ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

Qちゃん如何するの?

2008年03月22日 | 新聞から
                   八重の花ボケ
             何時もなんと可哀想な名前だと思います
                 何故このような名に?

良いお天気でした。花壇の草引きをしました。あちこちの土から球根の芽が覗いていました。チュリップの球根も駄目かもしれないけど、土をかぶせてやりました。
花壇は割り箸の林になりました。

開会式に30分あるからと始めましたら、夢中になって、野球の事はすっかり忘れてしまいました。800人の合唱も宣誓も聞かずじまいです。我ながら物忘れにホトホト呆れております。

先日「若年性アルツハイマー」のテレビを見ておりました。旧友のみちこさんと重ね合わせてみてしまいました。みちこさんはどうしているのでしょうか。もうかれこれ10年ぐらい経つと思いますから、65歳前の発症を「若年性」と言うらしいので彼女もそのように呼ばれるのだと思います。

所謂「まだらボケ」の間は、クラス会にも出てきていました。駅までご主人が送って来られて、親友がそこまで迎えに行っていました。ご主人が「もう出られる状態ではありません」といわれてから、クラス会のあるたびに「どうしているかな~」と思いつつも、現状をお訊ねするのもはばかられています。

「私アルツハイマーやねん」と彼女から直接聞いた時は、特に如何と言うことも感じませんでした。今のようにテレビで報道される事もありませんでしたから、私としては「私高血圧やねん」と聞くのと同じ感覚だったと思います。確か息子ばかりだったと思うので、ご主人が全て面倒を見ておられるのだと思います。私の中には元気な頃のみちこさんだけがいます。人一倍元気で、行動的だった彼女が・・・。


スポーツジャーナリストの方が「Qちゃんの復活の為に」と言う事を書いておられました。私も同じ考えでした。

『・・・肉体は年齢と共に老いる。パフォーマンスを維持する為には、加齢を踏まえてのトレーニングが必要となる。だが一流選手になればなるほどこれまでの経験が邪魔をする。先の名古屋国際女子マラソンで失速した高橋尚子選手もそうではなかったのか。

レース後、昨年8月に左ひざ半月版を切除した事を告白した。「敗因?それだけではない」と喝破(誤った説を退け、正しい説を確信を持って言う事)したのが、かっての師匠・小出義雄氏である。「本当にヒザが完治していなかったら、練習で70キロも走れるわけが無いよ」・・・(中略)・・・小出氏は言った「選手と言うのは楽な方へ楽な方に、行こうとする、それに<待った>をかけ、心を鬼にして指導するのがプロのコーチなんだ」彼女も35歳。限界説も囁かれるが、もう一勝負するなら外国人でも日本人でも良い、プロのコーチを雇うべきだ。仲よしクラブでは勝てない』と言う。

彼女が「チームQ」を立ち上げた時、走る事については私は何も知らないが、そのチームにコーチが居なく、Qちゃん自身がその立場に立つのを「それでいいの?」と思った。自分の事は自分が一番知っているとは言え、客観的に見る目が無い事に不安を感じた。

この度の結果の後、言い訳に手術の事を言った。私は言うべきではないと思った。もう一度チャンスが欲しいと言うなら弁解すべきでもないと思った。

私も選手とコーチと言う一人二役には無理があると思う。マラソンのコーチと言うのは中々無いのかもしれないが、育ての親の小出監督の言われるように、失敗した同じ道を辿るより「勝つ為」には方向転換も必要じゃないかな~。



コメント
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