ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

沈まぬ太陽

2009年11月04日 | 映画の話
             大阪駅構内の絵の前に居るのは主人です 
            一緒に覗き込んでいるようにみえませんか?
            これも一種の「だまし絵」だと思いませんか?



                 絵の手前に居るのは私です 
            やっぱり絵と同化しているように見えませんか?




「沈まぬ太陽」を見に行きました。何時もの通り第1回目を見るつもりでチケッ
ト売り場に並んでいますと(今日は水曜日で女性が安い日なのと、マイケルジ
ャクソンの映画が掛かっているので若い女性がいっぱいでした)「第1回目の
『沈まぬ太陽』はあとわずかとなり、前2列のみとなります…」と言う放送があ
りました。前で見るのは好まないので、第2回目を見る事にしました。

ところが困った事に次までは1時間待たなければなりません。9時過ぎですか
ら、お店が開いていないのです。主人が「大阪駅の『だまし絵』見に行って写
真写そか」と言います。「相当の距離があるよ」それでも良いと言うので、駅に
向かいました。

実は主人はこの絵(1枚目)がお気に入りなんです。何時もこの絵を感心して
見ているのです。「じゃぁ~絵と同じに覗き込んでみて」と言って撮ったのがこ
の写真です。

映画を見る前に30分ほど歩くという運動をして、一寸サテンで喉の渇きを抑
えて映画館に戻りました。想像はしていたのですが、案外人が入っていました
ね。3時間半の長い映画で、途中に10分間の休憩があります。その時に「御
巣鷹山の惨事」の時にお腹にいた子が、バイオリンを弾いているのが流れる
からと教えてくれる人が居ました。「それなら休憩時間にトイレに行かないよう
にしないとね」と言う事で会場に入りました。

この2番と言う部屋は初めてでした。何時も階段状の席で見るので前に大きい
人が来ても平気だったのですが、今回は緩やかなスロープだったものですから、
前に背の高い青年が座ると私は見えません。映画が始まったら並びの空席に
移ろうといっていたのですが、皆埋まってしまいましたので、主人に代わっても
らいました。映画はやはり階段状が良いですね。

この本は1995年~1998年に週刊新潮に連載されたものですが、私が読ん
だのは単行本になってからです。それにしても有に10年が過ぎています。今
までに何度もテレビ、映画化の話はあったのですが立ち消えになっていたよう
です。

そして10年経った今、映画化されて、日本航空が「客離れ誘発に危機感」と
社内報で批判しているそうです。又日本航空が山崎豊子さんに脅迫まがいの
文を送ったりもしているそうです。その上に日本航空お抱えの新聞記者が
『沈ぬ太陽」に反論する単行本を出すらしいとも言われています。

内容としては、若い頃労組組合で活動していた主人公恩地(おんち)とその友、
行天(ぎょうてん)二人の生き方の変化で、筋を通し続ける恩地は左遷、変わ
り身の行天は出世街道を進む事になる。恩地には実在のモデルが居るが、行
天は複数の人物の合成であるといわれています。

左遷から本社勤務に帰った恩地、その時「御巣鷹山の悲劇」が起こるのです。
日本航空の被害者担当になった恩地は誠心誠意尽くそうとするが、行天に又
もや外地に飛ばされる。行天は一度は子飼いの部下となったが、心底は恩地
を慕う者の内部告発で特捜の取調べを受ける事になるという話です。

書かれて10年たった今になって、目くじらを立てる日本航空は「鈍すりゃ貧す
る」と言う言葉を実践しているような気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする