その昔、世界タイトルというものは、獲ったら当事者はもちろん、
いわば赤の他人である我々ファンも、時には万歳三唱までして喜ぶ物でした。
TV局の都合により、叩き込みで行われた試合も、無いことはなかった。
しかし、そういう試合で生まれた王者には、普通より厳しい初防衛戦が
待ち受けているのが常で、それ故にファンは、新王者のさらなる勝利を
祈る思いで応援したし、結果が敗北となっても、ボクシングというスポーツの尊厳、
優勝劣敗の冷酷な真実を悲しみつつも、それを心底、愛せたんだと思います。
前王者とのリマッチを強いられた白井、原田、海老原を持ち出すまでもなく、
その後においても、多くの王者がその苦難を強いられ、多くが辛酸をなめています。
ロイヤル小林は初防衛戦にて、戴冠後わずか45日、韓国での防衛戦を義務づけられ、陥落。
中島成雄、友利正は共に、同級史上屈指の技巧派イラリオ・サパタに敗れました。
小林光二は、王座交代が続いたWBCフライ級タイトル戦線において、ついに登場した
「本命」と言うべき強打のガブリエル・ベルナルに、壮絶なKO負けを喫しました。
六車卓也は、当初挑むはずだった王者ベルナルド・ピニャンゴの突然の引退を受け、
調整期間不足の2位アサエル・モランを破って王座を獲ったあと、「60日以内」と決められた
1位朴賛栄との指名試合を戦い、バッティングの不運もあって王座から転落しています。
さらに、初防衛という区切りを外せば、避けられない強豪との対戦において、
壮絶な敗北を喫した事例は、いくらでもあります。
昨今のボクシング界において、どの試合がどの例に相当するのかは議論百出でしょうけど、
今回のロマゴン、井岡両陣営による「当面、対戦しないという合意」と、
それ故の入札回避の話が、主に海外サイトによる情報通りの内容だとすると、本当に残念です。
興行事情、というより「TV番組」の都合で、ありもしないタイトルを作り上げて戴冠し、
その際に棚上げになった本来の王者との対戦を、金銭によって回避した、というのが事実なら、
そのようなタイトルには、世界王座としての正当性がどこにもありません。
返上してWBCに鞍替え、という、普通ならあんまりな話の方が、まだ良いか、と思えるくらいです。
確かに、現時点で勝算が薄いから、というのは、ひとつのプロの判断ではあります。
しかし、仮にも「世界王者」の肩書きを背負っている以上、勝てる見込みが立つまでは、
というような猶予期間を求めるというのは、話の筋が違います。
まして、亀田兄弟のような、もともと箸にも棒にもかからないような手合いならともかく、
井岡一翔のようなボクサーをこのような「モラトリアム王者」にしてしまうことは、
ロマゴンと対戦して敗れること以上の恥辱です。やってはいけないこと、なのです。
今朝、一部の国内向けの報道の中で「両陣営とも、統一戦はもっと準備期間をとって、
将来的に大興行として行いたい意向があった」という、言い訳のようなコメントが出ています。
...ようもまぁ、こんな子供だましみたいな理屈を思いつくものですね。
誰も今、このカードを「統一戦」として期待しているわけじゃありません。
井岡の持つ王座に、本当の価値が無く、棚上げされた形の王者ロマゴンに「挑戦」せねば、
その王座に正当性はない、という話を、平然と「王者同士」の話にしてしまう。
その感性は、まさしくあの一家と共通するものです。
数年前、亀田大毅が世界王座にあった頃、亀田陣営がパナマに代理人を派遣して
強打の暫定王者ルイス・コンセプションと「対戦しない契約」を交わした、という現地報道があり、
それを「うさぎにく」さんのブログで知った時は、心底驚き、呆れ、嗤ったものですが、
今回の井岡陣営による交渉が、報じられている通りならば、完全にこの例の踏襲です。
善き行いは真似難く、悪例はすぐに広まるのが世の常とはいえ、
本当に、どう見ても救いのない話になってしまいました。
考え得る限り、最低最悪、下の下、という感じですね。
人もあろうにあの井岡一翔が、こんな無様な形で、内実のない王座に就き、
王者の宿命に背を向けてしまうとは...。
私は、井岡、ロマゴン両陣営の合意にならって「当面」井岡一翔の試合を見ても、
全面的にそれを支持する気持ちを持てないと思います。
そして、その思いを拭い去れる日が来るのかどうかも、かなり疑わしく思います。
108ポンド級において、ローマン・ゴンサレス以上の対戦相手が存在しない以上、
彼に匹敵せずとも、それに次ぐ強豪との対戦を、3~4試合立て続けに行うくらいであれば、
一定の信頼は回復されるかもしれませんが、その頃には、ロマゴンはフライ級に去っているでしょう。
これまで何度も書いてきたように、井岡一翔というボクサー自体は今でも好きですし、
ミニマム級における実績、今後の将来性をも疑うものではありません。
しかし、いったん経済的成功を収めたが最後、それを維持すること「のみ」を優先し、
ボクシングの持つ(時に悲劇的な)宿命に背を向けさせてしまった、陣営の舵取りに対して、
私は批判的立場を取ります。
そして、井岡一翔が、当面の間、多くから向けられるであろう懐疑の視線を払拭するためには、
それこそ膨大な労力が必要とされるでしょう...もっとも、陣営の方々にしてみれば、
そもそもそんなものを払拭するつもりなど、ハナからないのかも知れませんが。