ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

父子家庭のお父さんがんばれ!

2009年11月19日 | 気にかかる
            尼崎・上坂部西公園の紅葉 (09-11-18)





朝6時前、庭に出てフッと何気なく離れた高層住宅に目をやった私は「うわ~、
きれい!」パステルカラーのピンクが高層住宅を包んでいます。「写真写真
!」と家に駆け込みカメラを持って引き返した私の目の前に、あの可愛い高
層住宅はなく、何時もの冷たい姿を見せているだけです。ものの数分です、
自然現象は私を待ってくれませんでした。あのように建物が朝焼け?に染ま
っている時、住んでいる人は如何感じるのでしょうか? 外壁だけの変化で
内部には何の変化も無いのでしょうか? 解らない事の何と多いことよ! 
理科に強い人から見れば「へ~そんな事も知らないの?」って言われそうで
すが…

起床してから午前中の時間の配分に少し戸惑いました。何時でもパソコンを
触れるんだという事は解っているのですが、「何しようか?」と戸惑っている私
が居ます。朝起きて、昨日のブログの間違いをチェックしたり、書き足したり
した後は、「パソコン城」を明け渡しておりますから…。

テレビで「父子家庭」にも援助の手をとお父さん方が会を立ち上げられたよ
うですね。女性は男女同権を声高にさけんで、世間も応援しているのに、十
分とはいえないまでも、援助を貰う為に「偽装離婚」までする人があると聞
いていますのに…。「母子家庭」に成されていた「援助」が父子家庭にはな
かったという事です。

この度はその輪を「父子家庭」にも広げる企画はあるようですが、それを来
年度から早速実行してもらいたいという事のようでした。

「男性は女性より給料が高い」と言う理由から今まで支給されなかったよう
ですが、誰がそんな事決めたん? 女性にだってバリバリ働いて高給を取っ
ている人だっているのでは? それなら男性だって、給料の低い人が居る事
は安易に想像できるでしょうに…。

「男女同権」と言う言葉は女性にのみ適用されるの? お父さんは言います
「子どもを抱えていると、残業とか、色々に支障が出て、正規のお勤めが出
来難い事もあります」って。

私が驚いたのは、この発表の席に子どもを同席させている方がおられた事
です。今までに同じような母親の会見で、子どもを連れて出ているのを見た
記憶がありません。言うならば「この子が居るから、まともには働けません。
だから援助してください」と言う場なんですよね。子どもは小さくとも感で解っ
ていると思います。子供のためには悪い事では無いと思います。小さくとも現
状を知る事は良いことだと思うからです。

女のほうが見栄っ張りなんでしょうか? 良いかっこしいなんでしょうか、頂く
ものは頂きたいが、それを子どもには知られたくないと…。私も母子家庭で
育ちましたし、母は何も言いませんでしたが、私は現状を知っていましたから、
辛抱するという事を学んでいきました。

私が何故僻まなかったか? それは回りにいっぱい私へ愛情を注いでくれる
人が居たからだと思います。子育ては「金」ではないんです「愛」なんです。
「愛」を感じた子どもは「貧しさ」から沢山の事を学びます。平等なんて重要で
は無いんです。生れ落ちた環境で「愛」をいっぱい受けて育てば、自分で善
悪の判断の出来る意思の強い子に育つと思います。

何度もいうようですが「子ども手当て」はじっくりと考え直していただきたいの
です。 勉強嫌いの子に勉強を強いる事は無いんです。学びたい子が学べる
様にしてやって欲しいのです。

今の世間が学歴社会だから、しかた無しに大学に行っていると思うのです。
自分のしたい事を見つけたら、安心してその専門の技術を学べるようなシス
テムを作ってくだされば良いと思っています。

そうすれば、直ぐには無理でも学歴社会も変化して、自分の好きな分野で生
活できる世の中になれば、今の様な殺伐とした、人の命を軽んじる人間が減
っていくと思うのです。心豊な生活は自然に人口増加にも繋がると思うので
すが…。


コメント (2)
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又、失敗!

2009年11月18日 | 今日この頃
     落羽松(らくうしょう)  (尼崎・上坂部西公園 09-11-18)




今日は寒かったですね。雨は降らないという事で、いっぱい洗濯したのに、ど
んよりとした、時々薄日の差すだけのお天気で、洗濯物の乾きが悪かったで
す。こんなの気持ち悪いですね。暑いのは嫌ですが、朝昼と洗濯してもすっか
り乾く夏日がちょっぴり懐かしい。

主人は今日から2泊3日で箱根に行きました。例年の、元神戸支店で一緒だ
ったお仲間が呼んでくださったからです。「寒いので冬支度で来てください」と
メールを頂きましたので「ダウン着ていく?」「それは一寸早いやろ~」と一歩
手前のジャンパーを着て、薬を色々持って、いそいそと出かけていきました。

箱根は今紅葉がとても奇麗とテレビが言っていました。それなら私は「上坂部
西公園」にでもと出かけました。ところがです、温室の前に行ってがっくり「本
日休館」の字が恨めしい。昨日も「温室に色々花が咲いている」とネットで調
べたばかりなのに、詰めが甘いというか、注意散漫と言うか、どじを踏んでし
まいました。

実は先週の月曜日も失敗したばかりなんです。主人のジム仲間の「タラセア
展」を見に行ったんです。会場の前に行ってがっかりです「月曜部は休館」
だったのです。楽しみにしていたのに…。名残惜しげにガラス窓から中をの
ぞいてみたのですが、当然の事、暗くて見えませんでした。これも加齢の一
段階でしょうか。

今日に話しを戻しますと、それなら紅葉でもと探しましたが、写真の「落羽松」
と「紅紅葉」「桜」とあまり奇麗な紅葉は見られませんでした。返す返すも残
念の一言です。

今日はもう一つ目的がありました。私の外出には「食」が付き物です。「尼崎
ウォーカー」と言う、尼崎の宣伝本があるのですが、その食べ物のページに、
塚口(塚口から少し歩いた場所に今日の公園はあります)に「美味しいパン
や」があると書いてありました。そこを探す目的もありました。

ちっちゃなパン屋さんは直ぐ見つかりました。若夫婦でやっている感じでした。
お店に入ってトレーをキョロキョロ探しましたがありません「あの~欲しいもの
はどうして取るのでしょうか?」と「お選びくださればお取いたします」とおくさん。
なるほどパンの入ったショウケースは手前にはガラスが入っていて自分では
取れないように(ケーキ屋さんの感じ)なっていました。「私は初めてなので本
に書いてあったものをいただきますと、3種類選んだのですが、1種類は「今
日はもう売り切れました」といわれ、ベーコンの入ったパンを買って、お昼に
食べました。おいしかったです。腹持ちのいいパンで3つは食べられませんで
した。一つは明日のお楽しみ!

今日と明日は、主人が居ないので、パソコンは私の自由、いつでも使えると
思っていましたのに、毎日の積み重ねと言うのは怖いもので、何時もの時間
にならないとパソコンの前に座らないのです。お腹が空く事を「体内時計が…」
何て言いますが、「食べる」だけではありませんね。私の行動は、何も考えな
くとも「体内時計」の通りに動いているようです。



                沢山の実がついていました

              こちらのは実がついていません
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折り紙

2009年11月17日 | 思い出話
           コリウス色々  (尼崎・上坂部西公園  09-6-5)





一日中降っていた雨もやっと上ったようですね。これだけ降りますと葉はしゃ
きっとしますけれど、花は如何でしょうね。花びらが痛んでないでしょうか。花
いっぱいの会から頂いてきた「パンジー」一つ二つと咲き始めたんですけど…、
頑張っていてくれてるかな~?

今、折り紙が静かなブームのようですね。先日もテレビで、小さな芋虫が蝶に
なるまでを紙で折っていましたね。折っていたのは男性でした。づ~ッと前に
は動物を折る人を見ましたがやはり男性でした。折り紙作家といわれる人は
男性が多いのでしょうか?

芋虫は嫌いなんですけど、テレビの中では奇麗でしたよ。芋虫が成長するにし
たがって身体の変化は大きくするだけではなく、紙の色でも変化をつけていま
したね。

動物のように複雑ではないだけに芋虫や蝶々はかえって難しいかもしれませ
んね。

もう何十年前になるでしょうか、公民館に「折り紙」を習いに通った事があるの
です。その折り紙は小さな色紙に作品を張って、壁掛けにするんです。今でも
玄関に掛けてあるんですけれどね。季節や、その月の催し物や花を折るのです。

仕舞ってある缶を開けてみましたら15.6枚ありましたから、1年半ほど通った
という事でしょうか。月に一度のお稽古でした。何故止めたのか忘れましたが、
それらの作品を手にとって見ていますと、なんだか懐かしく、もう一度習いた
いな~と思ってしまいました。

私は割りと手先が器用な方ですから、スルスルと出来たんですが、小さな折り
紙ですから、今では出来ないかも知れませんね。それに先生も私よりず~っと
御歳上でしたから、生きておられても、もう教えておられないだろうな~と入ら
ぬ事まで考えてしまいました。

当時所属していたクラブで「ごんぎつね」(小学4年生の教科書)についての
リサーチ・スピーチをした時は、本を見ながら、茶色の和紙を使って「ごんぎ
つね」を折って胸に付けて出た事がありました。司会の方がその事に気づい
て折り紙の「ごんぎつね」を紹介してくださったという懐かしい思い出もありま
した。

今は全く折らなくなりましたが、この数年来行っています、原爆記念日の慰霊
祭で、小さな鶴を折るぐらいです。配られる紙は銀色です。

折り紙をしていた頃は奇麗な折り紙を見ると欲しくなったものでした。その折
り紙は如何したかしらと考えて見ますと、孫が小さかった時に、良い紙で子ど
もの遊びには勿体無いな~と思いながら使ったものです。紙も捨て置かれる
より使ってもらったほうが嬉しかったかもしれませんね。





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遍路 (68回)

2009年11月16日 | 思い出話
            平成15年5月11日 (日)
             番外霊場 2番 延命寺



        距離:22K  BH・美空 ~ 延命寺 ~ ろんどん荘

5月11日 0:59  うえきさん  (受)

コンビに弁当は辛いですね「ろんどん荘」の道路を隔てた向かいにある総菜屋さんは美味しい
のでお勧めです。種類も結構あったと思います。僕がお腹いっぱい食べて1000円いかなかった
ような。一度利用してみては如何でしょうか。

11:28  ふじいさん  (送)
久し振りの雨の遍路です。モーニングしています。みかんの白い小さな花が真っ盛りです。
よい匂いで元気づけてくれます。去年在った鯉幟が見当たりません。高知と愛媛のお国柄の
違いでしょうか?

11:35  ふじいさん  (受)
こちらは予報どおりの雨です。少し底冷えがします。何となく面白くないね。足元に良く気をつ
けて、お参りしてください。

11:35  ふじいさん  (送)
西が明るい。昼から上るそうです。後8Kで宿です。今日はお参り無しです。

11:38  かずよ  (受)
今日は朝から雨が降っています。そちらも雨ですか? 風引かないように。

11:46  かずよ  (送)
今、やっとお店を見つけてモーニングしています。足りなくてホットケーキ追加しました。
雨は午後から上るそうです。今日は後8Kだけです。お寺は明日までありません。

11:59  ひろあき  (送)
やっとモーニングしています。遍路道を行くとお店がなく、ひもじさに国道に下りてきました。
又遍路道に戻ります。自動車の音が五月蝿いので。

12:16  かわしまさん  (受)
第3日目:やはり雨が降りました。念力無力。風もあります。歩いてホカホカになりますように。

15:53  かわしまさん  (送)
もう宿についています。時速4.5Kと頑張りましたので、2時に着きました。明日まだ歩かない
と次のお寺に着きません。気の長い話しでしょう。自動車なら2時間掛からないところを、足掛
け3日かけて歩きます。




16:41  しょうま  (受)
修学旅行はバスと電車やで。

16:57  しょうま  (送)
そうなん。先生が大変やね。持って行くお小遣いの額は?

17:06  しょうま  (受)
7000円以下やった。

17:31  しょうま  (送)
ひろあきおじさん2000円おじいちゃん5000円合計7000円メデタシメデタシ。

17:33  しょうま  (受)
一応お兄ちゃんとおじいちゃんに有難うって言っといて。

17:37  しょうま  (送)
解りました。



昨夜の残り物で朝食を済ませて、宿を出ました。暫く国道を歩きましたが、車
の騒音が五月蝿いので、一筋北の遍路道(生活道路)を歩く事にしました。

町に入っても食べ物やさんが在りません。溝浚えをするらしく、スコップを持っ
た奥様が4.5人立ち話をしていましたので「この辺に喫茶店はありませんか?」
と聴いてみましたが「無い」という答えが返ってきました。

暫く行くと工場が在って、昼休みらしくおじさんたちが居ました。そのうちの1人
が「歩きかい? ご苦労さん」と声を掛けてくださいました。「この辺りに食べ物
屋さんはありませんか?」と尋ねてみました。

もう1人のおじさんと相談して「セルフ・サービスのうどんや」安くて美味しい店
が市役所のそばに在ると教えてくれました。此処から北に行ってその筋を戻
るらしい。「戻る」と聴いただけで拒否反応が起こりました。一歩でも前進した
いのです、戻るなんて嫌や!

「二人なら500円になるよ」割安と言う事だろうか。美味しくて安いのは魅力
的ですが「前進を阻む」のはゴメンだわ! お礼を言ってその場を離れまし
た。国道に出ればお店はあるだろうという事で、空腹を満たす為に国道に出
ることにしました。



やっと見つけました。ログハウスばりの割と感じの良いお店です。「ご飯のラ
ンチは出来ないが、サンドイッチならある」と言うので入る事にしました。割
と美しいサンドイッチが出てきたのですが、量が少ないのです。お腹の「何処
へ入った?」と言う感じでしたので、大好きな「ホットケーキ」も注文しました。
太るはずだわ!

此処からは又、国道から家の間を縫うように続く旧道に戻りました。旧道を行
くと1K長くなるそうですが、車の騒音の中を歩くよりましです。

土居町に入った辺りで、家からおばさんが出てこられて「お接待です」と「ポカ
リスエット」と「お茶」をくださいました。私がここを通るのが何故解ったか??
考えましたよ。それは主人と私の距離にあるようです。まず主人の姿が眼に
入ります。「お遍路さんだ!飲み物でも緒接待しよう」と家に駆け込み飲み物
を手に戻られた時、グッドタイミングに私が通りかかるという寸法です。主人
の後姿を眺めたその人が振り返って私の姿を目に止められたのかもしれない。
私も前方におばさんが家に引っ込む姿を見たように思いますから…。

番外霊場 2番 延命寺 に着きました。道を挟んだ向かいに「いざりの松」が
ありましたが、残念ながら枯れていました。その巨大な根と幹の一部の残骸が、
屋根をつけてもらって、横たわっていました。そのそばに小さな東屋が在り、トイ
レもあったのでトイレ休憩させていただきました。この辺で泊まる人が多いのか
遍路宿がポチポチありました。
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遍路  (67回)

2009年11月15日 | 思い出話
              平成15年5月10日
             第64番札所  神前寺



  距離:22K  伊予小松駅 ~ 吉祥寺 ~ 前神寺 ~ B.H 美空   (3)



                  石鎚神社の高~い鳥居


前神寺まで、もう少しと言う所に「石鎚神社」はありました。今から思えば折角
だからお参りすればよかったのに、当時は先を先をと心急いでいましたから、
鳥居の前でお参りしただけでした。年齢的には尚更何事も「一期一会」なの
に…、近頃は身に沁みて感じていますが、たった7年前には「まだまだ」と言
う気持ちでした。

見あげるように大きな鳥居が目を引きました。その手前には石鎚神社は「日
本七霊山」の一つであると書かれた看板が立っていました。それは「石鎚山 
富士山 御嶽山 大峰山 立山(白山) 大山 釈迦岳」です。釈迦岳だけを
知りません見当をつけて九州・福岡の八女(やめ)であろうと推測しました。
それは普賢岳(ふげんだけ)の頂上にあるようです。

普賢岳は1990年かの大噴火を起こし「火砕流」と言う言葉を私に教えて
くれた山でした。このように思い出を綴る事によって、知らない事を調べた
り、思いもかけない関連に行き当たる事があります。パソコンを使っていて
よかったと思う瞬間です。富士山 御嶽山 立山 大山に登っているのです
よ。加えて主人は神戸のすし屋の主人に誘われて大峰山にも登っているの
ですよ。大峰山は今でも(主人が登った当時)女性は登れないんです。山の
麓の宿で連れの帰りを待っているわけです。







第64番札所 前神寺 の山門は石鎚神社の大鳥居を見たばかりの目には
「あれ~!」「これ?」と思うほど簡素なものでした。雰囲気としては落ち着いた
お寺で、ウグイスの声があちこちから聞こえていました。ウグイスの団地があ
るの?と思ったくらいです

境内は広く暫く歩かなければ「大師堂」につきませんでした。「本堂」はまだ
まだその先にありました。


                前神寺の入母屋造りの本堂



写真の写す角度が悪く真正面から写せば、入母屋造りの美しさ、荘厳さがも
っと良く解ったと思うのですが、この前に立った時、なんだか何時ものお寺と
どこか違うという感じを受けたのを覚えております。

提灯の三つ葉葵は江戸時代の西条藩主である松平氏がこの寺に東照宮を
祀ったからです。この寺は石鎚神社と共に石鎚信仰の二本柱となっていま
す。7月1日のお山開きには白装束に信者が集まって、此処より黒崎を越
えて石鎚山にお参りそうです。


        納経所の前辺りで見つけた なんだかとても心引かれた
   それから後 これと同じ像を時々見かけるようになり この寺を思い出す



少し行ったところで、ゆっくり歩むこんな2人連れと夫婦の歩き遍路さんを追
い越した。気が付けば私達は今朝からイチゴ1粒食べただけでした。道路沿
いにお店が1軒ももなく、今治駅は早朝だったので店が開いて居なかったの
です。道端にへたり込んでクッキーとカロリーメートの朝食を摂りました。

可愛い橋に出会いました。何が可愛い? その橋の欄干にメロディーを刻む
セメントのキーが打ちつけてあって、それを打つ事によって「ふるさと(反対
側はさくら)が聴けるようになっているのです。「撥は大切に扱ってください」
と書いてありましたが、撥はありませんでした。でも私は聞きたかったのです。
良い考えを思いつきました。金剛杖です。わるいかな?と思わないでもなか
ったのですが、奏でたい気持ちの方が勝っていました。私は「兎追いし…」
と歌いながら静かに打っていきました。  始は遠慮がちでしたが、自然の真
っ只中、誰も居ない開放感…。私はだんだん大胆になって大声で歌い始めま
した。それに連れて手にも力が入り、お大師さんの頭といわれている部分で
思いっきり叩いていました。通りかかった小学生が笑っていました。私はお大
師さんの頭の事に気が付き「わ! お大師さんすみません!」と謝り金剛杖の
頭をなぜました。

橋を渡り終えた土手は左側に大きな公園(武丈公園)がありました。桜の名所
らしく大木の桜の木が多数ありました。土手も桜並木になっていました。1ヶ月
前こばやしさんご夫婦が此処を歩かれた時はきっと桜並木のトンネルだったの
ではないかしらと、若葉を茂らせている木々を仰ぎ見ながら思いました。

住宅街に入ってしばらくすると、お庭に車椅子で座っている男性が居られまし
た。私は目礼をして通り過ぎようとしました。「お遍路さん…」不自由な言葉で
手招きされました。「これくづして、お参りして…」動かない片手で押さえ財布か
ら200円を取り出し差し出されました。垣根越しなので私も思いっきり手を伸
ばしてありがたく頂きました。身体はご不自由でも、どうか心豊な生活でありま
すようにと祈りつつその場を離れました。

住宅街を抜けて大通りに出ました。其処には嬉や弁当やさんがありました。作
って売っている「いしづち」と言うお店でした。ぬくぬくであるのがとても嬉しか
ったのです。店先のベンチで食べている間にも、車で買いに来る人が後をたち
ませんでした。

お腹に米粒がはいり、元気に歩き始めました。今夜の宿が「ローソン」の傍と
言うので、「ローソン」が見えると「やった~!」と近づくと、違ってがっかりを
何度繰り返した事でしょう。そういえば「ローソン」ばかりで「セブンイレブン」
は見当たりませんでした。四国をテリトリーにしているのは「ローソン」だけな
のだろうか? 

駐在所があったので入っていきました。大男の若い人でした。親切に教えてく
ださるのはいいのですが、私は一刻も早くその場を去りたかったのです。だっ
て半端じゃないニンニクのにおいなんです。一寸考えて欲しいな~、と思った
けど、考えてみれば人が訪ねてくる事等めった無いんでしょう…。

教えられた川の土手の「ローソン」にたどり着きました。昼食はしっかり食べて
いるのに、やはり歩き始め第1日目だから、えらく疲れを感じました。何はとも
あれ荷物を宿に置こう、後から買いに来ようと言う事で宿に急ぎました。

早い時間であるにも関わらず(大体早く着きすぎると嫌な顔をされます)気持ち
よく鍵を渡してくださいました。お風呂は4時で無いとお湯が出ませんと言う事
なので、夕食の買出しに出ました。「ローソン」で件のゆっくり女性2人組みが、
お弁当を買っているのに出会いました。「彼女達もきっと『美空』だね」と話しま
した。此処ではアルコールを売っていないので、主人は酒屋の場所を聞いて買
いに行きました。私は買い物をレジでチンしてもらって一足先に帰りました。予
想通りお二人さんがフロントで手続きをしていました。静かな一夜でした。


            ビジネスホテル 美空  (2泊目)

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未来が大切だったら今を大切にして

2009年11月14日 | 気にかかる
          「コエビソウ」   (西宮の街角で  09-6-26)





私は東北大学の高血圧の研究のモニター(若先生の恩師が研究しておられ
るようです)をしています。もう7年ほどになりますから血圧計が壊れました。
新しいのを頂く為に申請していました。その血圧計が届いたというので、受け
取りに行きました。

受付の人は勿論ですし、来ている方達の半数はマスクをつけています。お医
者さんに行くと余計に病気に掛かりはしないかと心配でした。マスクをかけて
いる人を見ると「新インフルエンザじゃない?」ってドキッとします。

今日は体調もいいので、通常のインスルエンザのワクチンを打ってもらおうか
と訊ねましたが、入る量が少なく、先日終わったと言われました。何時どれだ
けの量が入るか解らないので予約も受け付けませんと言う事でした。

新インフルエンザ・ワクチンの製造が忙しくて、通常のワクチンの製造にも影
響が出ているようですね。仕方が無いので、ウガイと手洗いに励みましょう。



オバマさん駆け足で行っちゃいましたね。昨夜は鳩山さんとお二人でのテレビ
見ようとテレビを点けていたのですが、オバマさんの声を子守唄に眠ってしま
いました。「チェンジ!」って演説のトーンが高めの声を聴きなれていますか
ら、昨夜のオバマさんの声は低く聞こえましたよ。鳩山さんの声がか細く自信
なさそうに聞こえましたね。

実質的な交渉は月曜から始まるようですが、給油作業停止の代わりの提出
金凄い額の提示ですね。本当に大丈夫なんでしょうか? そんなにばら撒
いて…。

先日「国の借金864兆円に=国民一人当たり678万円」の借金だそうです
よ。借金が嫌で、家の建て直しでさえ、資金を溜めてからした私達ですのに、
知らぬ間に1人678万円も借金を背負っていたなんて…。

先日麻生内閣が策定した景気対策に伴う国債の増発が主因だそうですが…。
これって、もしかして「定額給付金」も含まれて居ます? 「定額給付金」貰っ
て誰も当然と言う感じで「嬉しい…」と大喜びの声は聞こえませんね。景気対
策の一環だと言っていましたが、景気良くなってます?

「子ども手当て」だって当然と言う感覚になり「ありがたい」と言う感覚は直ぐ
無くなると思いますよ。そして死ぬほど貧乏でもないのに、人様からの施し
で子育てをする。子は親が必死で育ててくれたという感覚も、有り難味も持
たず、勿論親への感謝も尊敬もなく成長する子を育て如何するのでしょうね。

勿論二万六千円では子は育てられません。しかし楽になる分親子の頼りが
いの気分もなくなるでしょうね。「得とって、損する」って事ではないですか?

子どもは平等でなくても良いのです。親の経済状態をまともに受けて育って
良いのです。我慢する事も覚えるでしょうし、這い上がろうという根性も出て
くるというものです。 

ただね、学びたい気持ちだけは貧乏だから諦めるという環境からは救って
欲しいのです。ケチケチ言わずに大学まで無料、勿論親の経済調査の上で
すよ。その時も現金支給はダメですよ。大学に直接払い込んでくださいよ。
高校出てれば自分の食い扶持ぐらいなら稼げるでしょう。

私は人口の減りの心配より、今成人して、大学を出ても就職先の無い若者
に目を向けてやって欲しいのです。働けたら、結婚にも目が向くでしょうし、
家族も欲しいと思うでしょうしね。これから子どもを生んでくれる可能性のある
若い人の未来が見えないのに、人口が増える道理が無いではありませんか。

今を大切にすれば、未来に希望はあると私は思うのです。違いますか?


         「蛍ふくろ」   (西宮の町角で  09-6-26)

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また出ますかね~

2009年11月13日 | 今日この頃
               京都国立博物館の庭の紅葉

        あまりに紅色が鮮やかで奇麗なのでそばに行ってみました
            「南京はぜ」? いえいえ葉っぱは「さくら」でした
       食堂の店内から写したので窓枠が入っています  (09-11-12)



唱歌の学校に行って来ました。2回お休みしたので3週間ぶりと言う事になり
ます。来年のニューイヤーコンサートに新しい曲「ベートーベンの幻想曲」を
歌うものですから、皆さん休むと付いていけなくなるとおっしゃっています。

確かにそうかもしれません。ドイツ語ですしね。だからと言って、休まなけれ
ばならない都合の悪い日もあるわけですよ。

もし歌えなければ、出なければ良いわと思っています。でも一応努力だけは
しているんですよ。のりこ先生がおこしてくださったテープを自分のカセット
に移しかえて聴いています。もう何十回と聴いています。

始は先生が何を言っておられるのかさっぱり解りませんでした。お経のよう
に「むにゃむにゃ」と言葉になりません。でも休んでいますから、私は聞き続
けました。

ある日、突然に先生の言葉が一つ一つはっきりと聞こえてきたのです。相変
わらず意味は解りませんが、単語の一つ一つがはっきりと理解できるのです。
嬉しかったですよ。諦めずに聴き続けたからだと思いますよ。何でも努力し
て損は無いな~と思いました。

今日はそれを確かめる日だったのです。楽しみ半分、不安半分で授業に臨
みました。「う~ん」部分的には付いていけないところもありましたが、成果は
あったと思います。もしテープを聴く努力をしなければ、今頃は後悔の海に投
げ出されている事でしょう。

私達のコーラス部分にソリストが6人(女3人、男3人)入るそうですが、男性
の1人はウイーンからこられるそうですが、後のお二人は日本人の新鋭のお
若い方だそうです。もう1人ピアノも若い男性だそうですよ。皆さん練習に来
られて驚かれるのではないでしょうか?「うわ~! 後期高齢者の団体だ~
?」って…

今は恒例になっていますが、始まった頃は「出たい人だけ出てください」と言
う事でしたが、会員がだんだん減って来たからだと思いますが、今日は「なる
だけ出てください」と言われました。私達のクラスも始の頃の半分くらいでしょ
うか…。気が付けば、あの人もこの人も歯が抜けるように居なくなっています。

頑張って出ましょうかね~。足腰丈夫な間に…。
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日蓮と法華の名宝

2009年11月12日 | 一寸そこまで
       左:京都国立博物館の看板       右:入場券  

  平成天皇在位20年記念に入場者先着1200名に配られた「日蓮聖人御影」



京都に行くべく、ホームで電車を待っていました。何気なく前のホームを眺め
ていました。若い女の子がホームからひらりと線路に飛び降りました、本当に
軽々と着地しました。耳に携帯を当てたままです。そして何か拾いました。
「あ~何か落としたんだわ、でもあぶないな~」と思っていました。

その時です、今まで聞いた事が無いような音が聞こえてきました。「何?」と
音のするほうを見て驚きました。スピードを緩めてるとはいえ、電車が入って
くるではありませんか…、携帯電話に夢中の女性も気づきました。慌ててホ
ームに上ろうとしますが上れません。彼女は走りました。男性がいるほうに、
そして両手を差し伸べて助けを求めました。男性もビックリしたでしょう、で
も引っ張り上げてくれました。彼女はもんどりうって転びましたが、危機は脱
しました。

男性にお礼を言ったか言わない内に彼女は自分のカバンを置いてある方に
歩き始めました。携帯で話しながらです。そして電車が入ってきました。彼女
は電車には一瞥を呉れる事無く携帯で話して歩いていきました。

それから彼女がその電車に乗ったのか如何かは電車に遮られて私には見え
ませんでした。自分の突飛な行為で、運転手の方に迷惑を掛けたのです。無
視して通り過ぎないで、せめて一礼して欲しかった。動転していたからとは言
わせません。携帯で話し続けていたのですから。「死んでもXXを離さない」と
言う言葉がありましたが、彼女は人への迷惑なんて考えず、唯々携帯で話続
けていたのです。何と言う神経の持ち主なんでしょうね。

主人が言いました「ひっぱたいてやりたかった!」「私もよ!!」その傍若無
人ぶりに腹の中が煮えくり返るような気持ちでした。何時もなら京都までの時
間、気持ちよく眠って行きますのに、落ち着かないというか情けないというか、
その無知さが悲しいというか、こんな大人が増えたら如何しようと考えてしま
いました。


日蓮宗の家に嫁ぎながら「日蓮宗」について何も知らない、その家に生まれ
ながら主人も何も知らない。だからこの機会に遅ればせながら少しでも「日
蓮宗」について学ぼうかと思ったのです。

いかに大きな宗派であったかを理解できました。先日行った京都日蓮宗三
寺の事も時々出てきました。勿論「日蓮聖人」がおえらいのですが、後に続
々と引き継ぐ人が現れたから、栄えていったのです。日蓮聖人は61歳でな
くなっているのです。昔は長生きの域だったのでしょうか…

本阿弥光悦、尾形光琳が日蓮宗である事は知っていました。それだけでは
ありません茶屋四郎、俵屋宗達、絵画の狩野派、長谷川等伯等々当時の
有名町衆が皆日蓮宗だったようです。それだけ大きな宗派だという証明で
しょうか。思いがけなかったのは「加藤清正」も日蓮信者だそうです。

人間ばかりではありません談山神社(天台宗)も今盛んに注目を集めている
「熊野古道」も日蓮の息が掛かっているそうです。

「曼荼羅」といえば「絵」を意味すると思っていましたが、実際は南無妙法連
華経の字を中心に据えた「書」であって、「絵」は「絵曼荼羅」と言うようです。

色々と目から鱗の一日でしたが、私が感心したのは「手紙の返事」の事を
「かえりごと」と言うそうです。日本語って何と美しいのでしょうね。

こうなれば、何としても、日蓮宗大本山身延山に行かねばね」と主人と話し
ました。




                  我家の「日蓮聖人」像 
        綿帽子は日蓮さんが佐渡に流され、迫害を受けた時の傷が
   寒さに痛まないようにと秋の彼岸頃から春の彼岸頃までかぶせる習慣


    気候のいい時期は無帽です             全体像


帰りまして、今まで気にしていなかった「我家の日蓮聖人」はどんなお顔かと
写真に撮ってみて驚きました。着ていられるものが金色で模様が書かれてい
たからです。古ぼけた像と思っていました。先祖から伝わったものですから、
それこそ何百年か経っているでしょう。

ただ私が今まで見た「日蓮聖人の像」は色つきの袈裟はありましたが、木目
そのままか墨染めの衣と言う感じでした。何故我家の衣には金で文様がある
のでしょうか? 屋久島の日蓮聖人は皆金ぴか?

元士族で、名字帯刀を許されていたという刀が(ボロボロです)あるのですが、
もしかしてその上に成金趣味だったのだろうか?など考えました。日蓮聖人の
座っておられる台座は今でもぴかぴかに金色です。仏壇は黒檀だと思います。
真っ黒な中に金ぴかな日蓮聖人、ありがたかったろう奇麗だったろうとは思い
ますが、何故?と言う疑問は残ります。

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再び「心のノート」

2009年11月11日 | 新聞から
       「コスモス」  同じピンクなんですが 微妙に違うんですよね

       濃いピンクと薄いピンクの間に白が入って、3段になっています
          こんなの始めてみました まるで絞り染めのようでした





昼過ぎから雨が降り始めました。本格的に降るのは何日ぶりでしょか。雨音 
も良いものだな~と聞いていました。でも同じ雨音でも夜になると何となく寂し
く、心細く感じます。

家の中に入れている葉ものも、天然水を与える為に、埃を払う為にも外に出
してやりました。もう直ぐ、鉢の一部は家に取り込まなくてはなりません。
そしてたまに降る雨の日は今日のように外に出すのですが、これが又数が多
くなると大仕事になります。出し入れが出来るのは後何年だろうか? 等、
心細く感じるのも、寂しさを誘う夜の雨音の所為でしょうか。









今月の初め、中学生の女の子がこんな記事を投稿していました。

「心のノート」廃止しないで

私は新聞で、道徳の時間に使う教材「心のノート」をはいしすると言う記事を
見つけました。昨年まで小学生だった私にとって「心のノート」は大切な教材
でした。だからその大切さがわかります。

小学1年生のころ、私は恥ずかしがって、教室で一度も発言したことがあり
ませんでした。そんな私でも道徳の時間には、思っていることを「心のノー
ト」にしっかりと記していました。

「心のノート」は一人ひとりの気持ちをしっかり受け止めてくれるように思い
ます。

そんな教材をなくしてまで、今の教育方針を変えようとする民主党の考えが、
私には解りません。

今、私は授業中に、自分の考えや思いをきちんとつたえられるよう頑張って
います。

どうか「心のノート」をはいししないでください。


10月14日のブログで、私はこの問題に触れています。その日は、親の立
場の方の『「心のノート」廃止はなぜ?』を取り上げたのでした。

それから約3週間たっています。どうなっているのでしょうか?

中学生の文を読みますと「心のノート」と言うのは道徳を教えるのと同時に、
自分の気持ちを記入するページがあるようですね。小学校で1冊、中学で1
冊と2度与えられるようです。

中学生の言うには小学1年生の時は恥かしがりやで教室では発言しなかっ
たが、「心のノート」にはその気持ちを書き入れていた事。そうして「心のノー
ト」に自分の気持ちをまとめて書いている内に、授業中に自分の思いや考
えをきちんと伝えられるようになってきた。だから「心のノート」を廃止しない
で、といっています。

「心のノート」にその時々の自分の気持ち(先生が問題提起された事への自
分の思いだろうか)をかきのこすことが出来るなら、成長過程のとても良い
思い出だし、記録になると思います。

同じ子どもでも『くだらない』と言う子もあるようです。そういう子はきっと思っ
たと同時にそれを口にする子だと思うのです。「そんな事ノートに書かなくと
も、言えば良い」と言う事でしょね。それとも、「心のノート」に書かれている
道徳なんて解ってるわと言う事でしょうか。

「書く」と言う事は、自分の心の中を覗き込み、そしてそれをどのように伝
えるかを経験する事だと思うのです。今は「作文の時間」もなくなっている
のでしょう。「読む」ことからも遠のいていますから「書く」ことは無いでしょ
う。

文章の上手下手ではなく、その時々の自分の気持ちを書きとめておくことは、
とても良い事だと私は思うのです。

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森繁久弥さん

2009年11月10日 | 新聞から
            「コスモスと犬」      お気に入りの1枚です 
     犬の上にもう少し花を入れたかったのですが ロープが邪魔しています             
               視線の先には飼い主の青年が居ます





ま~よく降りました、日の暮れにやっと降り止んだでしょうか。森繁さんを送る
葬送曲、そんな気がしていました。

96歳で老衰、家族に見守られて静かな眠りにつかれたとか…。羨ましい、理
想的な旅立ちですね。勿論長命である故に、奥様に先立たれ、ご長男に先立
たれるという悲しみにもあわれました。

森繁さんといえば「屋根の上のヴァイオリン引き」でしょうか。私が実物の森繁
さんに接したのは、この舞台だけでした。まだまだ働き盛り、油の乗り切った
時代ではなかったでしょうか。友人と2人、当時は「梅田コマ劇場」と言ってい
た舞台を見に行きました。

テレビでは「7人の孫」を楽しみに見ていました。その頃、孫の役の俳優さんが、
そろそろ還暦かな~と思うほど昔の事ですね。

社長シリーズなど、映画は如何だったでしょうか? 子育てまッ最中であまり見
ていなかったかもしれませんが、後のテレビの放映で見たのでしょうか、覚えて
おります。加藤大介さんの課長でしたか? おべっか課長が絶妙でしたね。

「知床旅情」の歌は始は加藤登紀子さんの歌だと思っていましたから、森繁さ
んの歌を聞いたとき「あら! 何で~、森繁さんが歌うの~」と思ったものでし
た。加藤さんは森繁さんに歌は「語るように歌え、歌うように語れ」と教えられ
たそうですが、森繁さんの「知床旅情」を聞いていますと「そうねそうね」と言い
たくなりますね。

知床に行きました時、この歌のとおりだと思いました。花の終わりの時期だっ
たのですが、数輪の「はまなすの花」が咲いていましたね。実物の「はまなす」
を見た最初の場所が北海道でした。

映画は「恍惚の人」を見ましたね。有吉佐和子さんも好きな作家で「恍惚の人」
も読んでいたので見に行ったのだと思います。ところが今もはっきり覚えてい
るのですが、息子2人も連れて行ったんです。小学生だったと思うのですよ。
何故連れて行ったのでしょうか、今でも解りません。もしかしたら、同居してい
た姑(彼らにとっては祖母)ももしかしたらこうなるかも…と予防線を張ったの
でしょうか?

話しが話しですしね、今は「ボケ老人」なんてそのものズバリと言いますけれど
ね、当時は「恍惚の人」って流行語になりましたね。白黒映画だったと思います
よ。お嫁さんの役が高峰秀子さんでね~。そういえば高峰さんもどうしておられ
るのでしょうね。もう80歳前後になっておられると思いますが…。

「恍惚の人」の本あるはずだと探してみました。ありましたよ。背表紙が変色し
て、茶色になっていましたが、元は話の内容の割りに派手な色で、牡丹色でし
た。昭和47年発行で690円でした。そして本はしっかりしたサックに入ってい
ましたね。今はこんな形の本は少なくなりましたね。改めて見ますと全部サッ
ク(こう言いましたっけ?)に入っています。コスト高でこの習慣は止めたので
しょうか?

話を森繁さんに戻しますと、亡くなったという事で「号外」が出たそうですね。
文化勲章を貰われた方だからと言って、「号外」が出る方はめった居られない
と思いますから、やはり偉大な功績を残した方なんですね。

明日の「徹子の部屋」は森繁さんの追悼番組だそうです。
ご冥福をお祈りいたします。
                           (1230回)





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