ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

知らなかった言葉を知る時

2011年06月13日 | 気にかかる

                我家の「ゆり」の中で 毎年一番早く咲きます   (11-5-20)


今日は久しぶりにお友達と塚口でデート、お茶しました。その日の体調で約束が
守れないこともあるので、なるべくお約束はしないようにしています。そうしない
と、相手にご迷惑が掛かると言うことがあるからです。

5年前に私の目の前で意識をなくし、意識のないまま今年亡くなった仲間。その出
来事が、当時の所属クラブの退会に私を駆り立てました。

1ヶ月前、またしても、友人が、目の前で意識をなくして倒れました。すぐ意識を
取り戻したのですが、2度も意識をなくす場面に出合った私は、ますますお約束は
最小限にし、当日の体調によっては、「ドタキャン」しようと決めています。

楽しみにしていた今日、何事も無くお会いできて良かったです。


未経験のことが起こると、今まで知らなかった言葉を教えられます。

1990年普賢岳が爆発しました。つい最近のように思っていましたが、もう20年も
経っています。このときは「火砕流」と言う言葉を私は始めて知りました。すさまじ
い真っ赤な溶岩の流れが火口から下の村に流れてくるのを、テレビの映像を通し
て見ました。大きな被害が出ました。それから、5年間も休みながらですが、続い
たそうです。

この地方も、200年ほど前にもやはり爆発があった地域だそうです。「歴史は繰り
返される」と言う言葉どうりです。

そしてこの度の東日本大震災では「洗掘(せんくつ)」と言う言葉を覚えました。
洗掘とは堤防を乗り越えた波が防波堤を乗り越えて、壁の背後に回りこみ、防波堤
の基礎部分を抉り取り、防波堤を倒すと言う状態です。

こちらもテレビで、大津波の迫りくる様子、船や自動車、家等々を軽々と壊し、移
動させるのを見ました。引き波が又凄い、なぎ倒した家を軽々と沖に運んでいきま
した。

この地方の1村はやはり、昔に大津波によって崩壊していた。その教訓を、教えを
元に15m堤防を建設している。そんな高さは必要ないという多数の意見を押し切
って、当時の村長が立てたそうです。一度だけその堤防をテレビで見ましたが、右
の村は何もかもない状態になっているのに、防波堤を隔てえた左側には何事も無
かったように村の家々が存在していました。

「火」と「水」のすさまじい「流れ」をテレビと言う文明の機器によって人々は見たわ
けです。そして新しい言葉も覚えました。

同じ地盤に立っているのです。昔あったことは又繰り返すと言う教訓を得ました。
自分の住む地域の出来事は知っておくべきだと感じました。

我尼崎も「室戸台風」1934年と言いますから、私の生まれる1年前です。今から
76年前に4mの水が押し寄せたそうです。その記録の高さを示すポールが尼崎
市役所の端ににひっそりと建っています。市民のうちで何人の方がこの事実を、そ
してポールの存在を知っているでしょうか? 何時来るか分からないものを、いた
ずらに「恐れ」る事はないかも知れませんが、「事実」は知っておいたほうがいい
のかも知れません。





コメント
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