ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

老いの才覚

2011年06月14日 | 読みました

            「アルペンブルー(星桔梗)」     (11-5-11)


今朝、久しぶりに、ホームドクターの先生親子の朝の散歩に出会いました。ビック
リするほど大きな犬を先頭に、手綱を持った若先生、少し遅れて老先生です。もう
何年になるでしょうか、その時は犬の手綱を持っていたのは老先生でした。そして、
その後に若先生が、箱車に息子さんを乗せて、それを引っ張って続いていましたっ
け。世代交代ですね~。「老いては子に従え」ですかね~。


     老いの才能   曽野綾子

『老人とは一般的に65歳以上の人だとされています。…略… 私が老化を測る目
安にしているのが「くれない指数」です。世間には友達が「してくれない」配偶者
が「してくれない」娘や息子が「してくれない」と始終口にしている人が居ます』
これが老いだと言います。年寄りなんだから、「してくれて」当たり前と言う間違
った甘えの考えは不満ばかりを増徴させるのかも知れません。

『昔の人は老いの才覚を持っていた』今の老人には何故ないのだろうか?『基本的
な苦悩がなくなったから』だそうです。『食べられなくなれば、生活保護がもらえる』
『何かがあれば政府が何とかしてくれるだろうと思うから自分で考えない。してく
れないのは政府が悪いと言うことになるわけです』

このたびの震災についても曽野さんは書いています。これは本の内容ではありま
せん、新聞に書かれたことです。

『いけない「上げ膳据え膳」 生きることは自ら仕事をすること』

『行政がサービスと思っている一つの間違いは、震災後2ヶ月以上経っているのに、
まだ「上げ膳据え膳」をするのがいいことだと、と考えているらしいことだ。それ
より、急遽、共同炊事場を作り、最低の購買所も併設して、とにかく毎日の食事は
被害者達が自分で何とかしなければならない、と言う厳しい人間生活の基本に戻す
ことだ。もちろん、体が不自由で食事を作れない人には給食の体制を作ればよい。
しかし毎日何もしないでも食べられる人を作るから、人生を鬱病的にむなしいと感
じたり、急激に老化に拍車が掛かって、一日何もしないで寝てばかりいる老人が出
来る』

6月10日のブログに書きました、神戸からのボランティアの方の行動は正しかっ
たのです。皆で掃除をし、食事を作ることで交流が深まり、そして本来なら自分で
していた行動をすることによって、前向きに生きる力が出てこられたのではないで
しょうか…。

そう考えると、。温泉宿で三食あてがわれてすごしていれば、そこを出て自力で生
活することになった時、不満ばかりで、前向きになれないのではないかと心配にな
ります。勿論若い人のことではありませんよ。一生涯その生活が続くわけではない
のです「してもらう」事になれた老人の事を心配しているのです。

新聞から本の内容に戻します。

「75歳ぐらいから肉体の衰えを感じ始める」『人間の老化には七十五歳ラインと
でも呼ぶべきものがあるような気がします。後期高齢者医療制度について「なぜ、
75歳からなんだ」と言う反論もありましたが、実に妥当な線引きだと思います。
本当に、七十五歳前後を境に病人が一気に増えると言うのが私の実感です』

本の初めから終わりまで、「なるほどなるほど」と言う箇所が多いのですが、この
部分は実際に、その真っ只中に居て、体力気力の衰えを実感している私にとって
は「やっぱりそうなんだ!」と思い「人のたどる道を私もあるいているんだ」と一安
心と言う感じです。

必要なお金がないなら、旅行も観劇もきっぱり諦める
『老年は、一つ一つ、出来ない事を諦め、捨てていく時代なんです。執着や俗念と
戦って、人間の運命を静かに受容するということは、理性とも勇気とも密接な関係
があるはずです。諦めとか禁欲とか言う行為は、晩年を迎えた人間にとって、すば
らしい高度な精神の課題だと私は思うのです』

今まで出来たことが出来なくなった時、なんとも悲しい気持ちになります。でもそ
うではなく、今の自分を受け入れ、出来なくなった事を嘆くのではなく、今の自分
を認めて生きていけばいいのだと悟りました。
                      (1630回)




     
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