ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

再び「心のノート」

2009年11月11日 | 新聞から
       「コスモス」  同じピンクなんですが 微妙に違うんですよね

       濃いピンクと薄いピンクの間に白が入って、3段になっています
          こんなの始めてみました まるで絞り染めのようでした





昼過ぎから雨が降り始めました。本格的に降るのは何日ぶりでしょか。雨音 
も良いものだな~と聞いていました。でも同じ雨音でも夜になると何となく寂し
く、心細く感じます。

家の中に入れている葉ものも、天然水を与える為に、埃を払う為にも外に出
してやりました。もう直ぐ、鉢の一部は家に取り込まなくてはなりません。
そしてたまに降る雨の日は今日のように外に出すのですが、これが又数が多
くなると大仕事になります。出し入れが出来るのは後何年だろうか? 等、
心細く感じるのも、寂しさを誘う夜の雨音の所為でしょうか。









今月の初め、中学生の女の子がこんな記事を投稿していました。

「心のノート」廃止しないで

私は新聞で、道徳の時間に使う教材「心のノート」をはいしすると言う記事を
見つけました。昨年まで小学生だった私にとって「心のノート」は大切な教材
でした。だからその大切さがわかります。

小学1年生のころ、私は恥ずかしがって、教室で一度も発言したことがあり
ませんでした。そんな私でも道徳の時間には、思っていることを「心のノー
ト」にしっかりと記していました。

「心のノート」は一人ひとりの気持ちをしっかり受け止めてくれるように思い
ます。

そんな教材をなくしてまで、今の教育方針を変えようとする民主党の考えが、
私には解りません。

今、私は授業中に、自分の考えや思いをきちんとつたえられるよう頑張って
います。

どうか「心のノート」をはいししないでください。


10月14日のブログで、私はこの問題に触れています。その日は、親の立
場の方の『「心のノート」廃止はなぜ?』を取り上げたのでした。

それから約3週間たっています。どうなっているのでしょうか?

中学生の文を読みますと「心のノート」と言うのは道徳を教えるのと同時に、
自分の気持ちを記入するページがあるようですね。小学校で1冊、中学で1
冊と2度与えられるようです。

中学生の言うには小学1年生の時は恥かしがりやで教室では発言しなかっ
たが、「心のノート」にはその気持ちを書き入れていた事。そうして「心のノー
ト」に自分の気持ちをまとめて書いている内に、授業中に自分の思いや考
えをきちんと伝えられるようになってきた。だから「心のノート」を廃止しない
で、といっています。

「心のノート」にその時々の自分の気持ち(先生が問題提起された事への自
分の思いだろうか)をかきのこすことが出来るなら、成長過程のとても良い
思い出だし、記録になると思います。

同じ子どもでも『くだらない』と言う子もあるようです。そういう子はきっと思っ
たと同時にそれを口にする子だと思うのです。「そんな事ノートに書かなくと
も、言えば良い」と言う事でしょね。それとも、「心のノート」に書かれている
道徳なんて解ってるわと言う事でしょうか。

「書く」と言う事は、自分の心の中を覗き込み、そしてそれをどのように伝
えるかを経験する事だと思うのです。今は「作文の時間」もなくなっている
のでしょう。「読む」ことからも遠のいていますから「書く」ことは無いでしょ
う。

文章の上手下手ではなく、その時々の自分の気持ちを書きとめておくことは、
とても良い事だと私は思うのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする