えば再起するマニー・パッキャオが、目覚ましい復調を示して、そうしたカテゴリーに
自分の名前を書き記し、挑戦者として対戦相手に選ばれる、ということでもない限り、
メイウェザーの試合には、闘われる意味が見出せない、というところにまで来てしまっているのではないでしょうか。
それも、もっと早くに実現していてほしかった幻の名勝負の影を追う、という意味でしかないのかも知れませんが。
真の天才は無人の野を行く、ということならば、フロイド・メイウェザーは今日、
その天才ぶりを改めて全世界に示しました。
その特殊な才能は、煌びやかに映る反面、対戦相手の心技体というよりは、存在価値を打ち砕くもの、と感じます。
そのような彼の才能、その方向性を、手放しで称賛し、英雄視する気持ちを持っているわけではありませんが、
ボクシングというものが生み出す、美しくも残酷なひとつの「天才」の形として、他では見ることの出来ない、
稀有なるものをフロイド・メイウェザーは表現している。そのことには多大なる敬意を払わねばならない...と
私のようなものにも心底から思わせる、今日の試合はそのような試合でありました。