ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

国歌斉唱をせぬ卒業式

2008年03月29日 | 今日この頃
              さんしゅゆ (大井戸公園)
              小さい花でとても撮り難い
                やっと撮れました

「花冷え」?とに角冷たい風の吹く一日でした。ほんの少しだけ、鉢花の植え替えをしました。新しい土に植えてやると、なんだか葉っぱが生き生きとしてきたような気がします。大きい鉢から小さい鉢までまだまだ沢山植え替えなければなりません。頑張らなくっちゃ・・・。

夕飯は例の芦屋の焼き鳥を食べに行きました。釜めしは季節のもの「竹の子御飯」にしました。おいしかったけれど、今晩は又喉が乾くよ。

今日は他にお客様がなく、ご主人との「政治談義」に花が咲き、2時間ばかりを過ごしました。

その内の一つに「国歌斉唱」の話が出ました。門真(かどま)第三中学では卒業生170人の内、1人の男子生徒を除く全員が国歌斉唱時に起立せず、その多くが斉唱もしなかった。式に出席していた3年の担任、副担任11人の内9人も起立せず、斉唱もしなかった、と言うのです。

芦屋市でも5年ほど前までは酷かったそうです。「国歌斉唱」といってもピアノも弾かないそうで、子供さんたちも、教科書に「国歌」は載っているが習わなかったそうです。でも今は教育委員会と話し合って、随分ましになってきたそうです。ご主人は芦屋市会議員でもあるので、式典に立ち会われるようです。さて我尼崎はどうなっているのでしょうか?気になります。

日教組が「君が代が国歌であるとの記述がない」と「国歌」として歌う事を拒否しているのであるが、其れを一番初めに言い出した人は誰なんだろう?日教組に入っている教師にしても全部が全部「君が代を国歌ではない」とは思っていないだろう、心の中では同意していなくても「仕方が無いか・・・」と言う人も居るに違いないという話になった。

新聞記事に依れば「国歌斉唱」とアナウンスされたとたん、其れまで起立していた生徒は次々と座り始め、結果的には男子生徒1人だけが起立して斉唱したそうだ。

式の後、一部の保護者から事態を問題視する声がよせられ、学校側は市教委に報告し、公になった。私はこの記事を読んだ時も、何故それまで「君が代」を目の敵のようにするのか理解できなかった。唯1人起立して斉唱した男子は、いいとか悪いとかは別にして、素晴らしく意志の強い人だな~と思い、その様に育てたお母さんのお話が聞いてみたいよな気がした。

一部では「君が代の歌詞」に問題ありと言う事も聞いたような気がするが、私は素直に「歌詞も曲も」気に入っている。子供の頃は歌詞の意味も解らず歌っていた。
曲も覚え易いし、この歌自身に「国歌としての重々しさ」「品格」があり、「国歌」として最高であると思っている。

代替の歌を作ればと言う声もあると聞くが、「日の丸」と「君が代」はとてもいい組み合わせだと思っているから、今風の軽い物に変えて欲しくないと思っている。

歌詞も古今和歌集の
     
     わが君は ちよにやちよに さざれ石の  
              巌となりて 苔のむすまで

から採ったもので「いついつまでもの繁栄を祈る」と言う意味だと私は解釈している。間違っているだろうか? 故に「国歌」に相応しい歌詞だと思っている。

親子4人で「タイ旅行」に行かれたそうで、十数年前に行った私達の時代と「タイ」も随分変わったようで、この話でも盛り上がった楽しい晩御飯でした。

コメント
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