ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

「納棺夫日記」の青木新門さん

2009年11月24日 | 一寸そこまで
        北御堂の内部 この中央でゲストはお話をなさいます



浄土真宗本願寺派の大阪・上本町にある「北御堂」に、もう7.8年になるでし
ょうか、年に一度は通っています。公開講座があって、時の人のお話を聞か
せていただいています。夜回り先生の水谷先生、「バカの壁」の養老孟司さ
ん、去年は確か「がんばらない」の鎌田実さんだったと思う。色んな方のい
ろんなお話しが聞けるので、楽しみにしています。帰りにアンケートを提出
しておきますと、翌年講座の通知ハガキをいただけるのです。

今日は「おくりびと」の原作の「納棺夫日記」の作者である青木新門さんの
「いのちのバトンタッチ」と言う題で、映画「おくりびと」が誕生するまでをお話
してくださいました。

映画「おくりびと」の画面に青木新門さんの名がないのは、その脚本に違和
感を覚えていた青木さんが、小説と映画は別物と言う事で「納棺夫日記」と
「青木新門」と言う字を入れないならと言う約束で映画を作る事を許可した
からだという事でした。

120分色んな話しを次から次へと話されて、その知識の豊富さに圧倒され
ました。決して、順調な生き方ではなく、大学を中退し、失恋し、店が倒産し、
食べるの困って(小説家志望だった。一作目が認められたために本人は作
家気取りだった)アルバイトのつもりで葬儀やに勤めた。

映画では山形となっているが、実際は富山県である事、納棺夫になってから、
(この言葉は青木さんの造語だそうです)親戚からは縁をきられ、友人も失
った。世間から軽蔑される生活で、日記を書くようになった。その時の日記
を富山の小さな出版社から出版したのがこの本だそうです。

死体と言うのは動かすと身体中の穴と言う穴から穢い液体が流れ出るもの
だそうです。そのために病院では穴と言う穴に綿花(エンゼルセットと言うそ
うです。綿花が綱のように連なっていて、それを必要なだけ切って使う)を詰め、
奇麗にしてから渡されるから、奇麗になった亡骸を皆さんは見ているわけです。
だが昔は親族が寄ってその作業をしたものです。

私はたとえ亡骸になたっとはいえ、血縁者に拭いてもらうより、それを職業
とする人にやってもらう方がいいような気がします。身内では恥かしい気持
ちです。たとえ骸になった、感情の無い物だとしてもね…

人間の、いや生物が死んだ瞬間は皆良い顔をしているそうです。笑っている
といわれました。それから死後硬直が来て、(その時間は人によってばらば
らだそうです)其々の生き方の現れた死に顔になっていくそうです。人の死
に立ち会う事の大切さを語られたように感じました。

その死に立ち会うと言えば、オバマ大統領が、まだ選挙の最中、自分を育て
てくれた祖母の危篤の報に、5万人の集会をキャンセルして、ハワイの祖母
の元に駆けつけた、凄い人だな~と思ったといっておられました。そういえば
そんな事がありましたね。

だんだんと「死」に近づいている年になり、「死」と言うのを「怖い」と感じるの
は死の世界に行く前に病気による痛みとか苦しみがあるからだという気がし
ています。眠るよな感覚で逝けたら良いのにと思っています。

私も幾度となく人の死に立ち会いましたが、その人の死を感じた瞬間、「血
の気が引く」と言う言葉があるように、瞬間的に顔から血の気がひいて、と
ても色白の顔になる瞬間があります「仏さんになった」と感じる感覚です。そ
れを境にして「生物」から「物体」に変わるのだと思っています。

余談になりますが、今使われている「ドライアイス」、使うと内臓まで凍える
そうですよ。

120分眠気も感じず聞きほれましたが、帰宅後どっと疲れました。「死」と
言うものを生々しく感じたからでしょうか。

「納棺夫日記」図書館に申し込んであります。読める日が益々楽しみになり
ました。



           名前は解りません  (大谷美術館 09-8-14)

            ジャスミン  (ご近所の塀で咲く 09-4-24)       
コメント
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