ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

森繁久弥さん

2009年11月10日 | 新聞から
            「コスモスと犬」      お気に入りの1枚です 
     犬の上にもう少し花を入れたかったのですが ロープが邪魔しています             
               視線の先には飼い主の青年が居ます





ま~よく降りました、日の暮れにやっと降り止んだでしょうか。森繁さんを送る
葬送曲、そんな気がしていました。

96歳で老衰、家族に見守られて静かな眠りにつかれたとか…。羨ましい、理
想的な旅立ちですね。勿論長命である故に、奥様に先立たれ、ご長男に先立
たれるという悲しみにもあわれました。

森繁さんといえば「屋根の上のヴァイオリン引き」でしょうか。私が実物の森繁
さんに接したのは、この舞台だけでした。まだまだ働き盛り、油の乗り切った
時代ではなかったでしょうか。友人と2人、当時は「梅田コマ劇場」と言ってい
た舞台を見に行きました。

テレビでは「7人の孫」を楽しみに見ていました。その頃、孫の役の俳優さんが、
そろそろ還暦かな~と思うほど昔の事ですね。

社長シリーズなど、映画は如何だったでしょうか? 子育てまッ最中であまり見
ていなかったかもしれませんが、後のテレビの放映で見たのでしょうか、覚えて
おります。加藤大介さんの課長でしたか? おべっか課長が絶妙でしたね。

「知床旅情」の歌は始は加藤登紀子さんの歌だと思っていましたから、森繁さ
んの歌を聞いたとき「あら! 何で~、森繁さんが歌うの~」と思ったものでし
た。加藤さんは森繁さんに歌は「語るように歌え、歌うように語れ」と教えられ
たそうですが、森繁さんの「知床旅情」を聞いていますと「そうねそうね」と言い
たくなりますね。

知床に行きました時、この歌のとおりだと思いました。花の終わりの時期だっ
たのですが、数輪の「はまなすの花」が咲いていましたね。実物の「はまなす」
を見た最初の場所が北海道でした。

映画は「恍惚の人」を見ましたね。有吉佐和子さんも好きな作家で「恍惚の人」
も読んでいたので見に行ったのだと思います。ところが今もはっきり覚えてい
るのですが、息子2人も連れて行ったんです。小学生だったと思うのですよ。
何故連れて行ったのでしょうか、今でも解りません。もしかしたら、同居してい
た姑(彼らにとっては祖母)ももしかしたらこうなるかも…と予防線を張ったの
でしょうか?

話しが話しですしね、今は「ボケ老人」なんてそのものズバリと言いますけれど
ね、当時は「恍惚の人」って流行語になりましたね。白黒映画だったと思います
よ。お嫁さんの役が高峰秀子さんでね~。そういえば高峰さんもどうしておられ
るのでしょうね。もう80歳前後になっておられると思いますが…。

「恍惚の人」の本あるはずだと探してみました。ありましたよ。背表紙が変色し
て、茶色になっていましたが、元は話の内容の割りに派手な色で、牡丹色でし
た。昭和47年発行で690円でした。そして本はしっかりしたサックに入ってい
ましたね。今はこんな形の本は少なくなりましたね。改めて見ますと全部サッ
ク(こう言いましたっけ?)に入っています。コスト高でこの習慣は止めたので
しょうか?

話を森繁さんに戻しますと、亡くなったという事で「号外」が出たそうですね。
文化勲章を貰われた方だからと言って、「号外」が出る方はめった居られない
と思いますから、やはり偉大な功績を残した方なんですね。

明日の「徹子の部屋」は森繁さんの追悼番組だそうです。
ご冥福をお祈りいたします。
                           (1230回)





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