ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

「関電」は何故?

2011年06月16日 | 気にかかる

 ↑  この色は1本になりました 来年は増えて欲しい 消えないで!   ↓  こちらは増えました




今朝から一日中雨が降っています。毎年のことですが嫌~な季節です。「梅雨
が明けました」の声が聞こえれば、今度は暑い夏です。四季のあるのは植物にと
っては必要なものなんでしょうが、私にとっては不必要この上ない季節です。

その上今年の夏は節電せよとの声が掛かっています。そして一般市民に対して「関
電」は夏の間(3ヶ月間)去年のその時期より15%節電すれば、「Jスルーカード」
2000円分をくれると言うのです。但し多ければ抽選だそうです。「海老で鯛釣る」
つもりらしいです。

もう早々と、電気使用量が分かると言う機器が良く売れているそうです。その機器
いくらするのかしら? 2000円貰う為に買って引き合うのかな~。新しいことにす
ぐ飛びつくのが関西人気質かしら? 稀には私のようにえさの周りを遠巻きにする
けれど、決して食いつかず、様子見する人間も居ますけどね。

それにしても、なんだか「関電」いやに節電に協力的ですね、何故なの? ほかの電
力会社は様子見の構えなのに、「関電」一社がなんだか張り切っているような気が
しますが…。

電車も京阪、近鉄は節電に協力(間引き運転?)JRはもう少し様子見だそうです
が、東京の電車は如何なんですか?

「関電」の行動は私には「勇み足」としか思えないのですがね~。



       「鉄砲百合」 我家の主です 数は増えましたが 1本の花数が減りました


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サラリーマン川柳 番外編

2011年06月15日 | ネットニュースから

             「ペチュニア」   西宮の公園     (11-6-10)


我家の枇杷が色付いてきました。明日から2日間又雨だそうなので、急いで取る
ことにしました。梯子を使って取ったのですが、危ない危ない! もう梯子が使え
ない日がそこまで来ているような気がしました。

取っておいた「サラリーマン川柳 百選」から自分好みを選びました。

     初孫の 笑顔に又も  拝観料

そうね。孫って可愛いから、ついあいたくなって、顔見に行くと、「手土産」に
「色々もの入りだろう…」と心使いに小遣い銭。これも年金あればこそ、ありが
たいね~。


     子育てが やっと終わって 次は親

そうなんですよね。息子達が高校生になり、ホッとしたのも束の間、寝たきりの親
の看病の4年半が待っていた。わが身もその親の年齢に近づいて来ました。如何
かコロリと往きます様にと祈る日々。

     あやつれぬ ネット・携帯・妻・子ども

前二つは如何でも良いけど、あとの二つは腹立たしいね。今日も病院の帰り飲食
街に行きました。群がり歩いているのは主婦の皆さん。人のことは言えない私も例
にもれずですが(たまにだから許されるよね!)、夫はワンコインの昼飯代では? 
何時の間にこんなに女性上位のありがたい時代になったのか? 
ありがたやありがたや!

     うちの父 ジョギングしながら 医者に行く

健康にいいとジョギング始めた人も多いのですが、それは若い時だけで、骨も、
筋肉も弱ってくる70歳の声を聞く頃には「年寄りの冷や水」ではないのかな~?
 しかし、「麻薬のような力」があって、止められないものなのかしら? 運動嫌
いの私の「やっかみ」かな~?




     



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老いの才覚

2011年06月14日 | 読みました

            「アルペンブルー(星桔梗)」     (11-5-11)


今朝、久しぶりに、ホームドクターの先生親子の朝の散歩に出会いました。ビック
リするほど大きな犬を先頭に、手綱を持った若先生、少し遅れて老先生です。もう
何年になるでしょうか、その時は犬の手綱を持っていたのは老先生でした。そして、
その後に若先生が、箱車に息子さんを乗せて、それを引っ張って続いていましたっ
け。世代交代ですね~。「老いては子に従え」ですかね~。


     老いの才能   曽野綾子

『老人とは一般的に65歳以上の人だとされています。…略… 私が老化を測る目
安にしているのが「くれない指数」です。世間には友達が「してくれない」配偶者
が「してくれない」娘や息子が「してくれない」と始終口にしている人が居ます』
これが老いだと言います。年寄りなんだから、「してくれて」当たり前と言う間違
った甘えの考えは不満ばかりを増徴させるのかも知れません。

『昔の人は老いの才覚を持っていた』今の老人には何故ないのだろうか?『基本的
な苦悩がなくなったから』だそうです。『食べられなくなれば、生活保護がもらえる』
『何かがあれば政府が何とかしてくれるだろうと思うから自分で考えない。してく
れないのは政府が悪いと言うことになるわけです』

このたびの震災についても曽野さんは書いています。これは本の内容ではありま
せん、新聞に書かれたことです。

『いけない「上げ膳据え膳」 生きることは自ら仕事をすること』

『行政がサービスと思っている一つの間違いは、震災後2ヶ月以上経っているのに、
まだ「上げ膳据え膳」をするのがいいことだと、と考えているらしいことだ。それ
より、急遽、共同炊事場を作り、最低の購買所も併設して、とにかく毎日の食事は
被害者達が自分で何とかしなければならない、と言う厳しい人間生活の基本に戻す
ことだ。もちろん、体が不自由で食事を作れない人には給食の体制を作ればよい。
しかし毎日何もしないでも食べられる人を作るから、人生を鬱病的にむなしいと感
じたり、急激に老化に拍車が掛かって、一日何もしないで寝てばかりいる老人が出
来る』

6月10日のブログに書きました、神戸からのボランティアの方の行動は正しかっ
たのです。皆で掃除をし、食事を作ることで交流が深まり、そして本来なら自分で
していた行動をすることによって、前向きに生きる力が出てこられたのではないで
しょうか…。

そう考えると、。温泉宿で三食あてがわれてすごしていれば、そこを出て自力で生
活することになった時、不満ばかりで、前向きになれないのではないかと心配にな
ります。勿論若い人のことではありませんよ。一生涯その生活が続くわけではない
のです「してもらう」事になれた老人の事を心配しているのです。

新聞から本の内容に戻します。

「75歳ぐらいから肉体の衰えを感じ始める」『人間の老化には七十五歳ラインと
でも呼ぶべきものがあるような気がします。後期高齢者医療制度について「なぜ、
75歳からなんだ」と言う反論もありましたが、実に妥当な線引きだと思います。
本当に、七十五歳前後を境に病人が一気に増えると言うのが私の実感です』

本の初めから終わりまで、「なるほどなるほど」と言う箇所が多いのですが、この
部分は実際に、その真っ只中に居て、体力気力の衰えを実感している私にとって
は「やっぱりそうなんだ!」と思い「人のたどる道を私もあるいているんだ」と一安
心と言う感じです。

必要なお金がないなら、旅行も観劇もきっぱり諦める
『老年は、一つ一つ、出来ない事を諦め、捨てていく時代なんです。執着や俗念と
戦って、人間の運命を静かに受容するということは、理性とも勇気とも密接な関係
があるはずです。諦めとか禁欲とか言う行為は、晩年を迎えた人間にとって、すば
らしい高度な精神の課題だと私は思うのです』

今まで出来たことが出来なくなった時、なんとも悲しい気持ちになります。でもそ
うではなく、今の自分を受け入れ、出来なくなった事を嘆くのではなく、今の自分
を認めて生きていけばいいのだと悟りました。
                      (1630回)




     
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知らなかった言葉を知る時

2011年06月13日 | 気にかかる

                我家の「ゆり」の中で 毎年一番早く咲きます   (11-5-20)


今日は久しぶりにお友達と塚口でデート、お茶しました。その日の体調で約束が
守れないこともあるので、なるべくお約束はしないようにしています。そうしない
と、相手にご迷惑が掛かると言うことがあるからです。

5年前に私の目の前で意識をなくし、意識のないまま今年亡くなった仲間。その出
来事が、当時の所属クラブの退会に私を駆り立てました。

1ヶ月前、またしても、友人が、目の前で意識をなくして倒れました。すぐ意識を
取り戻したのですが、2度も意識をなくす場面に出合った私は、ますますお約束は
最小限にし、当日の体調によっては、「ドタキャン」しようと決めています。

楽しみにしていた今日、何事も無くお会いできて良かったです。


未経験のことが起こると、今まで知らなかった言葉を教えられます。

1990年普賢岳が爆発しました。つい最近のように思っていましたが、もう20年も
経っています。このときは「火砕流」と言う言葉を私は始めて知りました。すさまじ
い真っ赤な溶岩の流れが火口から下の村に流れてくるのを、テレビの映像を通し
て見ました。大きな被害が出ました。それから、5年間も休みながらですが、続い
たそうです。

この地方も、200年ほど前にもやはり爆発があった地域だそうです。「歴史は繰り
返される」と言う言葉どうりです。

そしてこの度の東日本大震災では「洗掘(せんくつ)」と言う言葉を覚えました。
洗掘とは堤防を乗り越えた波が防波堤を乗り越えて、壁の背後に回りこみ、防波堤
の基礎部分を抉り取り、防波堤を倒すと言う状態です。

こちらもテレビで、大津波の迫りくる様子、船や自動車、家等々を軽々と壊し、移
動させるのを見ました。引き波が又凄い、なぎ倒した家を軽々と沖に運んでいきま
した。

この地方の1村はやはり、昔に大津波によって崩壊していた。その教訓を、教えを
元に15m堤防を建設している。そんな高さは必要ないという多数の意見を押し切
って、当時の村長が立てたそうです。一度だけその堤防をテレビで見ましたが、右
の村は何もかもない状態になっているのに、防波堤を隔てえた左側には何事も無
かったように村の家々が存在していました。

「火」と「水」のすさまじい「流れ」をテレビと言う文明の機器によって人々は見たわ
けです。そして新しい言葉も覚えました。

同じ地盤に立っているのです。昔あったことは又繰り返すと言う教訓を得ました。
自分の住む地域の出来事は知っておくべきだと感じました。

我尼崎も「室戸台風」1934年と言いますから、私の生まれる1年前です。今から
76年前に4mの水が押し寄せたそうです。その記録の高さを示すポールが尼崎
市役所の端ににひっそりと建っています。市民のうちで何人の方がこの事実を、そ
してポールの存在を知っているでしょうか? 何時来るか分からないものを、いた
ずらに「恐れ」る事はないかも知れませんが、「事実」は知っておいたほうがいい
のかも知れません。





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何処も同じ…

2011年06月10日 | 気にかかる

   「スミレ」 1cmほどの小さなものです かすかに良い香りがします 今年初めて我家に来ました


昨日、宮城の南三陸町の仮設入居辞退者が多いと書きました。他の県は如何な
んでしょうとも書きました。日経の朝刊に宮城県、のことが乗っていました。福島
県のことが載っていました。日経は経済紙ゆえに、こういう一般問題は、何時も1
日遅れるようです。

福島県の担当者は仮設住宅希望が少ないのは「民間借り上げ住宅が人気な面が
ある」と言っています。そうでしょうね。仮設は仮設でしかありませんが、一般住宅
は普通の住宅ですものね。独立したい、前進したいと言う人には良いに決まってい
ます。

メインは宮城県と同じ「食事や生活物資の支援が無くなり、被災生活で経費がかさ
むこと」を理由に挙げています。

しかし国交省は「完成から入居まで手続きに時間が掛かる」のが原因だと言ってい
ます。そうでしょうか? ニーズが汲み取れていないように思いますが。皮肉なこ
とに手続きも厭わない仮設に入りたいと言う人には当たらす、不便な場所の仮設で
は食事も通院もままならないと言う人に当たっているのではないですか? 募集の
時の説明不足だと思いますよ。「手続きに時間が掛かる」と言うなら、この際です、
簡素化すればいいのではないですか。このまま、仮設を作っても条件は同じだと思
います。

何処の避難所だか忘れましたが、そこに派遣された、神戸大震災の経験者のNPO
の方は4月から、づ~っと生活を共にしているのですが、何時までもボランティア
に何でも頼っていてはいけないと言うので、まず、班に分けて、朝、全員で避難所
の掃除を始めたそうですよ。次に食事のしたくもボランティアに頼っていたのを、
分担を決めて自分達でする、そうすると人と人との会話も弾み、仲間意識が強まっ
て居るそうですよ。

この話をテレビで見て、リーダーの良し悪しで、その生活に張りが出るのではない
かと思いました。

もう一つ良いリーダー・南三陸町旭地区の区長さんです。区長さんのお話では、週
に1度、水や支援物資の配給を受け取りに来る皆の顔が暗い、どうにかして笑顔が
取り戻せないかと始めたのが「川柳」です。皆さん川柳を作るのは初めてだそうで
すが、支援物資の配給を受け取りに来た時に区長さんの選んだ句が発表され、住民
の顔に笑顔が戻ったそうです。こんな「川柳」ですよ。

     大津波 みんな流して バカヤロウ

     大津波 ババのヘソクリ 泥の中

     水くみと 物資もらいで 今日もくれ

     流された 家より惜しい みそのタル

     災害が 冷えた夫婦の よりもどす

     千年に 一度の津波 何故ここに

 4月半ばに電気が通じたそうです、そこで女心が…

     電気つき 亭主驚く ノーメイク

     スッピンで 外に出る日が あるなんて


     
                 2株のうち1株はきえてしまったようです
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仮設住宅当たっても入らない?

2011年06月09日 | 気にかかる
          
                  「額アジサイ」 今年は見事に咲いています (11-6-6)


今日も一日家に居て、庭仕事をしました。一寸頑張りすぎて、腰が痛みます。花
を植え替えてやりたいのですが、これで又しばらく出来ません。腰痛の薬貰ったほ
うが良かったのかしら? あまり薬に頼りたくなかったけど一寸後悔しています。
「使い痛み」ってやつですかね~? 弱くなったものです。

仮設住宅、お約束の期日より10日ばかり遅れて3万個出来上がったようですが、
宮城県南三陸町の仮設住宅は津波の影響で水道水に塩分が高くて飲めないので、
給水車に頼る生活になるし、食事の提供もなくなるし、病院への無料送迎バスもな
いので仮設住宅に当たっても、「当面ここで」と残留を希望すると言うのです。

この人たちは鳴子温泉の旅館に避難している人たちで、政府から一人1泊5千円が
支給されているので、三食きっちり出されている上に、仮設に移ればこのお金は支
給されない。どうしてなんでしょう。三食付で(その費用ぶんかな?)お金は支給され、
独立すれば、部屋はもらえるが、食費は自炊で、費用も自分もちとなれば、老人は
3食付から離れたくないと思うのは当然です。

若い家族は生活は自分でするから、仮設住宅だけは当りたい、と思っている人には
当たらないんだよね。

鳴子温泉には700名が避難生活を送っているそうですが、仮設申し込み時の事前
の説明がはっきりしていなかったのではないかしら?

南三陸町の全員が、鳴子温泉と言うわけではないのでしょう? それならもっと不
便を強いられている人たちから、仮設入居資格があるようにすべきでなかったので
しょうか? 若い家族でも年寄りや乳幼児を抱えてる所帯は、仮設が当たっても、
3食付だから残留したいとか。

南三陸町では入居期限に締め切りを設けるようにするようですが、そうしないと、
仮設は当たったが、不便するからと入らない人の為に数十戸の仮設が空き家状態ら
しい。

不便でも入りたいと言う人に、せめて食事代の補助ぐらいしてあげたら如何ですか?
日赤は善意の募金を銀行に眠らせたままらしいのですが、こういう人たちに使って、
独立しようと言う人を増やすほうがいいのではないでしょうか? 

お年よりは慢性病が多いのですから、薬とお医者さんとの会話で心が和むのですか
ら、病院行きのバスを出してあげてください。

菅さんがやめないと頑張っていますし、やめさせようとして、議員さんはごちゃご
ちゃしていますが、それはほっといても、これくらいは町ごとの判断で出来るので
はないですか? 一寸不公平な気もしますが、すべてが平等と言うことは世の中に
ありませんから、生き金の使い方を考えてください。 他県はどうなんでしょうね?



          ↑   真ん中の花が咲いた        ↓   花がつぼみの状態です


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歌川国芳展

2011年06月08日 | 一寸そこまで

          ↑  会館入り口の看板          ↓   館内のもの

                      ポスター


先週の連日の病院行きの反動で、今週はじ~っと家に居たい気分です。今日も
一日午前中は草取り、午後からはソファーに寝転んで、本を読んだり、居眠ったり、
「休め!」と体が要求しているようです。


6月4日(土) 昼食を食べながら「歌川国芳展、明日までやけど、いかへん?」
「何処でや?」「天王寺美術館で…」「今からいこかか…」と言うことになり、
1時過ぎに家を出ました。天王寺まで約1時間。太陽に照り付けられました。「や
っぱり、外出は午前中がいいな~。疲れるわ」とモグラのように地下道を進みまし
た。

明日が最後と言う事で作品の前は3重の人の列です。こんな時は「音声ガイド」の
作品を中心に時間をかけることにしています。それでも半分で中休みを取らなけれ
ば疲れます。

版画ですから「国芳の絵」とは言いながら、それを克明に彫った彫師と刷った刷師
の力が無ければ、この作品は出来なかったのだな~といまさらのように思いいたり
ました。

版画は3枚組みが多く、それも1枚でも独立した絵として見れると言うものですが、
横並びの3枚は今までも見たことがあるのですが、縦に2枚続けて、「滝の高さ」を
表しているのは珍しいと思いました。

写真に写っているような、ユーモアを感じさせる作品が好きですね。でもね「鯨」と
「義経」の関係が分からないんですよ。義経は「鵯越の逆落とし」のように勇壮果
敢だと言う事を表しているのでしょうか?

人の顔をよく見ると幾人もの人体で出来ていたり、葉書のように猫数匹で「たこ」
という字になっていたりとか、西洋の騙し絵のようなのが楽しかったですね。

思いついた事をメモしておいた紙をなくしてしまって、色々感じたのに思い出さな
いのが残念ですが…



↑   私の買った「絵葉書」        ↓   チケット
     
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検査検査の日々でした

2011年06月07日 | 気にかかる

                今年初めて 庭で 「トンボ」 を見ました


先週の月曜日から土曜日まで、病院通いで、検査漬けでした。初めてMRIも受け
ました。何気なく「整形外科」を訪れたのがきっかけでした。

5月30日(月)「整形外科」に行きました。疲れた時に右足を引きずるという事と、
寝ている時に足を曲げて同じ姿をして居るのに気づき、まっすぐする時に痛いとい
う理由でした。只それは一過性のもので、昼の生活に響くということはありません。
只、一時的にせよ、痛むということは、骨に異常があるのではないか、一度レント
ゲンで見てもらおうということになったのです。

腰のレントゲン検査を受けました。その結果、腰骨の3つ目の間接が曲がっている
というのです。レントゲンを見て私にもそれは理解できました。しかし骨に異常が
あるわけではなく、何の手当てもない、痛めばシップを貼るなり、痛み止めを飲む
なりですといわれました。

次に高血圧の関係で内科に廻されました。「納得がいかないなら、木曜日に、脊髄
専門の先生が居られるので、診断を受けられてはいかが」と内科の先生の紹介で、
同じ病院内の脊椎専門の先生を紹介されました。その先生と心配なら「頭のMRI
の検査」を受けてはどうかと予約を入れてくれました。

6月1日(水)MRIは予約が午後4時でした。私が最終かと思っていましたが、
私の後にもう一人女性が居ました。私の前の方も女性でした。

MRIは凄い音だというのは、主人が2度受けに来て、待合室で待っている私の耳
にも届いていましたから知っていました。

耳栓をわたされ「強制ではありませんが、音が大きいので、ど~ぞ」といわれまし
ました。

内科のお医者さんに「閉所恐怖症ではありませんか?」と聞かれましたが「その経
験がないので分かりません」「「狭いところに入るんですが…」と言う会話を思い
出し、もし私が閉所恐怖症でトラウマになるといけないので、確りと目を閉じてお
りました。

「15分ぐらいですから」といわれました。始まってまもなく音が止まり「気分は悪く
ありませんか?大丈夫ですか?」「大丈夫です」「では始めます」テストをしていたの
でしょうか、後は耳元で色んな音が響いて来ました。薄目を開けてみますと、黄色
っぽい光が届きました。

何となくリズミカルに響いてくる音を聞きながら「持ち主の私でさえ見たことのな
い、頭の中をコンピューターがスライスしながら覗いているんだわ」「何処か崩れ
ているだろうか?」「いいえ、きっとまだ確りしているに違いない」とか考えてお
りました。

あまり、頭のそばでガンガンやられたからでしょうか、台から降りる時に、少しふ
らつきましたが、無事終わりました。「ゆっくり着替えてくださいね」と言う先生の声
に送られて、更衣室に行きましたが、早くこの部屋から逃れたいという気持ちでし
た。

6月2日(木)紹介された整形外科の「脊椎専門医」の所にいきました。レントゲ
ンを見て、これくらいの曲がりはたいしたことはありません。75歳と言う年から
見ればたいしたものです」「これは今なったわけではなく20年も30年もかかっ
てなったものですから、これから悪いほうに進行するのもそれくらいの年月が掛か
ります」と言うことは悪化するより、寿命の方が先に尽きると言うことかと、安心
なような、寂しいような複雑な感じでした。

先生は私を歩かせてみたり、屈伸をさせてみたりして「力強いですね」と言われ、
私の顔をじ~っと見つめて「今の腰の状態は年を取るとだれでも、顔にシワが出
来たり、シミが出来たりするのと同じでです」と言われました。所謂お医者さんの
年寄りに対する定番の「加齢によるものです」と言うことでしょう。「MRIの結果も
大丈夫のようですよ」と付け加えました。

6月3日(金)MRI検査結果を聞きにいきました。昨日「大丈夫」と言われてい
たので気が楽でした。

パソコン上に私の頭のスライスされた映像を映し出して、説明してくださいました。
そこには私の頭が上から横からと映し出されていきます。実にくっきりと整ってい
ます「今までに血栓があるとか言う状態もなく、綺麗なものです、何も心配は要り
ません、唯、左の頬に影がありますが、これも悪性ではないと思いますが、年の為
に「耳鼻咽喉科」に行って下さい」と予約を取ってもらい、その足でそちらに…。

1時間以上待たされて、「この影は何も心配いりません。一寸鼻を見ましょう。耳
を見ましょう、喉を見ましょう。今日でおしまいです」と1分か2分でおしまいです。

結局は時々の症状は老化現象であって、何処にも病魔は潜んでいなかったと言
う無罪放免だったのですが、表面上のシワやシミのように体の内部でも自然に
加齢が進んでいると言うことのようです。

6月4日(土) ホームドクターにいきました。こちらは「検便の結果」を聞く為で
す。3日間の(3回)検便は出血はありませんでした。と言うことは、今の所、腸は
大丈夫と言うことのようです。

貧血が出ていると言うので「痔はありませんか?」「ありません」「腸からの出血が
あるといけないので検便してみましょう、1回では見逃すことがあるので3日3回と
って提出してください」と言われたのです。

それから、借りてきたレントゲンを見て「骨は年齢にしては立派なものです。痛み
は筋肉痛でしょう」と筋肉痛に関して色々と説明を受けました。

こんなに色々検査をしますとだんだん本当に自分が重病人のような気がして来まし
た。検査すべては「白」だったのですが、嫌と言うほど加齢による肉体の衰えを知
ることになった1週間でした。


「病は気から」とはよく言ったものです。昔の人は偉い!!


        「星桔梗(アルペンブルー)」 今年は一寸花茎の立ち上がりが少なかった
     
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細川護煕・美の軌跡展

2011年06月06日 | 一寸そこまで

               ↑  チケット        ↓   パンフレットの裏側


細川元首相が議員を引退されてから、「陶芸」を趣味に「晴耕雨読」の生活に入
られたことは知っていました。しかし個展を開くまでにお上手だとは知りませんで
したし、初めての個展がパリだとは勿論知りませんでした。

「陶芸」だけだと思っていましたが、「書」も嗜まれて、こちらもお見事でした。私は
大好きな字でした。大作が多くて、大方が「条福」の作品でした。「半紙」がお好
きなようで「色紙」は見あたらなかったように思います。

普通「陶芸」は一つの窯に魅せられて、「XX窯を好み…」と言うものだと思って
いましたが、細川さんは違っていました。「XX窯」にはこだわらず、複数の窯の
作品を焼かれるようでした。高麗の作品を模す時は、高麗の土を輸入するか、時
には現地に飛んで焼く。と言うことのようです。「茶器」だけではありません。壷、
置物、掛け軸等々多岐に渡っていました。

壊れた大きな壷は花器に使われていましたよ。「花」といえば作品に花が添えられ
てあるのですが、(勿論日本の野に咲く楚々とした花)すべて名前が添えられてお
りまして、こんな親切な展示は初めてだと、花が大好きな私にとっては嬉しいこと
でした。

会場には湯河原にあるお茶室の実物大の模型が在ったのですが(パリにも持って
いかれたようです)「お茶の炉」は四角と決まっていると思っていましたが、丸いの
には驚きました。発想の転換がお好きなようです。

すばらしい作品とその意外な使い方の考えに感心しました。

お金持ちでないと出来ない生活だな~と言うのと、もう一つ感じたことがあります。
鳩山さんとの比較です。

同じように不自由のない家に生まれ、二世議員でもあり、総理経験者でもあります。
細川さんはすっぱりと議員生活に別れを告げ、一生の趣味を見つけ、その立場でも
大成しつつあります。

片や鳩山さんは一度は「やめた」と言いながら、前言取り消して、居座っています。
それだけならまだしも、コロコロと寝返って廻りに禍を撒き散らしています。

細川さんは人と付かず離れず趣味に生きる、鳩山さんは権力と、人の集まりが好き
で、周りの迷惑考えない生き方。貴方ならどちらに軍配を揚げますか?  



    名前は判りませんが、芝で咲いていたので 可愛いので鉢揚げしてやりました(11-6-6)
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何を基準の計らい?

2011年06月03日 | 気にかかる

              「白い紫蘭」   今年は沢山咲きました




今日は一日外に出ていたので、疲れてしまいました。国会中継があったのですが、
ビデオを撮っているのですが、まだ見ていません。

東日本大震災で不思議だな~と思っている事があります。避難所などで不自由をさ
せるより、一般家庭にホームステイさせようと言う試みがあるようですが、大阪、
奈良、神奈川などでは受け入れボランティア登録家庭は約2400件あるそうです。
でも実際には神奈川県へ4人だけで、被災地の親は遠距離をためらっているそうで
す。

そんなこと初めからわかっていると思うのです。どんなに不自由でも親子一緒がい
いに決まっています。どういう発想でこんな企画を立てたのでしょうか? 大阪、
奈良なんて、あまりにも遠すぎます。

大阪は「透析」患者の為に「透析器」50台を用意したそうですが、1名の使用者
も無かったそうです。相手は病人です、「透析」が必要な人にとっては受けないと
ならない物とは言えはるばる大阪までこられるとは考えにくいのです。この発想も
どうした理由から? もし本当にしてあげたいというのなら、たとえ10台でもいい、
被災地から通える場所に設置してあげればよかったのではないでしょうか。

被災地は岩手、宮城、福島県の海岸部分だけで、内陸部は被害は無かったわけ
ですからそちらの各県内に設置するという意見は出なかったのでしょうか。

関西は阪神淡路大震災の経験がありますから、被災者受け入れ(空き家)を申し
出る数が多かったようですが、利用者は少ないようです。私だって、家が無くなっ
ても大阪京都奈良ぐらいなら、考えるかも知れませんが、東北にいらっしゃいとい
われても、お気持ちはありがたくとも、二の足を踏むと思いますから、東北の人が
不自由な避難所でも関西まではね~と言う気持ちは良く分かります。

「一般家庭のホームステイ」にしても「透析」にしても、お隣の青森、秋田、新潟あた
りでの受け入れの話が少ないように思いますが、関西で報道されてないだけで、実
際は行われているのでしょうか? この事をず~っと不思議に思っていました。

被災者の身になれば、近場がいいと思いますよ。この度は町ごと避難とかしている
のはいいことだと思います。神戸の時は仮設住宅は抽選だったので、隣近所知らな
い人ばかりという状態だったようで、「孤独死」が多かったのです。住む所だけでは
駄目なんですよね。人と人とのつながりがないと、前向きに生きられないのですよね。

神戸に避難して来られた方にはね、その方達の出身地の情報を細かく、週1回ぐ
らい分厚い報告書をお届けしているようですよ。被災者にとって、個人ではなかな
か情報が得にくいですから、この連絡は、喜んでいただいているのではないでしょ
うか。これぞ、被災経験のある役所だからのサービスだと思います。  




              「紫蘭」   こちらも良く咲きました


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